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キューバ共和国は、カリブ海の大アンティル諸島に位置し、キューバ本島と周辺の島嶼国からなる島国です。
地理的には北アメリカに分類され、アメリカのフロリダからは145kmしか離れいていないため、フロリダから肉眼で見ることができます。
国の面積は約11万平方キロメートルで、フィリピンのルソン島ほどの大きさしかありません。
元々は南アメリカから渡ってきたカリブ族やタノイ族などの先住民が暮らしていましたが、1492年にコロンブスによってキューバ島が発見され、スペイン人の支配が始まりました。
スペイン人の支配により、キューバでは砂糖産業や奴隷貿易が盛んに行われました。
キューバは地理的にスペインと中南米の中継地点に位置しているため著しい発展を遂げ、大学や要塞などが建設されました。
その後、独立戦争を経てスペインから独立するも、今度は独立戦争で味方だったアメリカの実質的な保護国となってしまいます。
アメリカは地理的にもキューバに近かったため、多くのアメリカ資本が進出し、鉄道会社や全土の電力網が整備されました。
キューバのほとんどの富はアメリカ政府やアメリカ企業に搾取されていたため、国民の不満は高く、その窮状を打開するためフィデル・カストロなどの青年が蜂起。
あの有名な「キューバ革命」へと繋がります。
キューバを語る上で、切っても切り離せない出来事と言えばキューバ革命でしょう。
キューバ革命が今のキューバを作り上げたと言っても過言ではありません。
アメリカの傀儡政権となったバティスタ政権を打倒するため、フィデル・カストロを中心とした青年反バティスタ政権グループが蜂起しますが、失敗します。
カストロは投獄されますが、2年後に形式のみの信任選挙で再選を果たしたバティスタは、大統領就任に伴いカストロら政治犯に恩赦を与えます。
その後、カストロはメキシコへ亡命し、アルゼンチン人医師であるチェ・ゲバラに出会います。
カストロたちはゲリラ戦の訓練を受け、メキシコからヨット「グランマ号」でキューバに上陸します。
しかし、カストロがキューバに戻ることはバティスタ軍に察知されていました。
そしてカストロ達は大打撃を受け、82人のうち70人がその場で殺される、もしくは捕らえられてしまったのです。
その後、残った12人はマエストラ山脈を拠点とし、ゲリラ活動を続けます。
2年間に渡りゲリラ活動を続けたカストロ達は、1958年についにバティスタを追い出しハバナを制圧。
こうして12人から始まったゲリラ活動が、政府軍に勝利するというキューバ革命は成功に終わります。
革命後のカストロ首相は、アメリカと友好関係を保つ意向を示しましたが、キューバの資源を搾取し続けたアメリカとの関係は悪化の一途を辿ります。
キューバ政府がアメリカ合衆国の政府や企業、国民が所有するキューバ国内の資産の国有化を開始すると、アメリカとの対立は決定的なものになります。
アメリカはキューバ最大の産業である砂糖の輸入を禁止し、1961年にキューバと国交断絶。
さらにアイゼンハワー大統領は亡命キューバ人を訓練し、キューバ政府を軍事力で打倒しようとしたため、キューバ政府は大国であるソ連の支援を求め、社会主義を宣言。
こうしてキューバは社会主義国となったのです。
キューバの人種構成は、先住民であったインディオはスペインによって絶滅させられてしまったため、ヨーロッパ系白人が約50%、白人と黒人の混血であるムラートが約40%、黒人が約10%、中国やレバノンなどのアジア人種1〜2%と推定されています。
人種構成からもわかる通り、キューバ国民のほとんどはスペインかアフリカからの移民となっています。
そのため、文化面はスペインやアフリカの影響を多く受け、スペインとアフリカが融合した独特な文化を形成しています。
特に有名なのが音楽です。
ラテン音楽の中心地であるキューバでは、スペインのギターとアフリカの太鼓を融合させた、ルンバやソンなどの音楽が生まれています。
