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アイヌ語を語源とした地名が多い北海道は、難読地名の宝庫です。
こちらの読み方は「てしかが」。
町名の由来はアイヌ語の「テシカ・カ」(岩盤の上)に由来します。
北海道の東部に位置し、釧路市内から北に80km、釧路川の最上流部に位置しています。
町の面積の50%以上が「阿寒摩周国立公園」に指定されており、全国的に有名な観光資源が豊富な町です。
世界有数の透明度を誇る「摩周湖」や、日本最大のカルデラ湖である「屈斜路湖」は、この弟子屈町に属します。
風光明媚な景観だけでなく温泉も豊富に湧き、100%源泉かけ流しの「川湯温泉」や「摩周温泉」などは道東エリア屈指の名湯です。
濃厚スープが病みつきになるご当地グルメ「弟子屈ラーメン」も見逃せません。
青森県の大都市である「弘前(ひろさき)」や「八戸(はちのへ)」も、前知識がないと読めないかもしれません。
そして驫木、馬が3つからなる「驫」という漢字も普段目にすることはないと思います。
「驫木」は「とどろき」と読みます。
日本海を望む津軽半島西部の町・深浦町にある地名です。
波の音、瀬の音が轟(とどろ)く地であり、3頭の馬も驚いたとう言い伝えが名前の由来といわれています。
JR五能線にある「驫木駅」は、一日5本しか電車が止まらない無人駅です。
日本海を背景とした木造の駅舎は秘境駅そのもの。
しかし、ノスタルディックな佇まいは、訪れる人を魅了してやみません。
周囲には集落もなく、目の前に広がる日本海と青い空だけしかありませんが、2人だけの空間を満喫できるとあって、隠れたデートスポットとして知られています。
「青春18きっぷ」のポスターや映画『男はつらいよ』のロケ地にも使われた景観は、写真映えすること間違いなし!
駅舎から眺める日本海の夕日も、抜群の美しさです。
秋田県南部・羽後町の中心部にある地名で、「にしもない」と読みます。
名前の由来については諸説ありますが、アイヌ語の「ニシ(雲)・モム(流れる)・ナイ(川)」を漢字で表記したという説が有力です。
「馬音」部分以外が通常の読み方とはいえ、一度で正解するのは難しい地名ですね。
古くは小野寺氏の城下町として栄えた街であり、歴史的建造物や伝統行事が多く残されています。
毎年8月中旬に開催される「西馬音内の盆踊」は、日本三大盆踊りとして知られ、10万人近い見物客が訪れる一大イベントです。
亡霊に扮した踊り手と篝火に特徴がある幻想的な祭りであり、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
風味豊かな蕎麦・「西馬音内そば」もぜひ味わっておきたいものです。
北上市にある温泉地で、「げとう」と読みます。
夏至(げし)にみられるように、夏を「げ」を読むことはありますが、油を「とう」とは通常は読まないですね。
語源としてはアイヌ語の「グット・オ(崖のあるところ)」から名付けられたとの説が有力です。
また、冬は豪雪地帯のため温泉を利用できないことから「夏湯」となり、湯質が油のように見えることから「湯」が「油」に転じたとの説もあります。
夏湯温泉は、850年以上の歴史がある名湯です。
平家の落人が白猿に導かれて発見したとか、片腕を切り落とされた鬼が湯治したとか不思議な伝承が残されています。
焼石岳中腹の渓谷にある秘湯で、交通の便がよくないデメリットがありますが、100%かけ流しの源泉を楽しむことができます。
また、豊富な雪量を利用したスキー場としても有名で、広大なゲレンデとパウダースノーの雪質は、多くのスキー愛好家からも大絶賛の評価です。
山形県のほぼ真ん中に位置する都市で、「さがえ」と読みます。
「寒川神社」で有名な神奈川県寒川の住民が移住して開発したからとの説や、かつて「藻が湖」という湖があり、こちらに注いでいた川・寒川に由来する説などが存在します。
山形の特産品といえばサクランボ、中でも寒河江は県内随一だけでなく日本一の生産量を誇る街です。
市内で開催されるイベントや観光施設名に、サクランボの名を飾ったものが多く存在し、すっかり市のシンボルとなっています。
出羽三山で知られる月山や朝日連峰に囲まれ、市内を最上川や寒河江川などの清流が流れる風光明媚な街です。
寒河江城の城下町として栄えた歴史があり、市内には行基が開いたとされる「本山慈恩寺」をはじめ貴重な神社・仏閣が多く存在します。
寒河江十景に選ばれている「寒河江公園」は桜とツツジの名所として知られ、映画『櫻の園』の舞台にもなりました。
特産である日本一のサクランボは、ぜひ味わってみましょう。
仙台と松島の中間点にある漁業の街で、「しおがま」と読みます。
駅名や国・県の行政機関では「塩釜」の表記を使用していますが、正式には難しい「塩竈」です。
塩竈とは、海水を煮て塩をつくるかまど(竈)のことを指します。
かつてこの付近には塩竈がたくさんあったことから、塩竈と名づけられたといわれています。
ちなみに塩竈市の名前は、当地にある由緒ある神社・塩竈神社から命名されました。
こちらの神社の正式名称は「鹽竈神社」、ますます読めませんね。
日本三景に数えられる松島の玄関口であり、風光明媚な土地として知られています。
松島に属する島の半分以上が塩竈市に属し、特に有人の浦戸諸島は釣りや海水浴などのアクティビティを満喫できるエリアです。
地名の由来となった、陸奥国一宮である塩竈神社と志波彦神社は、東北でも屈指のパワースポットとして知られています。
また、塩竈は天然の良港、この漁港で水揚げされる新鮮な海産物を存分に楽しみましょう。
福島県と茨城県の県境にある街で、「なこそ」と読みます。
古代には陸奥と常陸を隔てる「勿来関」があったとされ、こちらが名前の由来とされています。
「勿来」とは、「こっちに来るな!」という意味。
律令時代の役人が、蝦夷が南下するのを防ぐために命名したとの説が有力です。
嫌な語源ですが、今ではそんな過去も信じられないほど人気観光地となっています。
