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中国の思想家で「儒教の創始者」として知られる『孔子』を祀る霊廟(れいびょう)です。
江戸時代から続く長い歴史を持つ建造物で、国の史跡に指定されています。
孔子といえば、古代中国に実在した歴史上の人物。
古典の教科書で学習した人も多いのではないでしょうか。
日本を含むアジア諸国には、孔子を祀る霊廟(通称:孔子廟)がいくつかあります。
国内にも、東京のほか、栃木・長野・佐賀・岡山・長崎などに祀られているのだそう。
「湯島聖堂」は、国内に現存する孔子廟の中で最も有名であるとされています。
また、テレビドラマ「西遊記」や「仮面ライダー」のロケ地でもお馴染みです。
最近では、人気ゲーム「 御城プロジェクト(通称:城プロRE) 」の聖地巡礼を目的に訪れる人も増えています。
都内でも非常に人気の高いパワースポットなので、ぜひお参りしに訪れてみてください。
「日本の近代教育発祥の地」である湯島聖堂は、学生なら1度は訪れておきたいパワースポット。
かつて幕府直轄の学問所として親しまれていたこともあり、不思議な力が宿るとされています。
古くから学問に精通した人物が通っていたことを考えると納得ですね。
学業に関連したご利益があるので、特に学生の方は必見です。
また、資格試験を控えた社会人も合格祈願に訪れています。
湯島聖堂で授与されている御朱印は、こちらの1種類のみです。
萬世師表(ばんせしいひょう)とは、「永遠の師」を意味する孔子の称号。
孔子を祀る湯島聖堂ならではの御朱印と言えます。
授与場所は、敷地内の西側に位置する「斯文(しぶん)会館」です。
御朱印の受付を行う事務所は、建物の中にあるため外から確認することは出来ません。
神社でよく見られるような社務所は設けられていないため、訪れる際は注意が必要です。
また、お守りもこちらで購入できるので、希望する方はぜひ立ち寄ってみてください。
初穂料:300円
住所 : 東京都文京区湯島1-4-25
マップ : Googleマップ
アクセス : JR御茶ノ水駅から徒歩3分、神田明神から徒歩3分
電話番号 : 03-3251-4606
定休日 : 夏季(8月13~17日)、年末年始(12月29~31日)
営業時間 : 9:30~17:00(冬季は16:00)
料金 : 無料
公式サイト : 湯島聖堂
湯島聖堂の歴史は、主に江戸時代まで遡ります。
創建は元禄3年(1690年)、5代将軍・徳川綱吉が孔子廟を築いたのがはじまりとされています。
それ以前は、林羅山という人物の邸内に位置する「先聖殿」に祀られていました。
林羅山といえば、徳川家康の時代から4代に渡って江戸幕府に仕えた朱子学派の儒学者。
元々は上野忍岡(現在の上野恩賜公園)に私塾を設けていたのですが、幕府の経営に切り替える目的で現在の場所へと遷されたのだそう。
実は、先聖殿そのものは3代将軍・家光の時代から江戸幕府の援助によって運営されていました。
それなのに、なぜ現在の場所へと新たに遷す必要があったのでしょうか。
これには、徳川家の興味深い歴史背景が絡んでいるんです。
先述した通り、林羅山は徳川家康の時代から江戸幕府に仕えていました。
しかしながら、先聖殿を完成させたのは尾張藩の初代藩主・徳川義直。
尾張徳川家は、江戸時代に置いて将軍家に次ぐ地位を持っていたとされる「徳川御三家」の1つです。
5代将軍・綱吉は、湯島聖堂の前身である「忍岡聖堂」を度々訪れていたそうですが、そこが尾張藩寄進の土地ということに難色を示したのでしょう。
これが湯島聖堂が誕生したきっかけであると考えられています。
ちなみに「湯島聖堂」は、敷地内にある他の建造物も含めた名称です。
先聖殿は、この時に「大成殿」と改称されたと伝えられています。
元禄3年(1690年)に築かれた湯島聖堂ですが、湯島に遷されたのは孔子廟だけではありませんでした。
もちろん、林家が上野で運営していた私塾も同様に移されたのです。
これは後に幕府直轄の学問所として発展し、儒学の振興へと大きく貢献することになりました。
寛政9年(1797年)には、11代将軍・家斉が敷地を拡大し「晶平坂学問所」を開設。
「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前に由来するそうです。
