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日本全国に、どこどこの小京都と呼ばれている街が存在します。
古い街並みや風情が、どことなく京都に似ているため、街の別称として用いられることが多いようです。
各地の小京都自治体が加盟している「全国京都会議」によれば、小京都とは下記の要件を一つ以上満たしている事としています。
この要件をクリアすれば同会の常任幹事会で加盟を承認され、晴れて小京都の仲間入りができるわけです。
「全国京都会議」には総本家の京都市をはじめ、43の自治体が加盟しています。
しかし、小京都と名乗っているのは、全国京都会議加盟の43自治体ばかりではありません。
既に同会を脱退した自治体も、今まで通り小京都と呼ばれることがあります。
弘前や金沢、飛騨高山などの有名小京都も、こちらに含まれます。
その他、同会に一度も加盟したことがない自治体においても、観光宣伝目的などの理由により小京都と名乗っているケースがあるためややこしいです。
総括すれば武家屋敷や城下町の佇まいを残し、京都に似た伝統ある都市ということになるかもしれません。
「みちのくの小京都」と称される角館は、秋田県東部・仙北市にあります。
三方を緑濃い山々に囲まれた盆地に位置する、由緒ある旧城下町です。
桜の名所として全国的に知られており、シーズンには全国からの観光客で賑わいます。
角館の街並みが形成されたのは、江戸時代はじめの頃です。
秋田藩主だった蘆名家および佐竹北家により、城下町として整備されました。
明暦2年(1656年)、佐竹北家を継いで藩主となった佐竹義隣は、もともと京都の公家・高倉家から養子に入った人でした。
義隣は故郷の京都を懐かしみ、角館の地名に「小倉山」や「賀茂川」等命名したほか、当地の多くの京文化を移入したのです。
このことが角館と京都の繋がり、小京都としての歩みのはじまりとなりました。
角館一番の見どころは、内町と呼ばれる武家屋敷通り。
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
重厚な屋敷構えが今もなお藩政時代の面影を残し、小京都にふさわしい佇まいを感じさせます。
国指定天然記念物に指定されている160本以上のシダレザクラや、全長2kmに及ぶ桧木内川堤ソメイヨシノ(国指定名勝)は圧巻!
角館を訪れるなら、桜が満開を迎える春の時期が一番おすすめです。
角館の武家屋敷の中で、ひときわ大きな建物が青柳家。
通常の武家屋敷の3倍以上の敷地を有し、秋田県指定史跡となっています。
青柳家は元々蘆名氏譜代の武士でしたが、蘆名氏断絶後には藩主となった佐竹北家に仕えました。
家屋は当時の建築様式を後世に伝える貴重なものです。
秘蔵品を公開する武器蔵や秋田郷土館、武器道具館なども併設され、藩政時代の角館の生活を垣間見ることができます。
住所 : 秋田県仙北市角館町表町下丁3
マップ: Googleマップ
アクセス : JR角館駅より徒歩25分
電話番号 : 0187-54-3257
定休日 :無休
営業時間 :
4-11月 9:00~17:00
12-3月 9:00~16:00
料金 : 大人500円、中学生・高校生300円 小学生200円
公式URL : 角館歴史村・青柳家
「独眼竜」の異名で知られ、今の仙台市の礎を築いた戦国大名・伊達政宗。
その政宗が仙台に移る前の12年間を過ごした場所が、岩出山です。
仙台から北西50kmの大崎市にある旧城下町で、「伊達な小京都」と称されています。
政宗以降も伊達家とゆかりの深い地であり、政宗の四男・宗泰を藩祖とする岩出山伊達家の城下町として栄えました。
町内を流れる江合川が潤いを与える山紫水明の地であり、政宗によって築かれた人口用水路・内川は、今もなお現役です。
3代城主・敏親と4代城主・村泰は、正室を京都の公家・冷泉家から迎えた縁により、京文化が城下に浸透することになりました。
学問所である有備館の庭園は京都の庭園をイメージして造られたものであり、町の特産品である「しの竹細工」もまた、京都から招いた職人によって伝えられたものです。
全国的な知名度は低いのですが、風情ある見どころがたくさんあります。