現在はいわき市に属する勿来は、東京と仙台から等距離(177km)にあり、どちらからもアクセスが良好です。
福島県で一番広い海水浴場・勿来海岸をはじめ、豊かな自然と観光名所に恵まれ、県の内外から多くの観光客で賑わいます。
源義家や小野小町、西行法師らが和歌を詠んだ「勿来関」跡は、「勿来の関公園」として整備され、復元された寝殿造りの建物が古代情緒たっぷりです。
群馬県西端にある高原の村で、「つまごい」と読みます。
「嬬」は日常生活でほとんど使うことがない文字ですが、「妻」という意味です。
名前の由来は、かつて日本武尊が東征の折り、この地の鳥居峠で亡き妻・弟橘媛を追慕したとの故事に因んでいます。
嬬恋村のある「吾妻郡」の語源も同じです。
冷涼な高原気候に恵まれた嬬恋は、全国屈指の高原キャベツの産地として知られています。
浅間山を背景にしたキャベツ畑が一面に広がり、絶景のパノラマビューを楽しめます。
嬬恋の名前の通り「愛妻の聖地」として知られ、特に「愛妻の丘」は夫婦円満の必見スポットです。
のどかなキャベツ畑とは異なった荒涼とした光景が広がる「鬼押出し園」は、浅間山噴火の脅威を実感できるスポットとして人気があります。
また、有名な万座温泉や鹿沢温泉など、温泉も豊富に湧出する魅力的な村です。
「壬」も馴染みのない漢字ですが、こちらの地名は「みぶ」と読みます。
栃木県中南部にある町で、町名はこの地を開発した壬生一族に由来しています。
難読地名ですが、町内には「おもちゃのまち」という住所が存在していることもユニークです。
「壬生町おもちゃのまち」なんて住所も素敵ですね。
町内にある「壬生町おもちゃ博物館」は、見て・聞いて・触れる体験型の玩具博物館です。
住所名の「おもちゃのまち」は玩具メーカーの工場・倉庫が集まった工業団地、ここに拠点を置く各社が結集した5万点近いおもちゃが展示されています。
隣接する「とちぎわんぱく公園」とともに、世代を超えて楽しめるスポットです。
行方不明の「ゆくえ」?
こちらは何と「なめがた」と読みます。
茨城県南東部の水郷エリアにある市で、平成17年に旧行方郡の3町が合併して誕生しました。
名前の由来は、日本武尊が東征した際、水辺と大地が入り組んだ当地を「行細し(なめくわし)」と呼んだことだとされています。
行方市は、霞ケ浦と北浦という2つの大きな湖に挟まれた風光明媚な地です。
道の駅に隣接している「霞ヶ浦ふれあいランド」は、日本第2の湖・霞ケ浦を間近に体験することができます。
湖畔を散策したり、併設している展望塔からの眺望を楽しんだり、湖産グルメに舌鼓を打ったりと、大湖・霞ケ浦の魅力をたっぷりと満喫してみましょう。
埼玉県のほぼ真ん中にある町で、「おごせ」と読みます。
戦国武将・太田道灌ゆかりの地で、有名なエピソードである「山吹の里」は越生にあったとされています。
名前の由来として、この地方から秩父方面に赴くためには急峻な山尾根を通らなければならなかったことから「尾根越し」、やがて「おごせ」に変化したという説が有力です。
山吹伝説でも知られているように、越生は花が咲き乱れる美しい土地です。
特に「越生梅林」は関東三大梅林のひとつに数えられる名所で、広大な敷地に25000本の梅が開花する姿は絶景!
古来から修験道の聖地として知られた「黒山三滝」もまた、見逃せない観光スポットです。
何て読むのか全く見当がつかないほど難解な地名ですが、小さな集落ではなく市の名前…「そうさ」と読みます。
太平洋に面した千葉県北東部にあり、平成18年に八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して誕生しました。
匝瑳とは「美しい麻がとれる土地」という意味があるそうで、遠く飛鳥時代から受け継がれている伝統ある地名です。
あえて難しい市名を選んだことに、この名前に対する地元の愛着と誇りが感じられますね。
全国的に知られた観光スポットはありませんが、九十九里浜の雄大な海と心和む里山に囲まれた、魅力的な街です。
市内には日蓮宗の檀林(学問所)として栄えた飯高寺や、古い街並みが残る旧八日市場など見どころがいっぱいあります。
また、匝瑳は全国屈指の植木の街なので、お気に入りの苗木を探してみましょう。
東京都練馬区にある地名で、「しゃくじい」と読みます。
はじめてこの表記を見た人には、まず読むことができない難読地名です。
石神井の由来は「石神様」にあるといわれ、むかし村人が井戸を掘った時に、めでたい霊石が出てきたことがはじまりとされています。
この霊石を祀ったのが現在の石神井神社、村の名前も「石神井」になったそうです。
鎌倉時代から存在する歴史のある地名です。
石神井といえば、都民の憩いの場である「都立石神井公園」が有名です。
三宝寺池を中心とした広大な公園で、ピクニックや散歩、スポーツを楽しむには最適な公園です。
園内には水生植物群や雑木林が残り、古き武蔵野の面影を偲ばせます。
石神井公園はかつての石神井城跡に造られました。
戦国時代に落城した折り、城主・豊島泰経の娘(照姫)が三宝寺池に入水したとの伝承が残されています。
この悲話を偲んで、毎年春に「照姫まつり」が園内で盛大に催されます。
鎌倉市にある切通しのひとつで、「けしょうざか」ではなく「けわいざか」と読みます。
名前の由来は諸説ありますが、むかし敵将の首を化粧したから、周辺に遊女が多かったから、険しい坂だったからなど様々です。
鎌倉時代には最も重要な道路(切通し)であり、1333年の鎌倉攻めの際には激戦地となりました。
今も現役の道であり、源氏山公園までのハイキングルートとして利用されています。
名将・新田義貞ですら突破できなかった難路の化粧坂。
現在でも源氏山公園や銭洗弁天までの近道として、ハイキング気分で歩くことができます。
舗装はされておらず、急勾配の坂がありますが、歴史の風情が感じられる人気の山道です。
春先にはヤマザクラ、秋には紅葉でとても美しく彩られます。
しのぶくさ?にんそう?
