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神田神社は、「東京で最も古い神社」の1つに数えられる由緒ある神社です。
神田・日本橋・秋葉原など108町会の総氏神様として親しまれるほか、アニメやドラマのロケ地としても高い知名度を誇ります。
また、人気アニメ「 ラブライブ! 」の舞台となったことでもお馴染みの人気スポットなんですよ。
境内では、アニメとコラボしたデザインの御朱印帳や御守りなど、シリーズ関連グッズも販売されています。
創建の歴史は、天保2年(730)まで遡ります。
元々は千代田区大手町周辺に鎮座していましたが、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座しました。
江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として親しまれたほか、現在でも都内有数の人気を誇るパワースポットとして高い知名度を誇ります。
明治神宮や靖国神社と並ぶ有名神社であり、特に正月三が日を中心に多くの人々が参拝しに訪れるそう。
商売繁盛・縁結び・厄除をつかさどる神様を御祭神として祭ることから、恋愛や仕事運・金運などの運気アップが期待できる様々なご利益があるそうです。
その他、学問上達にもご利益があるといわれているので、受験の合格祈願に訪れるのも良いでしょう。
住所 : 東京都千代田区外神田2-16-2
マップ : Googleマップ
アクセス :
電話番号 : 03-3254-0753
定休日 : なし
営業時間 : 9:00~17:00
料金 : 無料
公式サイト : 神田明神
※神田明神の関連記事: 1000年を超える歴史!神田明神の見どころを掘り下げて紹介!
柳森神社は、長禄2年(1458)に太田道灌が江戸城の鬼門除けとして京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社です。
創建当時は現在の神田佐久間町に位置していたそうで、周辺に柳を多数植樹して鎮守として祭られたのがはじまりと伝えられています。
かつては、徳川家から社殿造営の寄進を受けるなど多くの人々が信仰を寄せ、大いに栄えたそう。
神社の近くに柳が植樹されていたことから、この界隈にはそれに因んだ地名も存在したとか。
現在位置するのは創建時とやや異なる場所ですが、周辺では今でもその名残りを感じることができます。
実際に、当社の前を通る「柳原通り」は、万治2年(1659)に遷座した際に堀の土手へと移植された柳に由来するそうです。
細い通りですが、このような歴史的背景を知った上で歩いてみると、街歩きが楽しくなりますよ。
柳森神社は、江戸時代に日本橋の椙森神社と新橋にある烏森神社と共に「江戸三森(さんしん)」として崇敬されていました。
この事から、神社の周りにはかつて柳の森があったことが分かります。
現代ではすっかりと姿を変えてしまった町並みも、歴史を辿ると元の風景が想像できますね。
神社の敷地そのものは比較的小さいですが、境内には複数の摂社や末社が位置しています。
これらは、それぞれご利益が異なるので、各社を丁寧に参拝するのがおすすめです。
その他、境内の東側には13個の力石も残されています。
最近では見かける頻度が減りましたが、江戸時代には若者たちの力試しによく用いられていたそうです。
見かけても気付くのはなかなか難しいですが、全国各地に残されているんですよ。
ちなみに、柳森神社の「力石群」は千代田区の有形民俗文化財に指定され、大切に保存されています。
都内で見られるのは稀なので、ぜひお見逃しなく。
現在見られる社殿は、昭和59年(1984)に建造されたものです。
これまでに、火災や戦争などで焼失と再建を幾度となく繰り返していることから、創建当時の面影はほとんど確認することができません。
しかしながら、柳森神社には参拝者を惹きつける不思議な魅力があります。
実際に訪れてみると、参拝だけして帰るには勿体ないほどの居心地の良さを感じるでしょう。