内川沿いに整備された遊歩道・「学問の道」は、せせらぎが心地よい散策路として、地域住民や観光客に親しまれています。
また、岩出山城址は「城山公園」として開放され、ツツジや桜の名所として知られています。
京風な趣が美しい庭園・有備館庭園は必見の観光スポットです。
毎年9月に開催される「政宗公まつり」は、きらびやかな「ダテモノ」の武者行列が繰り広げられ、戦国絵巻を間近に体験することができます。
有備館とは、仙台藩が岩出山に設置した藩塾です。
そのはじまりは明確ではありませんが、2代藩主・宗敏の隠居所として1677年頃に建てられたといわれています。
下屋敷として利用されたのち、岩出山伊達家家臣の子弟を教育する塾となりました。
茅葺きの書院造の建物が現存し、日本最古の学問所建築ともいわれています。
併設する庭園は、正徳5年(1715年)4代城主・村泰によって整備されました。
岩出山城の断崖を借景とし,池に島を配した廻遊式池泉庭園となっています。
仙台藩の茶道頭石州流3代・清水道竿が作庭を担当し、京都の庭園を彷彿させる雅やかな雰囲気が漂います。
池を囲む庭園の装いは四季折々に変化し、フォトジェニックな景観を楽しめます。
住所 : 宮城県大崎市岩出山字上川原町6
マップ: Googleマップ
アクセス : JR陸羽東線・有備館駅より徒歩1分
電話番号 : 0229-72-1344
定休日 : 月曜日 年末年始
営業時間 : 9:00~17:00
料金 : 大人350円 高校生260円 小・中学生180円
栃木県南西部に位置する足利市は、室町幕府の将軍家・足利氏発祥の地として知られています。
平安時代末期、源義家の孫・義康が当地を支配し「足利」の姓を名乗ったのがはじまりで、8代目の尊氏が京都で室町幕府を開きました。
市内には有名な「足利学校」や「鑁阿寺」など由緒ある史跡が多く存在し、風情ある街並みから「東の小京都」と呼ばれています。
古くから織物の街としても栄え、織物の神様を祀る「足利織姫神社」は、市内を一望できるビュースポット、また恋愛のパワースポットとしても有名です。
市の中央を渡良瀬川が流れ、森高千里さんの曲で夕日が美しいと紹介されている「渡良瀬橋」も足利市内に存在します。
足利を訪れる楽しみは、石畳の残る古い街並み散策だけではありません。
イルミネーションの美しさで全国的に知られる「あしかがフラワーパーク」や、伊万里焼・鍋島焼の世界的コレクションを所蔵する「栗田美術館」など、新しいタイプの観光スポットも豊富にあります。
小京都のイメージとは異なりますが、足利に行ったらぜひとも訪れたい市内屈指の人気スポットです。
イルミネーションで有名ですが、本来は名前の通り植物を中心としたテーマパークで、四季折々の花や植物を楽しむことができます。
中でも樹齢140年以上、各々600畳以上の規模を誇る「大藤」はこのテーマパークのシンボル。
栃木県の天然記念物に指定された「藤のトンネル」は圧巻です。
この藤の花が見頃を迎える4〜5月中旬に開催される「藤まつり」は多くの観光客で賑わいます。
見逃せないのが、毎年10月下旬から2月上旬にかけて開催されるイルミネーション「光と花の庭」。
94000㎡の園内に400万球を超えるイルミネーションを装飾し、ここでしか見られない工夫に富んだ演出を施しています。
特に大藤を再現した「奇蹟の大藤」は、紫の光が放つ幻想的な美しさに包まれ、感動すること間違いなし。
「全国イルミネーションランキング」において、2016年から2019年まで4年連続で全国1位を獲得している実力派です。
住所 : 栃木県足利市迫間町607
マップ: Googleマップ
アクセス :
東北自動車道・佐野藤岡ICより、国道50号前橋・足利方面進行(約18分)
JR両毛線・あしかがフラワーパーク駅より徒歩1分
電話番号 : 0284-91-4939
定休日 : 大晦日
営業時間 : 9:00~18:00(時期・イベントにより異なる)
料金 : 大人300~1900円 小人100~900円(時期・イベントにより異なる)
公式URL : あしかがフラワーパーク
同じ「嵐山」と書いても京都にある方は「あらしやま」、こちらは「らんざん」です。