こちらは「しぼくさ」と読みます。
富士山の麓に位置する「名水の里」・忍野村(おしのむら)(こちらも難読地名!)にある地区名です。
忍草とは、山野草の一種で「富貴草」のこと。
春先に花を咲かせますが、深い雪をじっと耐えて冬を越すことから、別名シノブグサ(忍草)とよばれています。
また、常緑の葉が生い茂ることから、繁殖を祝う意味もあり、村の花にも指定されています。
忍野村は明治8年、旧「忍」草村と、旧内「野」村が合併して誕生しました。
この村の観光名所は忍草エリアに集中しています。
「忍野八海」は、富士の湧水が織りなす泉群が美しい、全国的にも有名な観光スポット。
水族館を併設した「さかな公園」では、名水の里らしさをたっぷりと満喫できます。
長野市北部の山奥にある秘境で、「きなさ」と読みます。
周囲を山に囲まれているにも関わらず、昔から交通や文化の要衝として栄えた土地でした。
数々の不思議な伝承が残っており、「鬼無里」という名前の由来にもなっています。
ひとつはこの土地に遷都しようとした朝廷に対して、この地に棲む鬼たちが激しく抵抗したために滅ぼされていまったという説。
また、都を追放されてこの地で暮らしていた「紅葉」という女性が鬼女となり、朝廷が派遣した討伐軍と戦って滅ぼされてしまったという説。
どちらにしても鬼が成敗されていなくなったから「鬼無里」になったといわれています。
各地にこうした伝承に基づく地名が残っているところです。
秘境ムードたっぷりの「奥裾花渓谷」や日本最大の水芭蕉群集地・奥裾花湿原など、フォトジェニックな絶景スポットがたくさんあります。
先述の「遷都鬼伝説」や「紅葉伝説」、そして木曽義仲伝説など興味深い伝承跡を巡ってみるのも楽しいでしょう。
特産の「おやき」やそばも絶品です。
魚は「い」って読むの?と思われるかもしれませんが、「いといがわ」と読みます。
新潟県の一番西側、日本海に面した市です。
市内をフォッサマグナが通っており、日本を東西に分ける境界線上にあります。
名前の由来は、市内の川に淡水魚・イトヨがたくさん棲んでいたから、水害が多い「厭な川」が転化したから、弘法大師が糸をつけた棒を川に投げ込んだら魚に変身したからなど諸説あります。
隣接する富山のヒスイ海岸(境・宮崎海岸)とともに、海岸で翡翠が打ち上げられる素敵な場所です。
市内全域がユネスコ世界ジオパークに指定されており、24もの興味深いジオサイトが存在します。
中でも有名なのが、海岸域にある名勝・「親不知・子不知(おやしらず・こしらず)」、全長15kmに渡って断崖絶壁が続きます。
遊歩道や展望台が設置されていて、激しい荒波を見学することが可能です。
また、海岸を散策しながらパワーストーン・翡翠を探してみましょう。
通常は「とだ」と読みますね。
埼玉県にある戸田市は「とだ」ですが、こちらは「へだ」と読みます。
西伊豆にある風光明媚な観光地、そして深海魚の聖地としても知られています。
由来ははっきりしませんが、アイヌ語に語源のある「ヘダ」といわれ、明治時代まで「部田村」と表記されていました。
やがてわかりやすい「戸田村」となり、2005年に沼津市に編入されて現在に至っています。
伊豆半島屈指の人気観光地である戸田には、「御浜岬」や「出逢い岬」、「煌きの丘」など絶景ビュースポットが盛りだくさん。
駿河湾越しにみえる富士山の眺望も素晴らしく、ドライブデートにもぴったりです。
なお、この周辺の水深は深く、深海魚の宝庫でもあります。
「沼津港深海生物館」は珍しい深海魚専門の水族館で、めったに出会えない深海魚に楽しく触れ合うことができます。
深海魚漁も盛んで、タカアシガニやメヒカリ、ゲホウなどの深海魚を使った料理は、戸田に行ったらぜひとも味わってみましょう。
豊田市はトヨタ自動車の企業城下町、改名する前は「拳母市(ころもし:こちらも難読地名!)」と名乗っていました。
足助は「あすけ」と読み、平成17年(2005年)に豊田市に編入された旧町です。
古来から三州街道(潮の道)の宿場町として栄え、足助の名前は平安時代後期に当地を支配した足助一族に由来します。
足助最大の見どころといえば、東海地方屈指の紅葉の名所・香嵐渓(こうらんけい)です。
イロハモミジやオオモミジなど11種類の楓が4000本近く植えられており、赤や黄色に彩られた景観は言葉を失うほどの美しさ。
他にも歴史ある神社・仏閣や、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された古い街並みなど、観光スポットが豊富にあります。
岐阜県の自治体もまた、難読で読みづらい名前が多いようです。
東濃エリアに属するこちらの市も難読ですが、「みずなみ」と読みます。
中山道の宿場町として栄えたところで、名前は「土岐川の水の南」、または「瑞穂(水稲)の波打つ地」から名付けられたとされています。
可児川上流にある奇岩エリア・「鬼岩公園」や「竜吟の滝」など、飛騨木曽川国定公園に属する渓谷美に恵まれています。
また、中山道の宿場町だった大湫(おおくて)宿や細久手宿など、江戸情緒溢れる街並みが残っているところです。
美濃焼の街としても知られ、世界一としてギネス認定されている巨大な「大皿、狛犬、茶壺」も必見。
原始哺乳類・デスモスチルスの化石が発見された場所でもあり、化石発掘体験も可能です。
