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<小田原の博物館・テーマパークを満喫できるおすすめ観光スポット>
電車で小田原駅に近付くと、車窓からこの街のシンボル・小田原城の天守閣が見えてきます。
戦国時代に一世を風靡した北条氏5代の居城として知られ、この城を見ると「小田原に来たんだな」という旅情にとらわれます。
しかし、小田原駅で下車して街中を観光する人は少ないかもしれません。
新幹線などの通過駅、もしくは 箱根 方面への乗換駅として利用する人の方が多いでしょう。
小田原市は、 神奈川県 西部(西湘)に位置し、このエリアでは最大の都市です。
鎌倉市 とともに、神奈川県では最も古い街のひとつです。
古くから交通の要衝、関東の重要拠点としての役割を担ってきました。
戦国期には北条氏の城下町、江戸時代には小田原藩の城下町として栄え、東海道の宿場町としても繁栄しています。
宿場町としての小田原は、江戸から出発して最初の城下町であり、「天下の険」箱根の玄関口でもありました。
その状況は今でも変わらず、箱根観光の拠点であり、正月の風物詩・「箱根駅伝」の山登りスタート地点としても有名です。
上記にように、小田原は全国的にも知名度の高い都市です。
「小田原ちょうちん」や「小田原評定」などの当地ゆかりの言葉も残り、かまぼこや梅の特産地としても知られています。
ただ、観光地となると、小田原城以外に観光スポットが思い浮かばないかも…という人が多いかもしれません。
海あり山ありの豊かな自然と観光資源に恵まれながら、あまり観光地化が進んでいないのが実情です。
小田原には、この街を代表する特産品がたくさん存在します。
訪れたお土産に、ぜひとも買っておきたいものです。
童謡「お猿のかごや」にも登場する小田原ちょうちんは小田原を代表する名産品です。
小田原駅の構内にも巨大なちょうちんが吊り下げられており、駅のシンボル的存在になっています。
小田原ちょうちんとは、蛇腹構造になっていて折り畳み可能な提灯を指します。
携帯に便利で、雨や霧に強い利点があり、昔の旅人にはとても重宝されていました。
このちょうちんは、江戸時代中期に小田原の提灯職人甚左衛門が考え出したと言われています。
現在はさすがに実用性に乏しいため、実際に製造している製作所は2か所しかありません。
お土産用に小型サイズが1000円〜販売されています。
「小田原宿なりわい交流館(小田原市本町3-6-23)」では、毎月第2・4日曜日に小田原ちょうちんの制作体験をすることができます。
所要時間90分で、費用は1,000円(1人あたり)なので、貴重なちょうちん作りに挑戦してみるにも楽しいでしょう。
また、小田原ちょうちんをイメージしたミネラルウオーター「小田原ちょうちん・旅名水(500ml・130円)も、市内で販売されています。
ペットボトルをちょうちんのように折りたたむことができて、お土産にも最適です。
小田原土産の定番といえば蒲鉾で、老舗の鈴廣や籠清などの名店が味を競います。
小田原蒲鉾の起源は、江戸時代後期に日本橋から小田原に移り住んだ職人が、相模湾のオキギスを原料に板蒲鉾を完成させたのがはじまりです。
今の扇状の盛付スタイルも小田原発祥とされ、箱根水系の良質な水源があり、豊富な水揚げを誇る港町であったことから、小田原蒲鉾は全国に広まりました。
「鈴廣かまぼこ博物館」では、蒲鉾の製造体験(50分・1620円)をすることができます。
干物の産地は全国的に存在しますが、小田原の干物も負けていません。
小田原の干物は江戸時代、獲れたてのアジやカマスを開き干しにして、保存食として売ったのがはじまりとされています。
相模湾に面し、昔から漁獲量が多かった小田原では、魚の仲買業の副業として干物づくりが発達してきました。
新鮮な魚だけに、過度に塩味を付けることなく、素材の味を生かしていくのが「小田原ひもの」の特徴とされています。
店舗によって独自の味付けがあり、食べ比べてみるのも楽しいかもしれません。
梅干も小田原の特産品のひとつです。
戦国の小田原城主・北条早雲が梅干の薬効と食べ物の腐敗を防ぐ作用に注目し、城下および周辺に梅の木を植え梅干づくりを奨励したのがはじまりとされています。
江戸時代には薬用・食用として庶民の間に広がり、箱根越えの旅人の携行食として重宝されました。
小田原には曽我梅林をはじめ梅の名所・産地がたくさんあり、お土産品として欠かせないものです。
特に曽我地区で栽培されている「十郎梅」は、肉質がなめらかで梅干用品種の最秀品と言われています。
小田原を知る上で欠かせない人物を紹介します。