アニメ「 シュタインズ・ゲート 」の舞台となったことでも話題を呼び、ロケ地巡りをきっかけに訪れる人も多いそうです。
主祭神として倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)を祀るほか、様々な摂社・末社を有することから商売繁盛や勝負運向上、良縁成就にもご利益があるとされています。
住所 : 東京都千代田区神田須田町2-25-1
マップ : Googleマップ
アクセス :
電話番号 : 03-3251-6422
公式サイト : 柳森神社
「秋葉原」という地名の起源となったことで知られる、秋葉神社。
普段、私たちが何気なく利用している秋葉原駅ですが、駅舎が建つ場所にはかつて「鎮火社」という神社が存在しました。
その歴史は、江戸時代から明治時代初頭まで遡ります。
皆さんもご存知の通り、かつて東京(江戸)にある建物は木造建築が主流でした。
当然、町が火災に見舞われることも日常茶飯事だったそうです。
鎮火社は、明治2年(1869)の大火を受けて明治天皇がその翌年に「火災鎮護の祈願所」として創建したのが始まりとされています。
人々は、鎮火社を火防(ひぶせ)の神で知られる秋葉大権現が勧請されたものと誤解して、いつしか「秋葉さん」という名で親しむようになりました。
また、明治天皇は当時、大火によって誕生した焼け野原を火災時の緩衝地帯としたそうです。
「秋葉原」という地名は、人々がこの空地を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んでいたことに由来するのだとか。
秋葉神社も同様に、元々は「鎮火社」という名であったのが時代の流れと共に変化した例なのではないでしょうか。
現在、秋葉神社が位置するのは台東区松が谷3丁目です。
日本鉄道の駅を設置するために、現在の場所へと遷座されたといわれています。
祭神は、火産霊大神(ほむすびのおおかみ)、水波能売神(みずはのめのかみ)、埴山比売神(はにやまひめのかみ)の3柱。
それぞれ、火と水、および水の神として親しまれています。
秋葉原駅からは約2.7kmほど離れていますが、秋葉原の地にとても所縁のある神社なので周辺を散策するなら必ず訪れておきたい神社です。
社務所では御朱印もいただけますよ。
住所 : 東京都台東区松が谷3-10-7
マップ : Googleマップ
アクセス :
電話番号 : 03-3844-5748
「ラジオ体操発祥の地」で知られる佐久間公園の一角に位置する小さな神社です。
この界隈は、江戸時代の初め頃から商人や職人が多く集まる町でした。
「佐久間」という地名は、佐久間平八という材木商がこの地域に住んでいたことに由来するのだそう。
草分稲荷神社は、かつて上野国安中藩の武家屋敷が建っていたとされる跡地にあります。
主祭神である宇迦之御魂命(うかのみたま)は、江戸時代に板倉主計頭の邸内神として祀られていました。
五穀豊穣を司り、商売繁盛にもご利益のある神様なんですよ。
明治維新後に武家屋敷が町屋へと変わり、祠のみが残されていたのですが、町内有志の支援によって昭和36年に遷座されました。
社殿自体は比較的新しいですが、地域の歴史に思いを馳せながら参拝に訪れるとまた違った楽しみ方ができますよ。
長禄元年(1457)、室町時代の武将・太田道灌が千代田城を築城した際に創建された神社です。
千代田城は、現在皇居が建つ場所に存在した城郭で、後に「江戸城」という名で親しまれました。
城内に京都の伏見稲荷を勧請し、守護神としたのがはじまりで、約560年以上の歴史を持ちます。
慶長8年(1603)に徳川家康が入城した際に、城内の紅葉山へと「江戸城の守護神」として遷座。
その後、江戸城の拡張に伴って渋谷・宮益坂へと遷座されたことから「千代田稲荷」と称されているそうです。
渋谷にあるにも関わらず「千代田稲荷」と呼ばれているのは、江戸城の旧名に由来するからなのだそう。
その後、関東大震災により渋谷道玄坂・百軒店商店街へと再び遷座・再建されることになりましたが、現在でも変わらず篤い信仰を集めています。