富山県の西端・小矢部市の中心となる町で、市内唯一の駅の名前にもなっています。
難しい漢字を使っていませんが難読で、「いするぎ」と読みます。
その由来は戦国時代の天正13年(1585年)、前田利家の甥・前田利秀が霊峰・石動山(せいどうさん)の伊須流岐比古神社にあった虚空像菩薩を、城下町だった当地に移したのがはじまりです。
最初に「今石動(いまいするぎ)」と名づけられ、やがて現在の「石動」になったとと伝えられています。
石動町として存続していましたが、昭和37年に中町と合併し「小矢部市」が誕生しました。
黒部峡谷や富山湾沿いの都市と比べたら、小矢部(石動)には観光資源が多くない現状があります。
町おこしの一環として学校や公共施設をヨーロッパ有名建築風に改築し、「メルヘンの街並み」として有名になりました。
源平合戦において、木曽義仲が「火牛の計」を用いて平家に勝利した「倶利伽羅峠」も小矢部にあり、現在県定公園として整備されています。
富山のご当地グルメ・「富山ブラック」のローカル版、「小矢部ホワイトラーメン」もぜひ味わってみたいものです。
能登半島の最果てにある市で、「すず」と読みます。
その名前は、崇神天皇の時代に創建されたと伝わる「須須神社」から命名されました。
須須神社で祀られている神様が、五穀豊穣の神・美穂須須見命で、稲穂を振ること(鈴)によって国を鎮めているといわれています。
鈴を縁起よく言い換えた言葉が「珠洲」で、真珠のように美しい洲という意味があります。
奥能登の秘境ムードたっぷりな景観を楽しめます。
能登半島のシンボル・「見附島」は、高さ28mにも及ぶ奇岩で、珠洲随一の観光名所です。
他にも「禄剛埼」や「仁江海岸」など、海岸美と夕日の絶景が楽しめる景勝地に恵まれています。
名前の由来となった「須須神社」と最先端にある「珠洲岬」は強力なパワースポットとして知られているので、ぜひお参りしてパワーをもらいましょう。
「つるが」は福井県を代表する都市です。
地名は、古代に朝鮮から渡ってきたツヌガアラヒト(都怒我阿羅斯等)に由来します。
ツヌガアラヒトとは「角がある人」という意味なのですが、実際には額から角が生えた怪人ではなく、兜をかぶった朝鮮の王子だったといわれています。
『日本書記』にはこの人物が敦賀を開拓したと記載してあり、敦賀駅前にはツヌガアラヒトの銅像が建っています。
古代から政治の重要拠点・交通の要衝として栄えた歴史があり、日本史にしばしば登場する街です。
古い歴史を持つ敦賀には、由緒ある神社・仏閣をはじめ貴重な歴史的遺構が豊富にあります。
「氣比神宮(けひじんぐう:こちらも難読)」は、北陸道の総鎮守として崇められている由緒ある神社です。
古代から明治時代に至るまでの歴史的遺構を訪ねてみるのも、歴史好きの人にはたまりません。
また、敦賀の海岸はとても綺麗なことで知られています。
白砂が美しい「手の浦」や、コバルトブルーの海に囲まれた無人島・「水島」など、北陸とは思えないほどのリゾートビーチが広がります。
日本三大松原に数えられる景勝地・「気比の松原」も見逃せません。
現在は大津市の一部になっている地名ですが、読み方は「ぜぜ」と読みます。
前知識がないと全く読めませんね。
江戸時代には膳所藩の城下町として栄え、昭和8年(1933年)に大津市と合併するまで「膳所町」として独立していました。
現在でも駅名に名前を残しています。
この地は天智天皇が遷都した「大津京」時代、獲った魚を調理する御厨所に定められていました。
そのため、天皇の召し上がる「陪膳(おもの)」の浜、陪膳浜と呼ばれていたのです。
やがて陪膳所→膳所(ぜんぜん)となり、さらに短縮して「ぜぜ」になったといわれています。
徳川家康は東海道を掌握するため、旧来の大津城を配して膳所城を築かせ、膳所藩を成立させました。
膳所には旧武家屋敷の土塀が今も残り、旧城下町の佇まいを残しています。
かつて名城と称えられた膳所城跡は「膳所城跡公園」として整備されており、この場所から眺める琵琶湖の景観は抜群です。
三重県北部・鈴鹿山脈の山麓に位置する町で、「こもの」と読みます。
「鈴鹿国定公園」に指定された、山岳の大自然に囲まれた地です。
古くから近江と伊勢を結ぶ交易路として栄え、往時の繁栄を伝える歴史的遺構もたくさん残されています。
菰野の名前は、この一帯がマコモが生い茂る原野であったことから名付けられました。
鈴鹿山脈に位置する標高1212mの「御在所岳」は、菰野町一番の観光スポットです。
急峻な岩壁や四季折々の花が美しい山で、山頂までは日本一の規模を誇るロープウェイで繋がっています。
山頂からの眺めは素晴らしく、伊勢湾が一望できるほか、遠く知多半島や琵琶湖の眺望も楽しめます。
山中にある「湯の山温泉」は、奈良時代に開湯したといわれる名湯です。
「むろ」と読みます。
とても難しい漢字を使っており、地元の人以外は答えられないかもしれません。
かつては紀伊半島南部一帯を指す地域名であり、牟婁郡の名前は和歌山県と三重県に跨って存在していました。
三重側に北牟婁郡と南牟婁郡がありましたが、自治体の独立等で消滅してしまい、現在は和歌山側の「西牟婁郡」と「東牟婁郡」を残すのみとなっています。
牟婁とは「室(むろ)」のことで、「周りを囲まれた土地」という意味がありますが、実際には辺境の地を指していたようです。
孝徳天皇が治めていた飛鳥時代から使われていた、とても古い地名でもあります。
