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写真は楼門
伏見稲荷は京都市の伏見区にあり、全国に約3万社あるといわれる「お稲荷さん=稲荷社」の総本宮です。
なお、正式名称は「伏見稲荷大社」といいますが、この記事では原則として「伏見稲荷」と記します。
その創建は奈良時代で、いろいろな変遷がありますが、商売繁盛など庶民の信仰として支持され、現在では初詣の人出(三が日で250万人以上…伏見稲荷発表)は全国でも上位、関西ではトップクラスにランクされる人気となっています。
また、朱塗りの千本鳥居の神秘的魅力などから外国人の来訪も多い所としても知られています。
ちなみに「日本三稲荷とは?」ということがよくいわれますが、諸説あって定まらないものの、伏見稲荷を外すことはないようです。
なお、そのほかでは 愛知 の豊川稲荷や 佐賀 の祐徳稲荷、 茨城 の笠間稲荷などを推す人もいます。
ロケーションとしては、JR伏見駅や京阪伏見稲荷駅からすぐに参道となり、歩いて数分の所に本殿がありますが、さらに本殿の奥に広い稲荷山があり、そこにも多くの社や塚があるなど神域となっています。
これらの詳しいことやその歴史、伏見稲荷にまつわる不思議なお話を以下にご紹介しますのでご覧ください。
伏見稲荷は京都東山連峰の南端にある稲荷山一帯が境内で、面積は甲子園球場の22倍ほどあります。
その広い境内に沢山の社や建物がありますので、初めての方はどんなものがどこにあり、どこにお参りすればよいか迷われることと思います。
そこで初めに主な社や建物について、山麓エリアと稲荷山エリアと分けてご説明します。
なお、普通のお参りは本堂などがある山麓エリアが主体で、稲荷山の上の方は時間もかかりトレッキング的なエリアとなります。
伏見稲荷へ行く場合、JR稲荷駅や京阪電車伏見稲荷駅からはすぐに参道となり、最初の建物として楼門(ろうもん、上の写真では鳥居の奥)に到着します。
壮麗なこの門をくぐって境内に入りますが、この門は豊臣秀吉によって造営されたもので、国の重要文化財にもなっていますので、よくご覧ください。
楼門の次には外拝殿(げはいでん)があり、舞殿とも呼ばれますが、2月の節分のお祭りのときに豆まきなどが行われます。
なお、外拝殿は普段は使われていず、参拝客もお参りすることは少ない所です。
上の写真のようにやはり華麗な建築で、楼門と同じころに造られ、国の重要文化財となっています。
外拝殿からすぐの所に本殿と内拝殿があります。
本殿(上の写真は横から見たところ)と内拝殿(下の写真)はくっついて一体化しており、本殿は普通は立ち入れませんので、参拝客は内拝殿でお参します。
従ってここがメインのお参りの場所となります。
本殿は応仁の乱で焼失したために、1499年に再建されたものですが、大変華麗にして豪放ともいわれる建築で、国の重要文化財となっています。
この本殿に祀られているのは、次の五柱の神様でこれだけの神様が一つ社に祀られているのは一宇相殿といい、珍しいとされています。
なお、当初は三柱であり、後で五柱となったそうです。
本殿の裏から有名な千本鳥居が続きますが、千本鳥居については後で詳しくご紹介することとして、千本鳥居を抜けると上の写真の奥社奉拝所があります。
ここは通称「奥の院」と呼ばれていますが、稲荷山の三つの峯の前にあり、ここからお山にお参りする所となっています。
伏見稲荷にお参りする場合、時間の都合などで本殿(内拝殿)だけで帰られる方は別として、千本鳥居を通って奥の院までお参りすることをおすすめします。
所要時間としては、JR稲荷駅・京阪伏見稲荷駅から奥の院往復で急げば1時間位、千本鳥居などをゆっくり楽しむ場合は2時間程度です。
なお、奥の院は古くからあったようですが、現在の社殿は江戸時代のものとされています。