旅行する前に知っておけば、旅が何倍も楽しくなること間違いないでしょう。
戦国大名・北条氏を興した北条早雲は、素浪人から大名にのし上がった下剋上の典型的な人物とされていました。
ただ、実妹が駿河の守護・今川義忠の正室であることもあって、実際には室町幕府の政所執事を務める名門・伊勢氏の出身であることが有力視されています。
生まれは小田原ではなく、備中荏原荘( 岡山県 井原市)で、正式の名前は伊勢新九郎長氏(宗瑞)で、生前は「北条」の姓を名乗っていません。
京都 で足利将軍家に仕え、のち妹の北川殿を頼って、駿河に下向しました。
領主・今川義忠の戦死後、甥の今川氏親を補佐して台頭、明応2年(1493年)隣国伊豆の内紛に乗じて出兵し、伊豆を領有することに成功します。
そして明応5年(1495年)、大森氏の居城だった小田原城を奇計を用いて攻略して自らの拠点とし、本格的な相模進出を開始しました。
永正13年(1516年)最大のライバル・三浦道寸を滅ぼして念願の相模平定に成功します。
永正16年(1519年)に88歳で死去するまで大変長生きした人です。
小田原北条氏は5代100年に渡り続きます。
2代目・氏綱の時、鎌倉幕府の執権に肖って、伊勢氏から北条氏に改姓しています。
以降領国を拡大し、最盛期には伊豆および関東のほとんどを支配下に置く大大名にまで成長しました。
しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉に従わなったことで悲劇を招きます。
20万近い大軍に小田原城を包囲され開城し、ついに滅亡してしまったのです。
北条氏の領国支配は、住民を思いやった税制を施行するなど優れたもので、住民からも愛されていたといわれています。
二宮尊徳よりも、「二宮金次郎」の名前の方が知られています。
薪を背負って読書をする銅像はとても有名で、この人の名前を聞いたことがない人は少ないでしょう。
でも、二宮金次郎(尊徳)って何をした人?と聞かれると、正確に答えられる人は少ないと思います。
二宮金次郎は江戸時代後期の農政家です。
小田原の栢山で農民の子として生まれ、幼くして両親を失います。
生家の田畑は洪水によって流失するなど悲劇が続き、伯父の家に寄宿することになりますが、苦学の末に家を復興し地主となります。
やがて小田原藩家老服部家の家政改革を成功させ、藩主から篤い信頼を得るようになりました。
小田原藩領だった下野桜町や、常陸国真壁、幕府管轄の日光神領など90か所近くの農政改革にも着手、天保の大飢饉から住民を救いました。
彼が唱えた「報徳思想」は、私利私欲に走るのではなく、社会に貢献すればいずれ自らに還元されるとの教えであり、今でも多くの人に崇敬されています。
小田原市は、海に山に川にと自然に恵まれています。
歴史的な建造物も豊富で、特産品も魅力的・・・今回そんな小田原の観光スポットを下記4つのテーマに分類しました。
目的にあった場所がきっと見つかるはずです。
まずは、小田原のシンボル、小田原城を中心に、歴史好きにはたまらない魅力的なスポットをご紹介します。
小田原のシンボルであり、絶対欠かせない観光スポットです。
小田原城は室町時代中期の応永24年(1417年)に、大森頼春によって築城されました。
明応5年(1495年)、伊豆方面から攻め込んだ北条早雲は大森氏を放逐、小田原城を奪取します。
以後5代100年に渡って、戦国大名・北条家の居城として栄えました。
武田信玄や上杉謙信も落とすことのできなかった「難攻不落」の 名城 としても有名でした。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして、小田原城を包囲します。
3ヶ月に及ぶ籠城戦もむなしく城は開城、北条氏政は自刃し北条氏は滅亡しました。
この小田原城開城によって、秀吉の天下統一が完成し、戦国大名に終わりを告げたのです。
北条氏の滅亡後ののち、徳川幕府によって「小田原藩」の居城となり、大久保氏をはじめとする譜代有力大名の支配が幕末まで続きました。
昭和35年(1960年)に復元された3重4階の天守は、屋根や外壁の改修工事が完了し平成28年(2016年)にリニューアルオープン。
リニューアル当時はNHK大河ドラマ『真田丸』が放送され、氏政を演じた高嶋政伸さんの怪演の影響もあって、大混雑の反響ぶりでした。
天守内部の展示室では、戦国から江戸にかけての小田原城の貴重な史料などを閲覧することができます。
天守展望台から眺める相模湾の風景は抜群です。
また、常盤木門、銅門、馬出門が復元され、小田原城全盛時代の遺構を確認することができます。
※合わせて読みたい: 小田原城の見どころを徹底解説!小田原城周辺のおすすめ観光スポットも紹介