毎年8月にはキューバ各地でカーニバルが開催され、特に首都ハバナでのカーニバルは規模が大きく、華やかなカロッサ(山車)と踊りの祭典を楽しむことができます。
キューバでは、観光客用の通貨CUC(クック)とキューバ人用の通貨CUP(ペソ・クバーの)が存在します。(1CUC=約104円 2020年10月現在)
もちろん、観光客とキューバ人との物価を分けるための制度となっているため、観光客用の値段設定は高くなっており、キューバの物価は日本より少し安いくらいの値段となります。
キューバでUSドルを両替すると、手数料として10%が取られてしまいます。
そのため、日本円から両替した方がお得です。
ただ、日本円は場所によっては両替できない場合もあるので、ユーロやカナダ・ドルなどから両替するのがベストです。
カナダ・ドルを持っていないという方も多いでしょう。
キューバに行く際は、メキシコかカナダが経由地となるので、カナダで少し観光してからキューバに行くのがおすすめです。
それであれば、カナダ・ドルを有効に使えます。
両替はホテル、銀行、カデカと呼ばれる両替所で行うことができます。
カードはレストランやホテルでは使えるところもありますが、レストランでは機械の不調で使えないということもあるので、ある程度の現金は持ち歩くようにしましょう。
時差は日本から−14時間となっています。
電圧は110Vで、プラグは日本と同じAタイプのプラグのところもありますが、Bタイプのところもあるため、変換プラグは持っていくようにしてください。
もしキューバで宿泊する場合、高級ホテルかCASA(カサ)と呼ばれるホームステイのようなスタイルが一般的です。
街を歩くと所々に錨のマークの看板がありますが、これは政府が認定したカサで、安全に泊まれる場所です。
朝食や夕食がついているかどうかは、カサによって異なるので交渉しましょう。
なお、キューバの公用語はスペイン語です。
ホテルや一部のレストランでは英語が通じますが、英語がわからないキューバ人も多いので、カサを選ぶ場合は英語が通じるかどうかも確認しておくと良いでしょう。
キューバ共和国の緯度は、沖縄の石垣島とほぼ同緯度に位置しています。
ただし、日本のように四季はなく、雨季と乾季があります。
11月〜4月までの冬の時期の平均気温は21℃で、日中は暑くなりますが、夜は涼しくなります。
半袖では少し肌寒い時もあるため羽織るものが必要です。
5月〜11月の時期は夏となり、平均気温は27℃となります。
この時期は雨季の時期でもあり湿度も高いため、ムシムシした暑さになります。
午後には雷を伴った強い雨が降る日も多いです。
観光をする場合、雨が少なく、気温も過ごしやすい11月〜4月がベストシーズンです。
もし9月〜10月に行く場合はハリケーンの時期と重なるため、フライト情報はチェックするようにしましょう。
社会主義国のため貧富の差が少ないことがその理由かと思いますが、キューバは中南米諸国の中では治安が良い国です。
街を歩いてもホームレスはいません。
そのため、女性が夜間に一人で歩いても問題ない国と言われています。
しかし、どこの国でも旅行客は狙われやすいです。
殺人などの重犯罪は少ないですが、スリやひったくりなどの軽犯罪はあるため注意しましょう。
キューバは大通りは夜間も明るいですが、一本横道に入ると暗くなる道が多いので、夜間の一人歩きはやめておいた方が良いです。
なお、革命防衛委員会という組織があり、キューバ人だけでなく旅行客も観察対象なので、賭博や売春、薬物などを厳しく取り締まっています。
軽率な行動はしないように注意しましょう。
キューバには日本からの直行便がありません。
アメリカ、メキシコ、カナダ経由で行くのが一般的な経路となります。
注意点としては、カナダ経由、アメリカ経由で行く場合は、事前に電子渡航認証であるeTAかESTAが必要となります。
料金はカナダのeTAが7カナダドル、アメリカのESTAは14アメリカドルです。
カナダとメキシコからは問題なく入国できますが、アメリカからの入国の場合、入国を断れることもあるそうです。