奥の院から上は稲荷山の山道となり、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰などを巡ることとなります。
最高点は一ノ峰で標高が233mあり、そこには下の写真のような社(末広社)がありますが、古い時代からの信仰が続きその神蹟がある所です。
なお、ここで売られている「おみくじ」はよく当たるとの声もあるそうですが、真偽のほどは?です。
稲荷山を一周する「お山巡り」の所要時間は、本殿から早足なら1時間30ほどで本殿に帰って来られますが、折角の観光ということでゆっくり巡る場合は3時間くらいかかりますので、その積もりでお出掛けください。
なお、稲荷山には数多くの社や塚などがありますが、その主なものは下記の不思議な話の中でご紹介していきます。
伏見稲荷へのアクセスをご紹介します。
まず 京都 の中心部から電車で行く場合、JRでは京都駅から奈良線で稲荷駅下車、すぐ表参道となり伏見稲荷は目の前です。
次に京阪本線の場合は、JR稲荷駅の西側にある伏見稲荷駅で下車し、ここからが裏参道で本殿まで約5分です。
なお、参道は裏参道の方が商店が多く立ち並んでいます。
車で行かれる場合は、名神高速道路の京都南ICから約20分、阪神高速道路の上鳥羽出口から約10分です。
駐車場は楼門近くに乗用車用に神社の駐車場があり、無料で利用できますが、シーズンによってはかなり混雑し、少し離れた駐車場に案内されることもあります。
また、周辺には民間の駐車場もあります。
稲荷山・四ツ辻からの眺め
創建についてはいろいろな言い伝えがありますが、大体は次のようなものです。
伏見稲荷の資料にも記載されている山城国風土記によれば、奈良時代の和銅年間に深草方面に住む秦氏の伊呂具が、出来た餅を的に矢を射たところ白鳥となって飛び立ったということです。
白鳥が降り立った辺りに稲が生じたため人びとは驚き、そこに社を造りましたが、これが稲荷社の始まりで、711年(和銅4年)のこととされます。
なお、「イナリ」の表記については、古くは「伊奈利」とされていましたが、後に稲荷となったといわれます。
ちなみに、秦氏は中国あるいは朝鮮からの帰化人と考えられ、京都太秦に拠点があり、松尾大社や下加茂神社ともつながりがあるともいわれています。
狐の狛犬
その後稲荷山方面は稲作などの出来が良く栄えていきますが、平安時代の820年代に淳和天皇が病気になり、占わせたところ、東寺の造営に稲荷社の樹木を切ったことの祟りだとされました。
そこで稲荷社に従五位下の官位(神階)を贈るなどし、稲荷社の存在が認められ、五穀豊穣などの信仰を集めるようになりました。
官位は後に正一位となっています。
伏見稲荷とキツネの関係も平安時代に定着してきたようです。
キツネの関係は諸説があって明確ではありませんが、キツネが稲荷大神に人びとの役に立ちたいと願い出たという話もあります。
神社としては、キツネは稲荷大神のお使いという位置付けであり、神そのものがキツネではないと説明しています。
また、キツネは現実に見える動物ではなく、目に見えない白狐であるとされています。
鎌倉時代には各地の寺社で神仏習合が進み、前に紹介した五柱の御祭神にも、それぞれ仏様がつくことになりましたが、これは明治時代の神仏分離まで続きます。
お稲荷さんは神社か寺院か疑問に思う方もいるかもしれませんが、神仏習合の名残のせいかもしれませんね。
しかし全国のお稲荷さんの多くは神社であり、伏見稲荷はその元締めということで間違いありません。
なお、寺院であるお稲荷さんの例では愛知県の豊川稲荷はれっきとした曹洞宗のお寺であり、岡山県の最上稲荷も日蓮宗のお寺です。
そのような例もありますので、お稲荷さんは神社か寺院か迷うのも当然かもしれませんね。
室町時代には応仁の乱が起こり、山名氏と争った細川氏が伏見稲荷を陣地として戦いましたが、細川氏が破れ伏見稲荷は稲荷山全体が焼き尽くされるという、被害に遭っています。