東西の嵐山という地名は決して偶然の一致ではありません。
昭和のはじめ頃、造園家の本多静六という人が、この周辺の景観が京都の嵐山に似ていることから命名したとされています。
その結果として、嵐山(らんざん)を訪れる観光客が急増したそうです。
嵐山町は埼玉県の中央部・比企丘陵の中核に位置しています。
嵐山渓谷をはじめとした豊かな山岳美に恵まれ、国蝶であるオオムラサキが生息する地としても知られています。
また、嵐山は源平の時代から歴史の舞台として登場してきました。
木曽義仲はこの地で誕生し、鎌倉幕府初期の有力御家人だった畠山重忠が屋敷を構えていた地でもあります。
他にも古戦場跡や城郭跡が残っており、歴史好きの人には堪りません。
嵐山(らんざん)の名前の由来となった、嵐山町を代表する景勝地です。
槻川の蛇行部に渓谷が広がっており、澄んだ清流とそそり立った岩肌が抜群の渓谷美を演出しています。
特に紅葉の時期は素晴らしく、渓谷一面を真っ赤に染め上げる光景は圧巻です。
明治の歌人・与謝野晶子も絶賛した嵐山渓谷は、本場嵐山(あらしやま)にも劣らない絶景を誇ります。
住所 : 埼玉県比企郡嵐山町大字鎌形
マップ: Googleマップ
アクセス : 東武東上線武蔵嵐山駅よりバスで7分
岐阜県中部・奥美濃地方にある郡上八幡は、清流と名水の里として知られる城下町です。
標高200mの高地にあり、長良川と支流の吉田川の合流地点に街が広がっています。
石畳の道や古い街並み、町を流れる水路が情緒たっぷりで、「奥美濃の小京都」と呼ばれています。
また、「郡上おどり」は33夜踊り続ける日本一長い盆踊りで、この街の夏の風物詩です。
郡上八幡の起源は、戦国時代の永禄2年(1559年)遠藤盛数によって八幡城の礎が築かれたことからはじまります。
江戸期を通じて郡上藩の城下町として栄え、現在の風情ある街並みが形成されました。
郡上八幡城を中心とした古い街並みは、「国の重要伝統的建造物保存地区」に指定され、古き京都の街を彷彿させる「小京都感」たっぷりです。
再建された郡上八幡城の天守展望台からは、奥美濃の山々に囲まれた市内の景観が一望できます。
郡上八幡は「水の街」でもあります。
街中には水路が流れ、そのせせらぎの音がとても心地良いです。
宮ヶ瀬橋の近くから湧きだす泉・「宗祇水」は、室町時代の連歌師・飯尾宗祇がこの泉を愛し、ほとりに草庵を結んだことから名付けられたもの。
「日本名水百選」の第1号に指定された、最高品質の名水です。
郡上八幡で最も風情があるエリアといえば、この「やなか水のこみち」が筆頭に挙げられます。
玉石を敷き詰めた小路に心地よい水路、周囲の古い家屋に柳並木と、絶妙な調和が魅力的な小径です。
石畳の道に敷かれた玉石の数は約8万個!
すべて長良川や吉田川の自然石といわれています。
住所 : 岐阜県郡上市八幡町新町
マップ: Googleマップ
アクセス :
東海北陸自動車道・郡上八幡ICから車で5分
岐阜バス城下町プラザより徒歩でき5分
三河湾に面した西尾市は、温暖な気候と風光明媚な土地に恵まれた「三河の小京都」です。
江戸時代には西尾藩6万石の城下町として栄えましたが、鎌倉時代の頃からこの地一帯は、足利氏の傍流である吉良氏が支配していました。
吉良といえば「忠臣蔵」の名敵役・吉良上野介。
悪人のイメージが定着していますが、こちらでは名君として親しまれています。
西尾には吉良時代、および徳川譜代の西尾藩時代の歴史的遺構が多数残っており、歴史散策にも楽しい街です。
また、「西尾祇園祭」や「一色大提灯まつり」など伝統ある祭事が息づいています。
三河湾上に浮かぶ最大離島・佐久島は、西尾市に属するアートな島です。
島内には新鋭芸術家によるアート作品が屋外展示され、ピクニック気分で散策を楽しめます。
自然豊かで多くの動植物が生息し、植物観察やアクティビティを満喫するのにも楽しい島です。
西尾はグルメの宝庫でもあります。
抹茶は西尾の特産品で、女性に人気の抹茶スウィーツも種類が豊富です。
名産のうなぎやアサリのほか、三河湾で獲れた絶品の海の幸もたっぷりと満喫できます。
西尾市内で、最も小京都気分を味わえる場所かもしれません。
西尾歴史公園は、天守が再建された西尾城を中心に整備された公園です。