これはその時のキューバ、アメリカ間の関係次第なのかもしれませんが、安心して入国するためには、メキシコかカナダ経由で入国するようにしましょう。
ここからは、首都であるハバナを中心にキューバのおすすめ観光スポットをご紹介します。
キューバの旅程を立てる際の参考にしてください。
スペイン植民地時代に作られたハバナ旧市街は、石畳の街や年季の入ったレトロな建物が立ち並びます。
1982年にユネスコの世界遺産に登録された美しい街並みは、車の乗り入れが禁止されています。
車を気にせずにのんびりと旧市街を散策すると、陽気なキューバ人が道端で音楽を演奏したり、ダンスを踊っています。
「ラテン系の人は陽気」とよく言いますが、キューバ人は本当にとても陽気です。
それも社会主義国という制度が関係しているかもしれません。
バーやレストランで出会ったキューバ人に話を聞いてみても、みんなが「生活が保障されているから将来に不安はない」と言います。
医療も学費も無料、配給制度で生活も保障されているため、将来のことは考えず、陽気に今を楽しめるのかもしれませんね。
旧市街のおすすめは、旧市街のメインストリートであるオビスポ通りです。
オビスポ通りには、お土産ショップやレストラン、バーなどが立ち並び、活気に溢れています。
オビスポ通りを抜けると、サン・クリストバル大聖堂が姿を表します。
17世紀に完成した、旧市街のシンボルであるサン・クリストバル大聖堂は、キューババロック建築の最高傑作と言われているので、ハバナに行ったらぜひ訪れたいスポットです。
住所 : Avenida Bélgica, La Habana, Cuba
マップ : Googleマップ
アクセス : 旧セントラル公園(Parqrue Central)から徒歩5分
定休日 : なし
入場料 : 無料
キューバで日本人に馴染みの深い場所と言えば、革命広場ではないでしょうか。
革命広場は、ハバナ市内から車で10分ほどのところにあります。
周辺には共産党本部や内務省、情報通信省、郵政省など、キューバ政府の中枢機関が集まっていて、日本で言えば霞ヶ関のような場所です。
そして、内務省の建物に描かれているのがチェ・ゲバラの肖像画です。
この肖像画はとても有名なので、見たことがあるという方も多いでしょう。
情報通信省に描かれているのは、カミーロ・シンフエゴスです。
日本ではあまり知られていない人物ですね。
キューバ革命の際、ゲリラ軍は部隊を二つに分けました。
片方がカストロ兄弟を中心とした部隊、もう一つがチェ・ゲバラを中心とした部隊です。
そのチェ・ゲバラの部隊で、チェ・ゲバラの右腕として活躍したのがカミーロです。
住所 : Avenida Paseo,La Habana
マップ : Googleマップ
アクセス : 旧セントラル公園(Parqrue Central)からタクシーで10分
定休日 : なし
入場料 : 無料
チェ・ゲバラの肖像画がある内務省の反対側には、ひときわ高い塔が建っています。
これはホセ・マルティ記念博物館です。
日本ではあまり知られていませんが、スペイン植民地だったキューバは独立のために戦いました。
その独立戦争で活躍したのが、キューバ建国の父と呼ばれるホセ・マルティです。
キューバではチェ・ゲバラと同じく、とても尊敬されている人物です。
ホセ・マルティ記念博物館からは、革命広場を見渡せます。
毎年メーデーには、数十万人が集まると言われる広場です。
住所 : Avenida Paseo,La Habana
マップ : Googleマップ
アクセス : 旧セントラル公園(Parqrue Central)からタクシーで10分
定休日 : なし
入場料 : 無料
ハバナ市内から徒歩圏内に、革命博物館があります。
以前は大統領官邸として使用されていましたが、キューバ革命後に革命博物館となった建物です。
館内には、キューバ革命に関する資料だけでなく、スペインからの独立戦争やキューバ革命後の歴史、写真についても展示されています。
革命時に使用した車や戦闘機のほか、カストロら革命軍がメキシコから上陸するために使用したヨット、「グランマ号」などが展示されています。