秋葉原界隈に位置しているのは、渋谷区道玄坂に鎮座する千代田稲荷神社の御分社です。
幕末から明治へと移り行く混沌とした時世の中で、一陽来復と繁昌を祈願して分社を勧請したのがはじまりとされています。
この神社は、元々猿若町という江戸時代末期の芝居町(浅草6丁目辺り)に鎮座していました。
現在の場所に遷されたのは、新政府により立退を命じられた市村座が「座の守護神」として移転先付近に祭ったのがきっかけであるとされています。
残念ながら市村座は昭和7年の火災で焼失してしまったのですが、奇しくも当社は類焼を免れたそう。
現在見られるのは、千代田会有志によって再建された社殿です。
商売繁盛や学業成就のほか、縁結びなどにもご利益があるとされています。
普段ではなかなか通りかかることのないような場所にあるため、行き方を事前に確認した上で訪れるのがおすすめ。
スマホの地図アプリなどで検索すると、渋谷にある千代田稲荷神社が表示される可能性があるので、下記の住所を目指してアクセスしてください。
京都の伏見稲荷大社より分霊したと伝えられる神社。
現在の神田須田町にあたる、連雀(れんじゃく)町が創立された頃から、町の鎮守神として祀られている神様なんです。
創建年代等は不詳ですが、連雀町に関する文献からその歴史はおおよそ江戸時代頃までにさかのぼることが分かります。
連雀町という名は、かつてこの地域に連尺(物を背負うのに用いる背負子)を作る職人が多く住んでいたことに由来するそうです。
延享年間(1744〜1747)の火災により柳森神社に合祀されたため、現在は境外摂社として親しまれています。
現在の場所に遷座したのは、明治7年のこと。
関東大震災で全焼してしまったため、昭和3年に社殿が再建されて今に至るそうです。
学業成就と商売繁盛の他、戦災も免れたことから火伏にもご利益があるそう。
小さな神社ですが秋葉原駅から徒歩5〜6分でアクセスできるので、ぜひ参拝に訪れてみてくださいね。
香川県にある金刀比羅宮(ことひらぐう)の分社で、「こんぴらさん」という愛称で親しまれています。
金刀比羅宮は、全国各地に分社が点在する有名な神社です。
東京でもこの場所のほか、虎ノ門や日本橋にも分社が存在します。
竹町金刀比羅神社は、秋葉原駅から徒歩約10分の場所に位置しています。
「竹町」という名の由来は諸説あるのですが、「江戸時代に久保田藩主・佐竹家の西門の扉に竹を用いていたから」などと伝えられているそう。
こちらの神社にも、古い地名が関わっていてとても面白いですね。
この神社は、高松藩の藩主・生駒一正(いこま かずまさ)により創建されました。
詳しい年代は不明ですが、慶長年間(1596〜1615)に築かれたとされています。
生駒家の中屋敷を建てる際に、敷地内に神祠を建て、金刀比羅大神の分霊を祭ったのがはじまりなのだそう。
かつて、大名屋敷への一般人の立ち入りは禁止されていたそうですが、生駒家では特例として毎月10日のみ一般参拝を認めていました。
金刀比羅宮は一般庶民にとても人気のある神社だったので、参拝を希望する者が絶えなかったことが理由であるとされています。
現在見られる社殿は、昭和38年(1963)に建造されたものです。
関東大震災および第二次世界大戦の戦災によって何度か焼失を経験していますが、地域の人々の寄付によって再建を果たしたといわれています。
時代は違えど、今も昔も地元の人々にとって親しみのある神社であるのは変わりませんね。
御祭神は、日本神話の神様である大物主命(おおものぬしのみこと)と第75代天皇である崇徳天皇です。
「江戸最古の金刀比羅宮神社」として知られる大変歴史のある神社なので、ぜひ訪れてみてください。
外神田の一角に鎮座する小さな神社です。
多くのビルが立ち並ぶ町並みにお社が溶け込んでいるのは、都心にしばしば見られる光景ですよね。
講式稲荷神社の歴史は、安政4年(1857)まで遡ります。
その名は幕府が設置した「武芸の調練所」に由来しています。
当時、大貫伝兵衛という人物が講武所付属の土地の払い下げを出願した際、浅草橋場の稲荷神社に参詣・祈念したところ許可が下りたそう。