住所 : 神奈川県小田原市城内6-1
マップ : Googleマップ
アクセス : JR、小田急線 小田原駅から徒歩12分
電話番号 : 0465-23-1373
定休日 : 12月第2水曜日、12月31日〜1月1日
営業時間 : 9:00~17:00(桜まつり等イベント時延長あり)
料金 : 一般510円、小・中学生200円
公式サイト : 小田原城
小田原城址公園は市民憩いの公園なのですが、小田原城の本丸跡地に設置されていることもあって、小田原城とは切れない関係にあります。
この公園の大部分は、国の指定史跡の区域となっており、天守のほか堀、櫓、復元された門などの遺構が残っています。
お堀端から天守にかけて約300本のソメイヨシノが植栽されており、花見の時期は圧巻です。
桜以外にも梅、アジサイ、フジ、ツツジ、花菖蒲など年間を通じて多くの花々を鑑賞できます。
約11ヘクタールの敷地内には、小田原城の遺構のほか、報徳二宮神社、歴史見聞館、こども遊園地など様々な施設が設置されています。
こども遊園地には、豆汽車や豆自動車などがあり、30〜80円ととても安い料金で遊ぶことができます。
かつて園内には動物園もあったのですが、今はニホンザルしか展示されていません。
「桜まつり」や「ちょうちん夏まつり」、「小田原北條五代祭り」など市内で開催されるイベントのメイン会場にもなっています。
住所 : 神奈川県小田原市城内6-1
マップ : Googleマップ
アクセス : JR、小田急線 小田原駅から徒歩8分
定休日 : 年末年始
電話番号 : 0465-23-1373
営業時間 : 観覧自由
料金 : 無料
公式サイト : 小田原城
歴史が好きな人にとって、その土地ゆかりの人物の銅像を見るのは楽しいものです。
小田原ゆかりの武将・北条早雲の銅像には、小田原駅を降りてすぐに会うことができます。
小田原を訪れた記念に、早雲公と一緒に記念写真を撮ってみましょう。
北条早雲公銅像は、小田原駅西口のロータリーにあります。
高さ5.7m、重さ7tの日本最大級の銅像です。
その姿は、小田原城攻略の際に用いた「火牛の計」をモチーフにしています。
火牛の計は、木曽義仲が倶利伽羅峠の合戦の際に行ったことで有名ですが、早雲も同じ方法を採ったようです。
明応5年(1495年)、早雲は牛の角に松明をつけて放ち、小田原城に奇襲攻撃をかけました。
采配を揮う早雲の周りには、松明を結ばれて暴れる牛の姿が表現されています。
二宮尊徳(金次郎)を祭神として祀る神社で、小田原城址公園のなかにあります。
尊徳が設立した「報徳社」の会員により、明治27年(1894年)に現在の地に創建されました。
この神社の拝殿礎石は、小田原城の米蔵の礎石が用いられています。
天明の大飢饉の際に、尊徳は藩主の命によって米蔵を開き、米を住民に渡るようにしました。
そのおかげで、小田原藩では1人の餓死者を出さなかったと言われています。
境内にはお馴染みの「二宮金次郎像」や兵庫・報徳学園から寄贈された「二宮尊徳翁像」に出会えます。
また「きんじろうカフェ」では、尊徳が実際に食べていたといわれる呉汁や、きんじろうスタイルのカプチーノを楽しめます。
住所 : 神奈川県小田原市城内8-10(小田原城址公園内)
マップ : Googleマップ
アクセス :
電話番号 : 0465-22-2250
営業時間 : 9:00〜17:00
公式サイト : 報徳二宮神社
羅漢とは、釈迦の直弟子のうち位の高い人を指します。
釈迦の入滅後に開催された「経典編纂」に集まった弟子の数が500人だったといわれ、特に禅宗では信仰の対象とされています。
全国に五百羅漢を安置している寺がありますが、ここ玉宝寺の五百羅漢も圧巻です。
天桂山玉宝寺は、神奈川県秦野市にある曹洞宗香雲寺の末寺です。
戦国時代の天文3年(1534年)、小田原北条氏の家臣垪和伊予守が母の供養のために建立したと言われます。
この寺に五百羅漢が安置されたのは江戸時代の享保15年(1730年)、智鉄という僧が浄財の寄進を求めて造立したのがはじまりです。
造立は智鉄とその弟によって、28年の歳月をかけて完成しました。
現在では、像高24〜60cmの羅漢像526体は本堂に安置され、拝観することができます。
住所 : 神奈川県小田原市扇町5-1-28
マップ : Googleマップ
アクセス : 大雄山線・五百羅漢駅から徒歩で3分
電話番号 : 0465-34-3247
営業時間 : 8:30~17:00(冬期は16:00まで)
料金 : 無料
小田原は海と山があるので、自然を満喫できるスポットがいっぱい!