文京区立お茶の水公園には、現在でも「晶平坂学問所」の跡地が残されています。
かつての面影はありませんが、この地に伝わる歴史と伝統を感じながら歩いてみると良いでしょう。
明治以降の湯島聖堂は、維新の一大変革と共に多様な歴史を歩みました。
学問所が正式に閉鎖されたのは、明治4年(1871年)のこと。
新政府の所管となり文部省が設置され、次いで図書館や師範学校が置かれ「日本の近代教育発祥の地」としての役割も果たしました。
また、日本最初の博物館「書籍館」が築かれたのもこの場所。
興味深いことに、この地に置かれた施設は全て現存しています。
東京師範学校は「筑波大学」、そして東京女子師範学校は「お茶の水女子大学」となって後に移設されました。
その他、明治5年(1872年)には、東京初の博覧会「湯島聖堂博覧会」も開催されました。
実は、これが後の東京国立博物館のはじまりであるとされています。
このような背景から、湯島聖堂は現代において「日本の近代教育発祥の地」として親しまれています。
現在見られるのは、昭和10年(1935年)に寛政9年の資料をもとに再建されたものです。
創建時の建物は、大正12年(1923年)の関東大震災によって大部分を焼失してしまいましたが、現在でも変わらず多くの人々に愛されています。
湯島聖堂は、JR中央・総武線「御茶ノ水」駅より徒歩2分の場所にあります。
周辺には東京メトロの駅もあるので、地下鉄を利用してアクセスすることも可能です。
JR秋葉原駅からも徒歩圏内なので、ご自身が利用しやすい路線で行くと良いでしょう。
また、敷地内の駐車場は一般車の利用ができません。
湯島聖堂を訪れる際は、必ず公共交通機関を利用するようにしてください。
【御茶ノ水方面】
JR中央・総武線「御茶ノ水」駅 聖橋口より徒歩2分
東京メトロ 丸の内線「御茶ノ水」駅 1番出口より徒歩3分
東京メトロ 千代田線「新御茶ノ水」駅 B2出口より徒歩4分
【秋葉原方面】
JR京浜東北・総武線「秋葉原」駅 電気街口より徒歩8分
東京メトロ 日比谷線「秋葉原」駅 A2出口より徒歩9分
都営バス「神田明神前」下車 徒歩1分
バス停は、湯島聖堂の北側を通る国道17号沿いにあります。
【学07系統】 東大構内方面(東大構内~御茶ノ水駅前)
【茶51系統】 御茶ノ水駅前方面(駒込駅南口~秋葉原駅前)
文京区には「湯島聖堂」の他に、「湯島天神」というスポットが存在します。
名前が似ているため混同してしまう方も多いですが、これらは全く異なる場所にあるので、訪れる際は注意が必要です。
ここでは、具体的にどんな違いがあるのかを紹介します。
それぞれ学業にご利益があるとされているので、両方とも訪れればさらに運気がアップすることでしょう。
先でも紹介した通り、湯島聖堂は江戸期に創建された史跡として親しまれています。
一方、湯島天神(別名:湯島天満宮)は、都内でも有数の知名度と歴史を誇る古社です。
湯島聖堂は孔子を祀る霊廟であるのに対し、湯島天神は「学問の神様」を祭る神社であるのが特徴です。
その歴史は非常に古く、雄略2年(458年)まで遡ります。
「江戸総鎮守」でお馴染みの神田神社(通称:神田明神)が天平2年(730年)創建ですから、いかに古いかお分かりいただけるのではないでしょうか。
当時の天皇が「天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)」を祭ったのがはじまりとされ、正平10年(1855年)に「学問の神様」として有名である菅原道真が合祀されました。
天之手力雄命といえば、「古事記」や「日本書紀」に登場する神様。
「力と技芸」を司る神であり、スポーツ向上や必勝、技芸上達のご利益があると言われています。
日本神話には様々な神様が登場するのですが、「力が強い」という神格を持つ神様は大変珍しいそう。
受験による合格祈願をはじめ、『ここ一番の突破力』が欲しい時は、力を授けてくれることでしょう。
その他、縁結びや結婚運、くじ運向上などにもご利益があるとされています。
住所 : 東京都文京区湯島3-30-1
マップ : Googleマップ
アクセス : 東京メトロ湯島駅から徒歩4分、東京メトロ上野小広路駅から徒歩5分、JR御徒町駅から徒歩8分
電話番号 : 03-3836-0753