那智勝浦・串本(東牟婁郡)、南紀白浜(西牟婁郡)と、和歌山を代表する観光スポットが集中しています。
ユネスコ世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場」や「那智の滝」、「潮岬」、「アドベンチャーワールド」など見どころが満載です。
いにしえの都・奈良には、神代の時代から続く難読地名が多く残っています。
奈良県北部にある斑鳩(いかるが)もまた、漢字で表記すると非常に難しい地名です。
聖徳太子ゆかりの地であり、飛鳥時代には日本の首都機能を果たしていました。
現在の斑鳩は、日本の原風景が広がるこじんまりとした町です。
斑鳩の名前は、この地に斑鳩(イカル)という小鳥の群れが棲んでいたことから名付けられたといわれています。
聖徳太子が法隆寺を建てる場所を探している時、このイカルの群れが空に舞い上がって、建てるべき地を教えたという伝承も残っています。
また、伊香留我伊香志男命(いかるがいかしおのみこと)という神を祀ったからという説もあり、はっきりとした由来はわかっておりません。
斑鳩に一歩足を踏み込めば、いにしえの飛鳥時代に戻ったかのような、どこか懐かしい気分を感じられます。
法隆寺は聖徳太子が建立した日本最古の木造建築。
五重塔や金堂、夢殿など貴重な建造物を間近に見学できます。
他にも法起寺や中宮寺、法輪寺など、1400年近い歴史を持つ古寺が多数残っているので、巡礼しながらはるか古代のロマンに浸ってみましょう。
1000年の都・京都には、独特の読み方をする地名が多く存在します。
時代劇の撮影所として知られる「太秦(うずまさ)」もまた、とても難読な地名です。
この名前のルーツはとても古く、平安京ができるずっと昔の古墳時代、雄略天皇の御代に遡ります。
始皇帝の末裔とされる渡来人の秦氏は、日本に定住して土木技術や酒造り、養蚕などの先進文化を広めていました。
一族の秦酒公は、すぐれた絹織物を作り雄略天皇に献上したといわれます。
天皇はとても喜び、秦酒公に「絹をうずたかく積む」ことを意味する「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えたことが語源です。
やがて「偉大なる秦」という意味の「太秦」の字が当てはめられることになったそうです。
太秦といえば時代劇、「東映太秦映画村」は必見の観光スポットです。
映画撮影所の一部をテーマパークとして開放したもので、今では時代劇だけでなくキッズ向けのアトラクションも充実しています。
また、名刹・広隆寺への参拝も見逃せません。
聖徳太子の命を受けて秦氏が建立した寺で、国宝第1号の「弥勒菩薩半跏思惟像」が安置されています。
堺市にある地名で、「もず」と読みます。
モズは里山で普通にみられる野鳥で、漢字で書くと「百舌鳥」です。
この周辺は古墳時代、初期の大和政権が拠点を置いたところでもあります。
しかし、なぜ百舌鳥なのか?それはこの地のシンボル・「仁徳天皇陵」と深い関わりがあるのです。
かつて石津原と呼ばれていた当地に「仁徳天皇陵」を造営することになった時のことです。
工事中に1頭の暴れたシカが現れ、作業に携わっていた人々に危害を与えそうになりました。
しかし、突然シカが倒れて死に、作業員は怪我を負うことなく無事で済んだのです。
やがてシカの耳から、耳を食い裂いたモズが現れ、人々はモズに感謝して地名を「百舌鳥」と改称したと伝えられています。
ちなみに大阪府の鳥はモズで、今でも感謝の念を忘れていません。
百舌鳥周辺は古墳の街で、初期天皇の古墳がたくさん残っています。
4~6世紀に築造された巨大な前方後円墳が44基も現存しており、一番有名な古墳は墳丘長486mの「仁徳天皇陵」で世界最大級の大きさです。
近隣にある「古市古墳群」とともにユネスコ世界遺産に指定されました。
古墳内には入れませんが、サイクリングしながら古墳群を周遊するのはとても快適です。
堺市役所の展望台に登れば、仁徳天皇陵をはじめ古墳群の絶景を満喫できます。
東の横綱・千葉の「匝瑳」に対して、西の横綱と称される難読地名の最高峰!
どうしてこのように読むのか悩みますが、「しそう」と読みます。
匝瑳市とは難読地名同士の文化交流が盛んに行われています。
宍粟は兵庫県西部にある市で、県内では豊岡市に次いで2番目の広さを誇ります。
平成17年(2005年)に旧宍粟郡の4町が合併して誕生しました。
名前の由来については諸説ありますが、旧山崎町にあった宍禾(ししあわ)が語源だともいわれています。
奈良時代に編纂された『播磨風土記』によると、7つの里をもって宍禾郡(ししあわのこおり)が建郡されたとの記述が見られます。
この宍禾は「宍粟」とも表記し、この文字が市名として採用されました。
発酵の街ともいわれ、最古の日本酒はこの地で誕生したと伝えられています。
市の大部分が森林地帯であり、「音水渓谷」や「福知渓谷」、「原不動滝」など山岳の大自然を満喫できる見どころが豊富です。
旧波賀城跡を整備した「波賀城史跡公園」や山崎城跡の「本多公園」、篠の丸城跡の「最上山公園」など、古城散策も必見。
スキー場も複数あり、冬のシーズンはウィンタースポーツも楽しめます。
観光地としては地味な印象がありますが、歴史と自然、スポーツそして温泉まで満喫できる素晴らしい街です。
ビサク?ミサク?