現在の本殿は山の麓にありますが、焼かれる前は山の上にあったそうです。
その復興は長くかかっていますが、100年ほど後に豊臣秀吉は母の病気回復を祈願して、現在の楼門を寄進したと伝えられています。
江戸時代になると、武家は仏教に帰依することが多くなりますが、一般庶民は五穀豊穣や商売繁盛を願って伏見稲荷に対する信仰が盛り上がるようになりました。
その結果、願い事が叶ったお礼に朱の鳥居を奉納することが行われ、現在の千本鳥居につながっています。
また、各地でも狐穴を見つけては稲荷社を造ったり、正一位という位階を名乗るようになってきました。
狐の絵馬
伏見稲荷は幕末の混乱期には戦火に遭うこともなく明治を迎えましたが、神仏分離により仏像など仏教的な事物は排除され、神道の神社に立ち還りました。
ただし、例外として「東寺御供」という行事だけは現在まで続いています。
その内容は、5月の稲荷祭のときに神輿が巡行し途中の東寺でお経を上げてもらうのですが、両者の古くからの関係がしのばれる行事です。
また、明治時代には寺社制度が変更され、それに伴い伏見稲荷の名称は「官幣大社稲荷神社」となりました。
さらに戦後の1946年に制度が変更され宗教法人化されましたが、それまでの「官幣大社」がなくなり、「稲荷神社」だけとなると全国の稲荷神社と区別できないため、現在の社名の「伏見稲荷大社」となりました。
ここから伏見稲荷にまつわる不思議なお話をご紹介します。
世間で「伏見稲荷の七不思議」といわれることもありますが、ここでは十の不思議を取り上げてみます。
不思議なことや言い伝えなどですが、伏見稲荷を参拝するにあたりこんな話もインプットしておくと、お参りもディープに楽しめますので参考にしてください。
初めにご紹介するのは「千本鳥居」で、観光的には伏見稲荷の一番のシンボルといえるかもしれません。
朱色の鳥居が立ち並ぶ光景は、視覚的にも強くアピールするところですが、外国人にとっても和の神秘性も感じるスポットとして大人気となっています。
ちなみに、アメリカ映画のSAYURIでも主人公が千本鳥居を走り抜けるシーンがあり、この影響も大きいともいわれています。
さて、千本鳥居はどこにあるかですが、本堂の裏から始まり、その入口は下の写真のように2列になっています。
そして千本鳥居を抜けると奥の院となります。
ところで千本鳥居の不思議とは、「なぜこんなに沢山の朱の鳥居があるのか?」ということです。
千本といいますが、実際にどのくらいあるかについては、神社では約1万基といっていますが、これは神社全体の数字のようです。
本堂から奥の院の間のいわゆる「千本鳥居」だけの数字は明らかにされていませんが、千本弱という説もあります。
もともとお稲荷さんは、歴史のところでご説明しましたように五穀豊穣や商売繁盛を願う神様ですが、江戸時代に町人の信仰が篤くなり、願いが叶えられたお礼として鳥居を奉納されるようになりました。
その結果、江戸時代この鳥居が多く建てられるようになったといわれています。
2日目朝から着物きて、はしゃぎまくったり観光したりしてたのでお気に入りの2枚👘 #千本鳥居 pic.twitter.com/c9U03OQFeU
— kunitomo (@kunitomonanasi) February 24, 2017
その数が多くなったということは、それだけご利益にあずかった人が多かったともいえ、評判が評判を呼んでいったかもしれませんね。
また、鳥居を奉納することで「願いが通る=叶う」とも考えられるようで、お礼だけではなかったかもしれません。
鳥居の朱色については、邪気を払い豊穣を表すもの、あるいは赤土の色であるともいわれており、塗料としては防腐剤としての効果もある丹=水銀が使われています。