定休日 : 年中無休
営業時間 : 6:00〜20:00(社務所は8:30〜19:30)
料金 : 無料(御朱印の初穂料 300円)
公式サイト : 湯島天神
※湯島天神の関連記事: 学問の神様といえばココ!「湯島天神」の見どころを徹底解説
湯島聖堂には、歴史的に重要な見どころがいくつも点在しています。
普段なら何気なく通り過ぎてしまうような場所も、歴史を知ると見え方が異なりますよね。
最近ではパワースポットとして注目を集めていますが、湯島聖堂は徳川家にゆかりのある史跡であることも忘れてはいけません。
ここでは、敷地内にある建造物や植生をそれぞれ紹介していきます。
合格祈願などでお参りする際は、ぜひ観光もお楽しみください。
まず初めに紹介するのは、境内の西側に位置する「仰高門」です。
正門から入ってすぐの場所にあるので、湯島聖堂を訪れる方の多くが最初に目にすると思います。
門の上部には、「仰高」と書かれた美しい額があります。
これは、水戸徳川家13代当主・徳川圀順(とくがわくにゆき)が書いたものなのだそう。
「仰高」とは、論語の一節に因んでいて『孔子の徳は仰げば仰ぐほど高い』という意味を持つそうです。
実際の文章は漢文なので省略しますが、境内には論語に記されている内容に因んだ見どころがいくつもあります。
ちなみに、この門は元禄3年(1690年)に湯島聖堂を建造する際、新たに設けられました。
「先聖殿」が創建された頃には、存在しなかったとされています。
現在見られるのは、昭和10年(1935年)に再建されたもの。
比較的新しい建造物ではありますが、神社仏閣のようなパワースポットとは違った趣を感じますね。
仰高門を潜り、直進した先には「楷樹」という名の樹木があります。
湯島聖堂は自然豊かな場所で、境内ではスダジイやモッコクなど様々な樹木が見られるのですが、中でもひときわ存在感を放っているのが「楷樹」なんです。
これは、中国・山東省の曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木として知られています。
孔子の弟子である子貢(しこう)が孔林に植えて以来、今日まで大切に植え継がれているそう。
湯島聖堂で見られるのは、その子孫にあたるとても神聖な樹木です。
その他にも、岡山県の「旧閑谷学校」と栃木県の「足利学校」にも植えられてます。
楷樹は中国原産の植物であり、国内で見られる場所は限られているので、ぜひこの機会に訪れてみてください。
楷樹のすぐ右手に位置するのは、孔子をモデルにした巨大な銅像です。
これは、昭和50年(1975年)に台北のライオンズクラブから寄贈されたもので、その大きさは世界最大とされています。
写真で見ると分かりにくいかもしれませんが、近くに立ってみると意外と迫力があるんですよ。
高さは約4m、重さは1.5トンを誇るそうで、隣に並んでみると改めてその規模に驚くことでしょう。
孔子廟へと続く参道に設けられた門で、境内に現存する唯一の木造建築物として知られています。
湯島聖堂は大正12年(1923年)の関東大震災によって大部分を焼失してしまいました。
入徳門は、その際に奇跡的に災禍を逃れて残ったとされる大変貴重な建造物です。
移築前の忍岡聖堂にも存在したとされ、現在の場所には宝永元年(1704年)に築かれました。
湯島聖堂の創建は元禄3年(1690年)なので、それより少しだけ後に建造されたことが分かります。
仰高門と同様に、門の上部には額が掲げられているので見てみましょう。
これは、藤原基輔(ふじわらもとすけ)が江戸中期に書いたものであると言われています。
藤原基輔といえば、自身を「持明院基輔」と称し、宝永年間に朝廷に仕えていた人物。
関東大震災で焼失する前は、仰高門や杏壇門の額も持明院基輔が書いたものでした。
「入徳」とは、中国の思想家・朱熹(しゅき)が記した「大学章句序」の内容に因んだもの。
曲阜の孔子廟には存在しないことから、江戸官学および朱子学の影響を受けて掲げられたと考えられています。
大成殿(孔子廟)のすぐ目の前に建つのは、杏壇門。
仰高門と入徳門は切妻造りであるのに対し、こちらは入母屋造りで間口が広く取られているのが特徴です。
この門の上部にも、かつては持明院基輔が書いた額が掲げられていました。
現在見られるのは、将軍家第16代当主・徳川家達(とくがわいえさと)の書です。