鍮石門や本丸丑寅櫓など城郭内が復元され、桜や紅葉の絶景スポットとして市民に親しまれています。
この公園内には、京都を思わせる遺構が2つあります。
「尚古荘」は、昭和初期の米穀商・岩崎明三郎によってつくられた京風庭園です。
広大な敷地内には書院や茶室、東屋などが配備され、枯山水の庭に趣の深さを実感します。
「旧近衛邸」は、摂家筆頭であった近衛家の邸宅の一部を移築したもの。
江戸時代後期に、島津斉彬の姫が近衛忠房に嫁いだことが縁で、島津家によって建てられたものです。
書院と茶室から成り、品格の高さを実感します。
こちらの書院では西尾特産の抹茶サービスがあり、庭園を眺めながらのんびりと休憩が楽しめます。
住所 : 愛知県西尾市錦城町231-1
マップ: Googleマップ
アクセス : 名鉄西尾駅からバスで5分
電話番号 :0563-54-6758
定休日 : 月曜日 年末年始
営業時間 : 9:00~18:00(10月~3月は~17:00まで)
伊賀と聞いて「伊賀忍者」をイメージされた方も多いはず。
隣接する滋賀県・甲賀とともに、かつて忍者たちが拠点を置き、活躍した地として知られています。
また、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が誕生した街でもあります。
伊賀地方は、飛鳥や奈良、京都から近い交通の要衝として古くから栄えてきました。
江戸時代には伊勢津藩の城下町、伊勢神宮への参宮者の宿場町としても隆盛を極めたため、奈良や京都の影響が深く浸透した地でもあります。
中世の伊賀は小領主が群雄割拠する状態で、騒乱が絶えなかったため、住民が自衛のため武装化する必要がありました。
これが忍者の雄・「伊賀忍者」のはじまりです。
戦国時代には伊賀に侵攻してきた織田信長と激しい戦闘を繰り広げたことでも知られています。
本能寺の変の直後、徳川家康の脱出を助けたのも伊賀忍者であり、服部半蔵はこの時の功績によって幕府で重用されました。
伊賀上野のシンボル・上野城は、築城の名手と歌われた藤堂高虎によって築城されました。
藤堂家・津藩の城下町として栄えた伊賀上野の街は、高虎によって碁盤目状に整備されており、今もその面影を残しています。
風情ある城下町の街並みは、京都のイメージによく似ています。
子供を対象にした忍者のテーマパークは全国に存在しますが、こちらは大人も楽しめる設定になっています。
博物館だけに、伊賀忍者に関する貴重な資料や道具が多数展示されており、楽しみながら伊賀忍者について学ぶことができます。
また、江戸時代末期の土豪屋敷を移築した「忍者屋敷」では、様々なカラクリや仕掛けを実演を通じて案内してもらえます。
そして、迫力満点な「忍者ショー」、忍者が実際に使用した道具を用いてのステージは子供たちに大人気。
ここでしか手に入らない忍者グッズも多数販売されており、お土産にもぴったりです。
住所 : 三重県伊賀市上野丸之内117
マップ: Googleマップ
アクセス : 伊賀鉄道・ 上野市駅より徒歩約10分
電話番号 : 0595-23-0311
定休日 : 年末年始
営業時間 :9:00〜17:00
料金 :
大人800円 小人500円
忍者実演ショーは別途500円
公式URL : 伊賀流忍者博物館
兵庫県北部の但馬は、城崎温泉など古風で風情のある観光地が多い地域です。
出石(いずし)はかつての出石城の城下町。
江戸時代以前の古い街並みと明治以降に作られた建造物が調和した魅力ある街です。
城下町として整備された街並みが、京都を彷彿させる碁盤目状であることから、「但馬の小京都」と呼ばれています。
出石の見どころは、37の朱鳥居が映える出石城や古い街並み。
風情ある「町家造り」の家屋は今も現役で利用され、船着場の灯台だった「おりゅう灯篭」や太鼓櫓だった「辰鼓楼」は古風な情緒たっぷりです。
奥山渓谷の清流や白糸の滝など大自然の景観も見事で、訪れる人を癒してくれます。
出石は『古事記』にも登場する古い地名ですが、本格的な開発が始まったのは室町時代(南北朝時代)に入ってからのことです。
南北朝時代の武将・山名時氏が但馬を制圧、本拠を出石に構えたことから歴史に登場します。