その他キューバの歴史についても説明があり、とても勉強になります。
キューバにある博物館なので、キューバ側からの説明がされているかもしれません。
しかし、筆者はこの博物館に行ってから、アメリカを見る目が変わりました。
革命後のキューバに対するアメリカの非道な行いは、ひどいの一言。
キューバを社会主義に追いやったのは、アメリカとしか言いようがありません。
どこまで事実なのかはわかりませんが、歴史に興味がある方は行くことをおすすめします。
歴史好きの方には、ハバナで一番面白いスポットになること間違いなしです。
住所 : Avenida Bélgica,La Habana
マップ : Googleマップ
アクセス : アルマス広場から徒歩15分
定休日 : なし
営業時間 : 9:30~16:00
入場料 : 8CUC
ハバナ旧市街の中央広場の斜め向かいに、ひときわ目立つ建物があります。
それが旧国会議事堂(カピトリオ)です。
この旧国会議事堂を見て、何かを思った方もいるでしょう。
そう、アメリカのホワイトハウスそっくりなんです。
アメリカの支配下にあった時代に建てられたため、このような建物になりました。
革命後は、アメリカの支配下の象徴であるこの国会議事堂を使うことを良しとしなかったため、現在は国会議事堂は別の場所にあります。
現在は内部に入ることができます。
内部は、ドームの中央地点がキューバの中央地点となっており、昔はダイヤモンドが埋め込まれていました。
今はレプリカのダイヤモンドが埋め込まれています。
建物には50種類以上の大理石が使われており、カラフルな床はとても綺麗です。
旧国会議事堂は建物の外装、内観共に素晴らしく、中央広場からすぐ近くなので、ぜひ訪れてみてください。
住所 : Paseo del Prado 422 e/ San José y Dragones,
マップ : Googleマップ
アクセス : 旧市街セントラル公園(Parqrue Central)から徒歩1分
定休日 : なし
営業時間 : 9:30~17:00
入場料 : なし
ハバナ旧市街をサン・クリストバル大聖堂から海に向かって進み、海底トンネルを抜けると要塞が見えてきます。
その要塞群の一つがモロ要塞です。
キューバには、ハバナ湾を防衛するために4つの要塞がありますが、その全てが世界遺産に登録されています。
モロ要塞はスペイン統治時代に建てられました。
モロ要塞の対岸にはプンタ要塞があり、敵が迫ると2つの要塞に太い鎖を通し、敵の侵入を防ぎました。
要塞には敵船を攻撃するために、ハバナ湾の入り口を向いた大砲が、未だにいくつも置かれています。
モロ要塞は、要塞としての役目が終わった後、牢獄として使われました。
今では、ハバナ湾に入ってくる客船のための灯台としての機能を担っています。
ハバナ湾の入り口にそり立つ断崖絶壁の上に建てられているため、要塞からはハバナ市街とカリブ海を見渡すことができます。
住所 : Via Monumental y Carretera De La Cabana,Havana
マップ : Googleマップ
アクセス : 旧市街セントラル公園(Parqrue Central)からタクシーで5分
定休日 : なし
入場料 : 大人6CUC
営業時間 : 9:30~20:00
モロ要塞などによって、長年敵からの侵入を防いできたキューバでしたが、1762年に迂回してきたイギリス軍により上陸を許し、約1年間キューバはイギリスによって支配されます。
その後、パリ条約によってキューバはスペインに返還されますが、このイギリスの占領を機に、スペインは新たな要塞を建設します。
それがカバーニャ要塞です。
カバーニャ要塞は、カリブ海にある最大の要塞となっており、現在は昔の武器の展示や、チェ・ゲバラが実際に使用していた執務室が展示されています。
そしてカバーニャ要塞の一番のメインは、毎晩21時に行われるカニョナッソと呼ばれる大砲の儀式です。
元々は、ハバナの城壁の扉を閉めるための合図として行われていたものが、現在はセレモニーとして行われています。