「杏壇」とは、学問を教える場所を意味するそう。
曲阜にある孔子廟や足利学校など儒学に関連する施設にも、同じ名前の門があるんですよ。
これは、古代中国において孔子が学問を講じた壇のまわりに杏(あんず)の木があったことに由来するのだそう。
それぞれの見どころに儒学(朱子学)の影響が見られるのは、都内にあるパワースポットでも湯島聖堂ならではですね。
杏壇門の向こう側に位置しているのは、「大成殿」です。
この建物には、孔子の他、孟子・顔子・曾子・子思という中国の「四賢人」が祀られています。
黒一色に統一された外観は、重厚感の漂う独特な佇まい。
都内でも、これほどの規模を誇る中国様式の建造物は少ないでしょう。
創建当時は朱や緑、青などで彩色が施されていたそうですが、寛政9年(1797年)の改修時に現在見られるような黒漆塗りになったと伝えられています。
かつての姿を想像してみると、同じ建物でも全く異なる印象を持つのではないでしょうか。
建物の大きさは、高さ 14.6m・幅 20m・奥行 14.2m。
大成殿は、境内に位置するものでは最大の規模を誇ります。
入徳門を除く湯島聖堂の建物と同様、昭和10年(1935年)に再建されました。
大成殿の額は、斯文会初代総裁・博 恭王(ひろやすおう)によって書かれたものです。
「大成」とは、孔子廟の正殿を指す名称なのだそう。
額の大きさからも、この建物が正殿であることがうかがえますよね。
ちなみに、焼失前の建物には3代将軍・綱吉の書が掲げられていたそう。
現在の額も素晴らしいですが、焼失を免れていれば自身のすぐ目の前に徳川綱吉の書があったと思うと、なんだかとても感慨深いです。
大成殿の内部は、土日・祝および年末年始限定で一般公開されています。
展示品は、孔子および四賢人の像、儒教の賢人が描かれた額や掛け軸など、貴重なものばかりです。
見学には200円の入場料が必要なので、見学を希望する方は小銭のご準備をお忘れなく。
境内の北東側には、神農廟があります。
これは、神農像を祀るために元禄11年(1698年)に建造された祠です。
神農とは、「医薬の守護神」として知られる中国渡来の神様。
国内での知名度はそれほど高くありませんが、古代中国においては「伝説上の三皇」の1人に数えられる大変有名な人物です。
廟内に安置されている像は、寛永17年(1640年)に3代将軍・家光の命によって造られたもの。
普段は、廟へと続く道がご覧のように閉鎖されているため見学することは貼り付けできません。
一般公開されるのは、毎年11月23日に開催される「神農祭」の時のみとなります。
神農像を拝みたい方は、ぜひ神農祭に足を運んでみてください。
明神門は、敷地の北西部に位置する門です。
湯島聖堂には、正門をはじめとする計4つの門があるのですが、唯一この門だけが締め切られています。
聖堂への出入り口として使用することは出来ませんが、旧中山道沿いから見学可能です。
この門は、11代将軍・家斉が敷地を拡大する際に創建されたと言われています。
本記事でも述べた通り、家斉の時代には湯島聖堂の規模拡大に伴い「晶平坂学問所」が築かれました。
明神門が完成されたのは、その約2年後にあたる寛政11年(1799年)です。
その名は、旧中山道を挟んで正反対の場所に鎮座する「神田神社(別名:神田明神)」に由来しています。
詳しくは、「神田神社に通ずる門」という意味があるそう。
現在見られるのは、昭和10年(1935年)に完成されたものです。
その他の施設と同様に、関東大震災によって焼失してしまいましたが、再建時に復原を果たして今に至ります。
国指定史跡「湯島聖堂」の見どころを歴史背景と合わせて紹介しました。
史跡と聞くと少しお堅いイメージがあるかもしれませんが、そのようなことはありません。
湯島聖堂は、「神社でもお寺でもない」という不思議な立ち位置が魅力のパワースポットです。
史跡ではありますが、御朱印も授与されているので都内で御朱印巡りされている方はお見逃しなく。
最寄り駅からのアクセスも便利ですし、周辺にも素敵な観光スポットが沢山あるので、ぜひ合わせて足を運んでみてくださいね。
※御茶ノ水の観光関連記事: 地元の学生が選ぶ!御茶ノ水のおすすめ観光スポット9選
最終更新日 : 2021/09/03
公開日 : 2021/09/03