ちなみに、鳥居を奉納することは神社のホームページでも受け付け方が記載されており、大きさや場所にもよりますが、5号の場合の初穂料は175000円(大きいものは100万円余)となっています。
伏見稲荷では神社創建をしのぶものとして2月に初午大祭を執り行いますが、そのとき参拝者には写真のような「験(しるし)の杉」を授与し、各家庭に持ち帰ってもらって家内安全や商売繁盛のお守りにするようにしています。
なお、伏見稲荷のご神木は杉ですが、よくあるように1本の特定の杉の木を指すのではなく、稲荷山にある杉全体をご神木といっています。
ところで、伏見稲荷の杉の小枝に悪を払う力があるといわれたのはかなり古く、平安時代には貴族などが熊野詣をしましたが、その道中の安全を願うために、往路に伏見稲荷に参拝し杉の小枝をいただいて身につけたそうです。
そして帰路にも伏見稲荷にお礼の参拝をし、また杉の小枝をいただくといいうことが行われていたようです。
昔は日常の生活、ましてや旅などでは安全が強く意識されていましたから、伏見稲荷の力にすがる気持ちも強かったようですね。
このような歴史から現在の「験の杉」につながっています。
今年の収穫は、以前から気になってた、この大八嶋社。禁足地のみの社殿のない摂社。伏見稲荷五社のうちのひとつ四大神(しのおおかみ)の鎮座所を知りたくて、境内でググってみたら目の前にあった。諸説あるようだが、秦氏より先住の葛城系加茂、紀氏の祖神四神が、山上より移った説が好きだ。 pic.twitter.com/xAhXcw9K9G
— D.OKANO (@maajissukaa) January 5, 2017
本殿から北の方向に200~300mほどの所、お産婆稲荷に向かう道の途中に八嶋が池があり、そのほとりに大八嶋社(おおやしましゃ)があります。
この方面は比較的訪れる人も少ないエリアですが、そんな中にひっそりと佇んでいる社で,うっかりすると通り過ぎるかもせれませんのでご注意ください。
というのも、この大八嶋社は不思議なことに社殿がなく、朱色の玉垣で囲まれた狭いエリアが立ち入り禁止の神聖な場所となっています。
この社は伏見稲荷の摂社(一般的には末社といわれます)という位置づけで、御祭神は大八嶋大神であり、ぞれは古い時代の日本全体を指すスケールの大きなものです。
そう考えると質素な社と御神体の壮大さのギャップにも興味が湧きますね。
「おもかる石」は千本鳥居を抜けた所にある奥の院(奥社奉拝所)の右後にありますが、少し引っ込んでいますので見落とさないようにしましょう。
そこに一対の石灯籠があり、その空輪(頭)を「おもかる石」と呼んでいます。
石が重いか軽いかということですが、試すにはまず願い事をします。
そのうえで、どちらかの空輪を持って、重く感じるか、それとも軽く感じるか判断します。
もし、軽く感じれば願いは叶い、重く感じれば叶わないという、かなり心理的なトライとなり、一種の石占いということもできそうですが、どうぞお試しください。
おもかる石が置かれたいわれなどは分かりませんが、他の寺社、例えば京都の今宮神社や大阪の四天王寺などにも似たようなものがあるといわれています。
奥の院から北東方向に300mほど進むと新池(谺が池とも)がありますが、この辺りは山道になり奥の院で引き返す参拝客も多いため、静かな雰囲気が漂うエリアです。
この新池については、「行方不明の人を探したいときに、ここで手を打ってこだまが返ってくる方向に行方不明の人がいる」という言い伝えがありますので、もし必要があればお試しください。
写真でも分かるように、池に突き出した所に熊鷹大神の塚があり、拝所が設けられています。
本堂の方から八嶋が池方面に進み、前記の大八嶋社の少し先に、「お産婆稲荷(おさんばいなり)」という不思議な名前の社があります。
稲荷山方面からは三ツ辻を下った所となります。
このお産婆稲荷は、狐が多産であることから安産祈願にご利益があるとされます。