以降の山名氏の勢力は増大し、最盛期には全国66か国中11か国を治め、「六分の一殿」と呼ばれるまでになりました。
しかし、山名宗全が応仁の乱で西軍の総大将になったことをピークに急激に衰退し、最終的には羽柴秀吉の侵攻によって滅亡してしまいます。
やがて出石は秀吉子飼いの武将・小出吉政が統治することになり、江戸時代はじめ頃、小出氏によって城下町が整備されることになりました。
出石の特産品は「出石皿そば」と「出石焼」。
共に江戸中期に出石を治めた、仙石家の時代に始められました。
出石皿そばは、信州上田の藩主だった仙石家が、出石に国替えになる際に信州からそば職人を連れてきたことがはじまりとされています。
実を丸引きした茶褐色のそばで、わんこそばのように一人前5皿で提供されます。
出石焼は透きとおるような白を特徴とする白磁で、その起源は日本書紀の時代に遡るといわれています。
こちらも仙石家の統治下、伝統工芸として振興されました。
出石のシンボル・辰鼓楼は、明治時代初期に造られた時計塔で、日本最古の時計台といわれています。
その名前の通り、元々は辰の刻(午前7~9時)に城主登城を知らせる太鼓を叩く楼閣でした。
現在の姿になったのは、旧出石藩の藩医だった池口忠恕が大病を患った際、多く住民が病気快癒の願掛けをしたことがはじまりです。
病気が快復した忠恕は、出石の住民に感謝のしるしとしてオランダ製の機械式大時計を取り寄せ、町に寄贈しました。
現在も午前8時や午後1時には時を告げるための太鼓が鳴っています。
住所 : 兵庫県豊岡市出石町内町
マップ: Googleマップ
アクセス : 全但バス出石営業所より 徒歩2分
島根県西部、穏やかな山間にある静かな町・津和野。
古い城下町の佇まいを残し、大きな都市にはない素朴な雰囲気が漂う町です。
白壁の古い建物や、錦鯉が泳ぐ水路など風情がたっぷりで、「山陰の小京都」と呼ばれています。
また、津和野は文豪・森鴎外の生まれた街として有名です。
「SLやまぐち号」の終着駅でもあり、やはり小京都として知られる山口市や萩と一緒に訪れる人も少なくありません。
津和野の名前は「つわぶきの生い茂る野」に由来します。
かつてこの地に住みついた人々が、咲き乱れるつわぶきの花に魅せられ、自分たちの里を「つわの」と命名したと伝えられています。
津和野が城下町として発展したのは、戦国時代のことです。
津和野城の城主だった吉見正頼は、毛利元就の厳島合戦に協力した功績として、津和野を含む石見(島根)の領有を認められました。
この新領主によって、津和野は中世の市場的集落から近世の城下町へ変貌することになりました。
続いて津和野を統治したのは坂崎出羽守、宇喜多秀家の従兄弟で「千姫事件」で有名になった人です。
この藩主の時代に灌漑用水路の建設や鯉の養殖などが奨励され、現在の津和野の礎が築かれました。
その後は明治維新まで亀井家が統治し、歴代藩主は産業開発と教育の振興に力を注いだといわれています。
その影響もあり、森鴎外や西周などの優秀な人材が津和野から巣立っていったのです。
津和野で最も京都らしさを感じさせるものが、毎年7月に開催される祇園祭の「鷺舞」です。
白鷺の姿を身に纏って舞を披露する伝統行事で、津和野の弥栄神社で行われます。
八坂神社系の神社で行われる行事ですが、本家の京都・八坂神社では長い間廃れていました。
1956年以降にようやく八坂神社でも復活しましたが、こちらは津和野で行われている鷺舞を倣ったものだといわれています。
情緒あふれる津和野のなかで、最も古い佇まいを残している界隈が「殿町通り」です。
古いといっても奥まった路地ではなく、津和野の観光名所や飲食店などが立ち並ぶメインストリートでもあります。
土塀に面した堀切(用水路)には多数の鯉が泳ぎ、ほとりに咲く花菖蒲との対比がとても優雅。
堀切には500匹近い鯉が放流されているといわれ、眺めていると心が癒されてきます。
住所 : 島根県鹿足郡津和野町後田
マップ: Googleマップ
アクセス : JR山口線・津和野駅から徒歩10分
瀬戸内海に面した尾道は、温暖な気候と素晴らしい景観に恵まれた魅力的な街です。
市内には歴史ある寺院が多く存在し、その風情ある街並みから「瀬戸内の小京都」と呼ばれています。