正解は「みまさか」です。
岡山県東部にある市で、平成17年(2005年)に周辺の5町1村が合併して誕生しました。
旧国名「美作国」から命名されましたが、なかなか読めない地名ですね。
美作の由来として、「美しい坂」説、「水沼が栄える地」説、「甘酒」説、「三坂峠」説など諸説あり、はっきりしません。
市域のほとんどが山林地帯であり、岡山県で最も人口が少ない市です。
美作は剣豪・宮本武蔵生誕の地との伝承があります。
「武蔵の里」には武蔵の生家や墓、資料館などが存在しており、この剣豪ファンにはたまらない場所です。
また「大原宿」は旧因幡街道の宿場町で、本陣跡などの屋敷群が現存しており、江戸情緒がたっぷりと感じられます。
「バレンタインパーク作東」や「愛の村パーク」はデートにもおすすめです。
日本三景にしてユネスコ世界遺産にも指定されている「安芸の宮島」。
しかし、宮島がある自治体はどこかと尋ねられると、なかなか答えられないかもしれません。
正解は廿日市市「はつかいちし」と読みます。
昭和63年に発足した旧廿日市市は、平成17年の大合併により宮島を市域に含むことになりました。
廿日市には、「20日の市」という意味があります。
この地域では鎌倉時代以降、厳島神社の祭礼に伴う市が毎月20日に開催されたため、「廿日の市」の名前が定着したといわれています。
四日市や八日市場など「市」を地名にした場所は全国に存在しますが、鎌倉時代にルーツがある廿日市は日本最古の「市」の地名です。
安芸の宮島は、全国屈指の景勝地で全島が神域に指定されているため、手つかずの大自然がたっぷり。
海上に浮かぶ朱塗の大鳥居がシンボルの厳島神社は、宮島を代表する観光スポットで、ユネスコ世界遺産に指定されています。
平成の大合併により市域になった内陸部では、「万古渓」や「中津谷渓谷」など豊かな渓谷美も楽しむことができます。
サンチョウ?ミツアサ?
いいえ、少し変わった読み方で、「みささ」と読みます。
鳥取県のほぼ真ん中にある町で、志賀直哉や松本清張の小説にも登場する名湯・「三朝温泉」で知られています。
平安時代末期に開湯されたと伝わる三朝温泉は、効能抜群の療養温泉。
「この湯に浸かると3日目の朝には病が治る」とまで噂されたことが、温泉名および町名の由来とされています。
多くの文人に愛された三朝温泉は、鳥取県下有数の名湯で、日本情緒溢れる温泉街も魅力的です。
また、断崖絶壁に建つ「国宝」・三徳山三仏寺の投入堂は、参拝への道程が難しいパワースポットとして知られています。
渓谷美が絶景の「小鹿渓」も人気です。
島根県最大の都市・松江のシンボルでもある「宍道湖」、こちらは「しんじこ」と読みます。
有名な湖ですが、漢字で表すと読めないですね。
その名前の由来は、大国主命が犬を使って狩りをしていた際に、その犬と獲物の猪が石に変わってしまったとの伝承にあるとされています。
『出雲風土記』には「猪の道」を意味する「宍道の郷」が記されており、宍道湖および旧宍道町のルーツになったようです。
今でも松江市内の「石宮神社」には、猪石や犬石なるものが存在します。
宍道湖は周囲約47km、日本で7番目に大きな湖です。
汽水湖のため、棲んでいる魚介類は豊富で、ヤマトシジミや白魚、スズキ、ワカサギなど「宍道湖七珍」は、松江を代表する味覚となっています。
また、季節や時間帯によって表情を変える美しい景観は、「日本百景」のひとつでもあります。
宍道湖は国内でも有名な絶景夕日スポットとして知られています。
湖に浮かぶ島・嫁が島をシルエットにした夕日は感動モノで、ぜひとも見ておきたいものです。
湖を望む国宝・松江城も見逃せません。
「祢」も普段あまりお目にかからない漢字ですね。
山口県の真ん中にある市で、「みね」と読みます。
周囲を山に囲まれており、山口県内では唯一海に面していない自治体です。
名前の由来も「山に囲まれているから」ということで、峰が転化して「美祢」になったといわれています。
その地形を活かした観光資源が豊富に存在します。
美祢市が全国に誇る有名観光スポットといえば、「秋吉台」と「秋芳洞」が挙げられます。
秋吉台は日本最大のカルスト台地であり、その総面積は54㎢にも及ぶ広大なもの。
石灰柱が点在する大草原は開放感抜群で、四季折々の変化に富んだ絶景を楽しむことができます。
その秋吉台の地下100mに位置する秋芳洞は、特別天然記念物に指定されている日本屈指の鍾乳洞です。
総延長は約10kmにも及び、うち1kmが観光コースとして開放されています。
高さ15mもある「黄金柱」をはじめ、大自然の驚異を感じる造形群は、まさに感動モノです。
愛媛県の真ん中に位置する町で、「くまこうげん」と読みます。
こちらの町が属する「上浮穴郡」も難読で、「かみうけなぐん」とは読めませんね。
「くま」とは元々山奥、または山に挟まれた土地を意味する言葉で、室町時代頃から「久万」の表記が使われてきました。
標高1000mを超える四国山地に囲まれているため冷涼な気候であり、「四国の軽井沢」とも称されるところです。
久万高原は、四国有数の景勝地・「四国カルスト」の中心部に位置しています。
町内にある「姫鶴平(めづるだいら)」は、見渡す限りの大草原が広がる人気スポットであり、放牧された牛が草を食む牧歌的な風景を楽しむことができます。
また、高知県との県境に広がる「天狗高原」は、シラカバやアカマツが生い茂る自然豊かなエリアで、ここから眺めるカルストの大パノラマは圧巻です。
紫の雲が出る山と書いて、「しうでやま」と読みます。
三豊市にある標高352mの小高い山で、瀬戸内海に面した荘内半島のほぼ中央に位置しています。
その名前は、なんとおとぎ話の「浦島太郎」に由来しているそうです。
乙姫様からもらった玉手箱を開けてしまった場所との伝承があり、出てきた白煙が紫色の雲になって山にたなびいたことから名付けられたといわれます。
とってもロマンのある地名ですね。
山頂にある展望台からの眺望は圧巻で、言葉を失うほどです。
小豆島や向かいの本州、瀬戸内海の多島美が360℃の大パノラマで楽しめます。
また、四国屈指の桜の名所として知られ、約1000本のソメイヨシノやヤエザクラが、瀬戸内海の多島美を背景に咲き誇る姿は絶景!