この神社は、払い下げの許可が下りた安政3年(1856)の翌年に創建されました。
浅草橋場の長昌寺境内に鎮座していた稲荷社を、旅籠町(現在:外神田1丁目付近)に遷座したのがはじまりであったと伝えられています。
御祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)で、主に農耕商工業繁栄のご利益があるそうです。
この神社もまた、秋葉原周辺にある他の神社と同様に、火災の被害によって何度も再建を繰り返した歴史を持つのが特徴。
大正2年(1913)の関東大震災では社域が焼失しましたが、その後の区画整備によって現在の場所に安置されたそうです。
その後も第二次世界大戦末期の東京大空襲により焼失を余儀なくされましたが、戦後に新たな社殿を新築し、現在に至っています。
櫻稲荷神社は、秋葉原と御徒町の中間地点に位置しています。
ビル同士の隙間を抜けた先にひっそりと佇んでいるのですが、不思議な静けさに包まれた空間がなんとも心地良いのが特徴。
境内に足を踏み入れ奥の方へと進むと、徐々に異空間へと導かれます。
この神社は、かつて上野周辺に代々屋敷を構えていた藤堂家の敷地内に鎮座していたそうです。
詳しい創建年代は不明ですが、関東大震災後に放置されていたものを岡本悟一氏が奉受して桜稲荷神社としたと伝えられています。
現在の場所に遷座したのは、昭和3年(1928)の出来事。
実は、この時神祀が築かれたとされていますが、昭和20年(1952)の空襲により破壊・焼失を余儀なくされてしまったそうです。
祭神である伏見稲荷大明神は、その7年後にあたる昭和27年に京都の伏見稲荷より分霊を勧請・鎮座したといわれています。
生産および五穀豊穣をつかさどる神様を祭ることから、主に商売繁盛にご利益があります。
社務所が存在しないため御朱印の取り扱いはありませんが、穴場のパワースポットをお探しの方にはぜひ訪れていただきたい神社です。
花房稲荷神社は、秋葉原の中心部に位置する穴場のパワースポットです。
草創・由来は明確ではありませんが、もともと外神田4~5あたりの屋敷神であったものが移転してきたのだそう。
創建の歴史は江戸時代まで遡り、現在の場所に遷されて以降は縁日などが催され、多くの参拝客で賑わったとされています。
この神社が位置する地域は、かつて「神田花房町」という名で親しまれていました。
戦前には神田に市場があったため、市場関係者も多く参拝に訪れていたそうですよ。
現在見られる社殿は、第二次世界大戦後にあたる昭和25年(1950)頃に再建されたものです。
商売繁盛や五穀豊穣の他、咳の治癒にご利益があるとされ、古くは「百日咳や風邪で咳が酷い時は、花房稲荷にお願いするとよい」という言い伝えも存在したとか。
スマホの地図アプリやGoogleマップで検索すると分かるのですが、この神社は四方を雑居ビルで囲まれているので場所が非常に分かりにくいです。
JR秋葉原駅からアクセスする場合は、電気街口を出てアキバ田代通りを末広町方面に進むと、左手にGLANSIT秋葉原というカプセルホテルが見えてきます。
花房稲荷神社は、この建物の角を左折してすぐの雑居ビル同士を抜けた先に位置しています。
場所があまりにも分かりにくいため、筆者は周辺を何度も歩いてしまいました。
小木曽ビルという建物の非常階段の脇に細い路地があるので、そこを目印に進むと分かりやすいでしょう。
秋葉原にあるおすすめの神社をご紹介しました。
アニメやゲームなど個性的なイメージが強い秋葉原ですが、ゆっくりと散策してみると意外と歴史のあるスポットが隠されています。
筆者も神社を巡りながら、地域の歴史を学んでいくうちに「秋葉原」という土地をとても好きになりました。
秋葉原界隈に点在する神社を巡って、これまでとは少し異なる目線で街を歩いてみませんか?
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最終更新日 : 2021/07/30
公開日 : 2021/07/05