また、瀬戸内海を跨いで四国の今治と結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」の本州側の玄関口でもあり、絶景のドライブやサイクリングを楽しめる街でもあります。
志賀直哉や林芙美子ら多くの文人墨客に愛された「文学の街」であり、数々の映画のロケ地として使用された「映画の街」としても有名です。
古来より交通の要衝であった尾道ですが、平安時代の1169年、年貢米の積出港として公認されたことが発展の礎となりました。
江戸時代には大阪と蝦夷地(北海道)を結ぶ「北前船」の寄港地として、繁栄を極めます。
この交易により富を蓄えた豪商たちが、その財を惜しみなく寺の建立や町の整備などに投資した結果、現在の「小京都」たる街並みが形成されることになったのです。
尾道地区は太平洋戦争中の戦災を免れたため、現在でも多くの寺院が残っており、こうした寺院を散策する「古寺めぐり」は人気の観光コースとなっています。
特に生口島にある耕三寺は、平等院鳳凰堂など京都・奈良などの有名寺院を模した豪華絢爛な建造物で知られ、「西の日光」と絶賛される必見スポットです。
尾道は「坂の街」でもあります。
山の斜面に民家や寺院が立ち並び、坂道に造られた石畳の道や路地はとても風情があります。
また、ネコがたくさん暮らしている散策道・「猫の細道」は、ネコ好きの人にはたまりません。
尾道と愛媛県今治市を結ぶ全長60kmの海上道路です。
瀬戸内海に浮かぶ7つの島と繋がっており、海と島が織りなす絶景をたっぷりと満喫できます。
瀬戸内海の多島美を一望できる向島、村上水軍ゆかりの因島、柑橘と芸術の島・生口島など見どころ満載の島がいっぱいあります。
楽しいドライブを期待できますが、自転車で通過してみるのもおすすめ。
「しまなみ海道サイクリングロード」は、海峡を横断できる日本発の自転車専用道路…潮風に吹かれてペダルを漕げば気分は最高潮です。
レンタサイクルのターミナルも多数設置されているので、気軽に絶景サイクルングを楽しんでみましょう。
住所 : 広島県尾道市~愛媛県今治市間の全長60km
マップ: Googleマップ
山口県の県庁所在地でもある山口市は、豊かな自然と歴史が共存する文化都市です。
室町から戦国時代にかけて京都に模した街づくりが行われ、その遺構は市内各地に点在しています。
祭事や市の特産品にも京都の影響が色濃く残り、「西の小京都」と呼ぶにふさわしい街です。
山口の街を語るにあたって、中世にこの地を支配した大内氏の存在は欠かせません。
室町時代の1360年、周防国を平定した大内弘世が山口に本拠を構えたことが、この街のはじまりでした。
以降、大内氏は西国の有力大名として栄華をきわめ、「西国の京都」・山口は大いに発展します
市内を流れる一の坂川は賀茂川に見立てられ、通りには大路・小路などの名称が付けられました。
戦乱の絶えなかった京都を逃れた公家や文化人も山口に辿りつき、この地に招かれた雪舟やザビエルも街の発展に貢献しています。
大内義隆の時代、大内家と山口の街は繁栄の極みを迎えます。
日明貿易で得た巨大な富により豪華絢爛な寺院や庭園が造られ、当時の日本国内で最も栄えた街になりました。
しかし、義隆の公家趣向は大内家の内紛を引き起こすことになり、家臣・陶晴賢の謀反を招くことになります。
大内家の滅亡により山口の繁栄は終息しましたが、その名残は今も山口の街に息づいています。
西の小京都・山口を最も象徴する寺院です。
1471年に大内氏の重臣・陶弘房の妻が、夫の菩提を弔うために建てた安養寺が起源となっています。
この寺院のシンボルである五重塔は、1442年に建てられたもの…醍醐寺、法隆寺にある五重塔とともに「日本三名塔」に数えられる国宝です。
瑠璃光寺境内は「香山公園」として整備されています。
庭園の池越しに望む五重塔の景観はすばらしく、桜や紅葉の絶景スポットとしても知られています。
ライトアップされた夜間の姿も圧巻です。
住所 : 山口県山口市香山町7-1
マップ: Googleマップ
アクセス : JR山口駅よりバス・山口県庁前下車徒歩10分
電話番号 : 083-922-2409