山全体が桜色に染まり、瀬戸内海の青い海とのコントラストは素晴らしいです。
「いやけい」と読みます。
吉野川の支流である祖谷川沿い位置しており、高低差のあるV字谷が約10kmに渡って続いている渓谷です。
仙人か妖怪が棲んでいそうな、深山幽谷の秘境として知られています。
語源としては諸説ありますが、「いや」とは元々「祖霊のいる土地」という意味があり、その意味に合った漢字を当てはめたという説が有力です。
秘境ムードがたっぷり味わえる、人気のある観光地です。
植物で造られた吊り橋・「かずら橋」をはじめ、こなきじじいの故郷・「大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ:こちらも難読)」などユニークな名所がたくさん存在します。
忘れてはならないのが「小便小僧」。
渓谷を見下ろす崖の上に設置されており、スリル満点の絶景を楽しめる必見スポットです。
太平洋に突き出した四国最南端にある岬で、「あしずりみさき」と読みます。
「足摺」とは、本来「地団駄を踏む」という意味があり、嘆いたり怒ったりする時に(足を地に擦りつけるように)バタバタする動作を指します。
海に面した岬という土地柄、こんな名前が付けられるなんて怖い感じがしますが、実際にとても悲しい伝承が残されています。
むかし近くにある補陀洛院に、住職と小僧が2人で住んでいたそうです。
ある日、旅の僧に化した菩薩が寺に現れ、親身になって世話をしてくれた小僧を、この岬から「補陀洛世界(来世)」へ連れて行ってしまいました。
この光景を見た住職は、足摺しながら嘆き悲しんだとされ、以降この岬が「足摺岬」と呼ばれるようになったとされています。
足摺岬は「足摺宇和海国立公園」に指定され、そしてミシュランガイドの二つ星評価を受けている景勝地です。
岬展望台から眺める、紺碧に染まる太平洋の大海原は迫力満点で、ダイナミックな自然の力を実感します。
また、周辺の海域は珊瑚礁が広がる亜熱帯の海で、日本初の海中公園に指定されました。
グラスボートや観光施設「足摺海底館」からも、その素晴らしい水中景観を楽しめます。
古来から神域として栄えた県北部の市で、「むなかた」と読みます。
「宗像大社」に名前のルーツがあり、御祭神である宗像三女神の降臨・鎮座に際してその形代を奉斎した「身の形」・「身の像」が由来とされています。
福岡市と北九州市の中間点に位置する主要都市であり、由緒ある神社・仏閣など観光資源が豊富な街です。
宗像市の名前の由来となった「宗像大社」は、宗像三女神を祀る由緒正しき神社です。
総社である「辺津宮」のほか、神守る島・筑前大島にある「中津宮」と沖合の島・沖ノ島にある「沖津宮」の3社から成り立っています。
海上・交通安全にご利益があるとされ、全国に7000社あるといわれる宗像神社や厳島神社の総本社でもあります。
2017年、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として、ユネスコ世界遺産に登録されました。
玄界灘に面しており、トラフグなど海の絶品グルメも楽しめる街でもあります。
「よびこ」と読みたくなりますが、正式には「よぶこ」と読みます。
玄界灘に面した東松浦半島の北部に位置し、漁業の町としても知られています。
この呼子という名前の由来については諸説ありますが、一番興味深い説が「佐用姫伝説」です。
飛鳥時代のこと、武将の大伴狭手彦は朝鮮半島へ出兵する途上にこの地に立ち寄り、村長の娘・佐用姫と恋に落ちたそうです。
やがてこの地を去ることになった狭手彦ですが、別れがつらい佐用姫は狭手彦の名を呼びながら泣き叫び、やがて石になってしまいました。
この伝説から、この地を呼子と呼ぶようになったといわれています。
現在は唐津市の一部となった呼子は、観光漁業が盛んな町です。
「イカのまち」として全国的に知られ、新鮮なイカの活造りや回転するイカ干しは名物になっています。
漁港近くで毎日開催される「呼子朝市」は、日本有数の朝市のひとつ。
約200mの朝市通りには50軒近い露店が立ち並び、観光客にも大人気です。
元々は長崎県中部にある広範囲なエリアを示した地名で、「そのぎ」と読みます。
かつては長崎市の大部分と、佐世保市や諫早市の一部も「彼杵郡」に属していました。
今では「西彼杵半島」、「西彼杵郡」と「東彼杵郡」及び東彼杵郡に属している「東彼杵町」が、彼杵の名前を冠しています。
この難解な名前の由来については諸説ありますが、一説によると古墳時代にまで遡るといわれています。
第12代景行天皇の御代、土蜘蛛と蔑称された現地豪族から獲得した土地を「具足玉国(そないたまのくに)」を命名したことがはじまりのようです。
この地名が転化して彼杵となったとされ、朝廷の郡衙が置かれるようになりました。
長崎市を含む旧彼杵には、県内の主要な観光スポットが凝縮しています。
うち現在も町名に彼杵を使用している「東彼杵町」は、大自然に恵まれたのどかな町です。
「龍頭泉」や「玉簾の滝」など渓谷の景勝地や、日本の原風景を思わせる棚田が広がり、癒しの観光を期待できます。