また、沢山備えられているローソクの燃え残りを持って帰り、家で灯して短時間で燃え尽きれば安産で済むと伝えられています。
稲荷山に登るとき、四つ辻から右に進むと間の峯があり、そこに荷田社がありますが、そこの鳥居が上の写真のように奴禰鳥居という珍しいものです。
鳥居の構造については普段はあまり意識しないかもしれませんが、伏見稲荷では他の写真にもあるように上の2本の横木の中央部に1本の柱が立てられているのが普通です。
他の神社の場合は中央の柱がないこともあります。
ところが、上の写真では傘型あるいは八の字のような形状のものが添えられており、この形式のものを「奴禰鳥居」といい、他には京都新京極の錦天満宮にもありますが、ほとんど例を見ませんのでそのつもりでご覧ください。
なお、この荷田社は伏見稲荷の末社ですが、以前に伏見稲荷の神官であった荷田氏をお祀りしています。
そして荷田氏の祖先は稲荷山の山神である龍頭太(りゅうとうた)であり、空海とも関わりがあったと伝えられています。
荷田氏からは、江戸時代の国学者の荷田春満(かだのあずまろ)が出ています。
一ノ峰の北側の下に御劔社(みつるぎしゃ)があり、その裏手に上の写真の劔石があります。
この石は雷を封じ込めたものとされ、雷石と呼ばれてきました。
御劔社は長者社(ちょうじゃしゃ)とも呼ばれますが、古くから神祭りの場であり、伏見稲荷の中でも代表的なパワースポットということもできます。
また、この社には焼刃の水と呼ばれる井戸がありますのでご覧ください。
この井戸については、謡曲で刀鍛冶の三条宗近が稲荷大神の助けを借りて名刀小狐丸を打ったという話のモデルになっていると伝えられています。
伏見稲荷にはおびただしい数の稲荷塚があります。
それは、石に名前を彫った小さな塚ですが、信心する人が稲荷山のあちこちに置いてお祀りしているもので、全体では数万ともいわれるほどです。
それだけ人気があったというか、信仰が篤かったということですね。
稲荷山の参道の道筋で随所に見られますが、特に七神蹟といわれる一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰、御剣社などの周辺に多くあります。
昔から、「稲荷山の土を持って帰り、自分の田畑に施すと豊作となる」という言い伝えがああります。
最近はお稲荷さんというと商売繁盛というイメージが強いですが、もともとは稲作とか五穀豊穣ということが出発点でしたので、土を持ち帰るというのもうなづけることですね。
『伏見人形』全国で90種類以上もある土人形の元祖 #伏見人形 #土人形 #アメブロ
— Noriくん (@idiotic_uncle) May 14, 2017
https://t.co/MnDwNrMo6T
なお、土を持ち帰る代わりに伏見の土で造った素焼きの伏見人形を買って帰り飾ることも行われています。
名称 : 伏見稲荷大社
英名 : Fushimi Inari Taisha
住所 : 京都市伏見区深草薮之内町68番地
マップ: Googleマップ
電話番号 : (075)641-7331
定休日 : 一般的な参拝は年中可能
営業時間 : 一般的な参拝は24時間可能
料金 : 拝観料は無料
ここまで伏見稲荷について、いろいろとご紹介してまいりました。
「伏見のお稲荷さんといえば、商売繁盛を祈願して大勢の人がお参りする所」というだけではなく、広い境内にさまざまな社や塚などがあり、また古い歴史を持つ神社であり、そのうえ不思議なお話や言い伝えがあることをお分かりいただけたでしょうか。
さらに、観光的にも朱色の千本鳥居など非常にインパクトがあり、外国人も含めて人気のスポットとなっていますね。
この記事も参考にされ、伏見稲荷をディープに楽しんでいただければ幸いです。
最終更新日 : 2021/04/13
公開日 : 2017/08/11