中世の軍服を着た役人が、掛け声と共に大砲を準備し、その後実際に大砲に火をつけます。
大砲の爆音はものすごい迫力があるので、ハバナで宿泊する場合はカバーニャ要塞に行きましょう。
住所 : Arret de Los Cocos Havana
マップ : Googleマップ
アクセス : 旧市街セントラル公園(Parqrue Central)からタクシーで5分
定休日 : なし
入場料 : 大人6CUC
営業時間 : 10:00~17:00(大砲の儀式は18:00~21:00)
ハバナから3時間半ほど車に乗ったオルガノス山脈にあるのが、ビニャーレス渓谷です。
1999年に世界遺産に登録されたビニャーレス渓谷は、カルスト地形の窪地となっています。
そんなビニャーレス渓谷の窪地が、絶景と言われる景色を作っています。
中でもロス・ハスミネス展望台からの景色は、まるで桃源郷のよう。
ビニャーレス地域はタバコの生産が盛んな地域で、渓谷の麓では伝統的な農法でタバコを生産しており、ツアーなどに参加すれば葉巻の生産現場の見学もできます。
また、ビニャーレス渓谷はロッククライミングでも知られていて、断崖絶壁の岩がいくつもあります。
その中の一つに、プレイストリアの壁画があります。
1921年にメキシコの画家、ディエゴ・リベラが5年かけて描いたもので、古代の雰囲気を感じることができます。
プレイストリアの壁画の前にはレストランがあり、ツアーに参加した場合はここで昼食をとります。
ここで飲むピニャコラーダは絶品ですので、ぜひ試してみてください。
ビニャーレス渓谷にはいくつもの洞窟があり、インディヘナの洞窟は観光客の立ち入りが認められています。
この洞窟は、かつては先住民が住み、独立戦争時には革命家の隠れ家としても使われていました。
内部は鍾乳洞になっており、アドベンチャー気分を味わうことができます。
ビニャーレス渓谷へはツアーで行けます。
ハバナ市内のホテルのロビーに旅行会社がありますので、そこでツアーを応募しましょう。
カリブ海に浮かぶキューバには、もちろんリゾート地もあります。
その一つがバラデロです。
バラデロは、ハバナから車で3時間ほどの、イカスコ半島にある人気のリゾートです。
透き通った綺麗な海と真っ白な砂浜が広がるバラデロでは、民芸品が立ち並ぶ街を歩くのも良し、海辺でゆっくりするのも良し、きれいな海でマリンスポーツを行うも良いでしょう。
バラデロでは、オールインクルーシブホテルに泊まるのがおすすめ。
オールインクルーシブホテルとは、宿泊料金に飲食代やホテルの施設使用料などが全て含まれているプランです。
そのため、ビーチにも財布を持たずに身軽に行けますし、贅沢し放題でセレブ気分を味わえます。
サンティアゴ・デ・クーバは、キューバ南東部にあるキューバ第2の都市です。
ハバナに比べ黒人やムラートが多いこの都市は、革命発祥の地としてしられています。
1953年にフィデル・カストロたちは、ここに集まっているキューバ軍を襲撃しました。
この作戦は失敗に終わりますが、これがキューバ革命の始まりです。
モンカダ兵営博物館には、当時の様子や武器や写真などが展示されています。
旧市街から3kmほどの所には、サンタ・イフィヘニア墓地があります。
ここには数々の有名人の墓がありますが、中でも有名なのが、キューバ建国の父、ホセ・マルティの墓でしょう。
ホセ・マルティの墓は、巨大なドームの中にあり、ドーム内部にはキューバ国旗に包まれた棺桶があります。
ハバナとは違った雰囲気を味わえるので、時間がある方はサンティアゴ・デ・クーバまで足を伸ばしてみるのもいいかもしれません。
キューバは美しいカリブの海に囲まれ、中世の建築物も多く残る観光スポットの多い国です。
オールドカーが街中を走っていたり、配給所がいたるところにあったり、普段なかなか感じることのない社会主義を感じることができます。
観光だけでなく、自分の世界が広がる国だと思いますので、ぜひ一度足を運んでみてください。
最終更新日 : 2022/12/07
公開日 : 2020/11/02