料金 : 境内自由 ※資料館200円
愛媛県南部・南予地方位置する大洲は、ノスタルディックな街並みが魅力的な「伊予の小京都」です。
市の中心部を清流・肱川が流れており、どこか懐かしく感じる、美しい田園風景が広がっています。
冬の時期、この街は「肘川あらし」と呼ばれる朝霧に包まれ、幻想的で風情ある表情を見せます。
大洲は江戸時代、大洲藩6万石の城下町として栄えました。
藩主だった加藤家は学問を奨励する家風があり、有名な儒学者・中江藤樹もこの藩で活躍したこともあります。
鎌倉時代に建てられた大洲城は、小早川隆景や藤堂高虎といった名将により増改築されて近代城郭に変貌しました。
天守閣は明治中期に一度取り壊されましたが、平成16年(2004年)に再建され、4層4階の偉容は今や市のシンボルです。
この街の素晴らしいところは、江戸から明治、昭和の面影が残る懐かしい通りがたくさん残されていることにあります。
古い時代にタイムスリップしたかようなレトロな街を散策すると、心底からリフレッシュした気分に浸れます。
大洲城の城下町に一角には、散策が楽しくなる通りが2つあります。
「おはなはん通り」は、かつて武家屋敷と商家街の境にあった場所で、江戸時代の家並みや街並みが忠実に残っています。
幅が広い石畳の通りは京都を思わせる風情たっぷりです。
通りの名前は、昭和41年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『おはなはん』の舞台となったことから名付けられています。
おはなはん通りを少し歩いたところに「明治の家並み」が存在します。
明治・大正時代に養蚕や製糸で栄えた職人町の面影を残し、なまこ壁の土蔵や腰板張りの武家屋敷が特徴的です。
こちらも古き京都の風情を感じさせます。
住所 : 愛媛県大洲市大洲
マップ: Googleマップ
アクセス :JR伊予大洲駅より車で5分
知覧は鹿児島の薩摩半島南端にある、日本で一番南に位置する小京都です。
江戸時代の庭園が残る武家屋敷が有名で、南国風でありながら和風情緒を感じさせる佇まいから「薩摩の小京都」と呼ばれています。
この地でつくられる特産の茶・知覧茶は、透き通った若緑色とさわやかな香りが特徴で、国内でも最高級の評価を得ています。
鹿児島市内や指宿温泉から1時間とアクセスも良好で、年間100万人が訪れる人気の観光地です。
知覧は江戸時代、薩摩藩傍流の佐多島津氏により統治されていました。
現存している武家屋敷は江戸中期の享保の頃に整備されたもので、上級武士の住居と外敵からの防御を兼ねています。
現存しておりませんが、城下町の中核を担った知覧城は敷地面積45万㎡もある広大な城郭だったらしく、続日本100名城のひとつに数えられています。
そんな美しい街・知覧ですが、哀しい歴史もあります。
太平洋戦争末期には、陸軍特攻隊の基地があり、ここから巣立った多くの若者が命を散らしていきました。
知覧は、とても奥行きが深い小京都でもあります。
江戸時代に薩摩藩の外城として発展した知覧の武家集落。
折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れており、「国の重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
江戸時代中期に造られた建物が多く、琉球王国や中国の影響を受けた建築様式が見られます。
現在7つの庭園が公開されており、「薩摩の小京都」にふさわしい情緒あふれる風情を満喫できます。
住所 : 鹿児島県南九州市知覧町郡6198
マップ: Googleマップ
アクセス : JR指宿枕崎線平川駅より知覧行きバスで30分
電話番号 : 0993-58-7878(知覧武家屋敷庭園保存会)
定休日 : 年中無休
営業時間 : 9:00~17:00
料金 : 大人530円・小中学生320円
公式URL : 知覧武家屋敷庭園
古き良き日本の面影を残す小京都は、心のふるさとでもあります。
はじめてなのに、どこか懐かしい小京都の旅。
慌ただしい日常を忘れ、日本の原風景に触れてみたいものですね。
最終更新日 : 2023/02/01
公開日 : 2020/03/19