「あんしんいん」と読みたくなりますが、実際の呼び名は難しく「あじむ」と読みます。
大分県北部にあった町で、2005年の平成大合併により新生「宇佐市」に含まれることになりました。
宇佐市になっても安心院の名前は引き続き使用されています。
この難解地名の由来については諸説ありますが、かつてこの地が湿地帯だったことに起源があるようです。
干潟だった当地には芦がたくさん生えており、芦生(あしぶ)の里と呼ばれていたものが「安心」に転化し、やがて宇佐神宮の倉院が設置されるに及び「安心院」になったとされています。
宇佐市の安心院町には、九州最大級のサファリパーク・「九州自然動物公園アフリカンサファリ」が存在します。
約115㎡の敷地は日本最大級で、70種1400頭近い動物が展示されています。
また「九州華厳」と称されるほど落差が激しい「東椎屋の滝」も必見です。
八代湾に面した宇土半島南部の地名で、「しらぬひ(しらぬい)」と読みます。
夏のほんの短い期間だけ八代湾に出現する怪火現象・不知火から命名された、とても神秘的な名前です。
かつては不知火町として存続していましたが、2005年の平成大合併により「宇城市不知火町」となりました。
名前のルーツは、景行天皇の九州巡幸の際にあったエピソードに由来します。
天皇が海上で迷ってしまったときに怪火を目撃、その火に導かれて陸に上がることができたというもの。
天皇が地元民に怪火の正体を訪ねたところ、誰も答えられなかったことから「不知火」になったと伝わっています。
かつては妖怪の仕業と考えられましたが、今では蜃気楼の一種であることが判明ました。
怪火・不知火は旧暦8月1日の深夜、干潮時に現れやすいといわれます。
海上に鳥居が建つ「永尾剱神社」は、夕景もすばらしいのですが、不知火鑑賞のベストスポットとして知られています。
また、町内の「松合」地区は江戸から明治にかけて醸造の町として栄えたところで、白壁土蔵の街並みは情緒たっぷりです。
「九州の小京都」と称される風情豊かな城下町で、「おび」と読みます。
風光明媚な日南海岸のある、県南部の日南市に位置しており、宮崎県でも人気の観光スポットです。
飫肥とは「肥沃で豊かな土地」という意味があるそうで、温暖な気候と風土、豊富なグルメに恵まれているところでもあります。
飫肥は、伊東氏飫肥藩5万1千石の城下町として、明治維新まで栄えたところです。
武家屋敷跡や風情ある石垣、漆喰塀が美しい街並みが今も残り、小京都ムードたっぷりな散策を楽しめます。
この街並みは、九州地方ではじめて国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。
名物「おび天」を味わいながら、街あるきを楽しんでみましょう。
砂風呂で有名な薩摩半島最南端の市で、「いぶすき」と読みます。
温泉好きの人には知られた地名ですが、それでも「指宿」が「いぶすき」だなんて難しいですね。
以前はもっと難しい「揖宿」という漢字が当てはめられていました。
古来より「砂蒸し」の温泉行楽地として知られ、「湯の豊かな宿」を意味する「湯豊宿(ゆほすき)」と呼ばれていたようです。
やがて「湯豊」が「指」に転化して、指宿となったといわれています。
砂風呂の醍醐味を味わえる指宿温泉。
中でも一番人気は海岸にある「摺ヶ浜温泉」で、目の前にある海を眺めながら至福の温泉タイムを体験できます。
砂風呂だけでなく、もちろん普通の温泉も楽しめますよ。
また、薩摩富士と称される「開聞岳」や「池田湖」など、温泉以外の観光スポットもたっぷりです。
北海道と並び、沖縄県は難読地名の宝庫です。
琉球言葉(ウチナーグチ)を語源とする沖縄の地名は、本土の人から見ればほとんどが難読といっても過言ではありません。
沖縄本島中部にある村・今帰仁もまた難しく、「なきじん」と読みます。
名前の由来ははっきりしませんが、かつて外来者がこの地を支配した歴史があるとされ、最初は「外来者(いまき)統治(じり)」とよばれていたようです。
やがて「いまきじん(今鬼仁)」となり、江戸時代初期には現在の「今帰仁」になったと伝えられています。
大きな観光施設はありませんが、手つかずの大自然や昔ながらの風景が残る街です。
ユネスコ世界遺産にも指定されている今帰仁城は、現在は石垣を残すのみですが、青い空と緑の芝とのコントラストが絶妙の必見スポットです。
神の島と称される「古宇利島」もまた今帰仁村に属しています。
エメラルドグリーンの海に囲まれた楽園で、周辺の海は本島のなかでも屈指の美しさを誇ります。
約2kmにおよぶ「古宇利大橋」のドライブは、言葉を失うほどの絶景が待っていますよ。
全国の難読地名をご紹介しました。
皆さんの周りにも、なんて読むのかわからない難読な地名がたくさんあると思います。
ルーツを辿っていくと、名前に込められた先人の思いや知らなかった過去のできごとが浮かび上がってくるはずです。
その名前を、後世まで大切に伝えていきたいものですね。
公開日 : 2020/04/07