フラワーガーデン、曽我梅林、植物公園など、花々とともに景色を楽しめる場所もあり、家族でのお出かけにもデートにも最適です。
「わんぱくらんど」は、約12.5ヘクタール(東京ドーム3個分)の広大な敷地をもつ公園です。
市外での知名度はいまひとつですが、一度足を運んだら必ずリピーターなってしまう魅力的なスポットです。
自然が豊かな公園で、園内を歩いでいるだけで爽快な気分になれます。
小田原城をモチーフにした巨大な遊具をはじめ、アスレチック施設、遊具がとても充実しています。
さらに動物園や、水遊びできる沢まであって、子供たちは大満足!一日中遊べる公園です。
敷地がとても広くて歩いての移動はちょっと大変かもしれませんが、園内にロードトレインが走っているから安心して移動できます。
これだけ施設が充実しているのに、入場無料なんて信じられませんよね。
園内にはキャンプ場も設置されていて、泊りがけでたっぷり遊ぶことも可能です。
また、別施設になりますが、園内にある「フォレストアドベンチャー」はスリル満点の空中アスレチックで、こちらもおすすめです。
わんぱくらんどに隣接して「辻村植物公園」があります。
この公園には約560本もの梅園があり、梅の花が咲く時期には、わんぱくらんどと一緒に是非訪れてほしい場所です。
住所 : 神奈川県小田原市久野4377-1
マップ : Googleマップ
アクセス :
定休日 : 月曜日(祝日を除く)・祝日直後の平日・年末年始(12月28日〜1月3日)
電話番号 : 0465-24-3189
営業時間 : 9:00〜16:30
料金 : 無料(有料施設あり)
公式サイト : わんぱくらんど・辻村植物公園
小田原には緑豊かな公園が、まだまだあります。
「小田原フラワーガーデン」は、面積約4.2ヘクタールの植物公園で、一年を通じて花と緑を楽しむことができます。
公園面積の半分を占める「渓流の梅林」では、市の花でもある梅が200種類480本ほど栽培され、開花シーズンには色とりどりの梅が楽しめます。
見どころは梅ばかりではなく、バラ園やハーブ園、アジサイやサクラなど四季折々の花が園内に咲き誇り、心地よい散策ができます。
また、真夏の時期に催される「おどる噴水」は、子供たちに大人気で、水遊びに最適です。
これだけの施設充実で、こちらも入場無料、駐車場まで無料で利用できるのです。
有料施設になりますが、「トロピカルドーム温室」は約300種類の熱帯植物を栽培しており、一年を通して南国ムードがたっぷりです。
バナナ、パパイヤ、ハイビスカスなどお馴染みの熱帯植物のほか、希少種の「ヒスイカズラ」はコバルトブルーの花が美しく必見の価値ありです。
この温室は、隣にあるゴミ処理施設の余熱を利用しており、内部はとても暖かいです。
温室内で開催されるミッションゲーム「アロア・ワッド探検隊」は、遊びながら熱帯植物のことを知ることができます。
他にも、無料で参加できるイベントが盛り沢山です。
住所 : 神奈川県小田原市久野3798-5
マップ : Googleマップ
アクセス :
定休日 : 月曜日(祝日を除く)・祝日直後の平日、年末年始(12月29日〜1月3日)
電話番号 : 0465-34-2814
営業時間 : 9:00〜17:00(トロピカルドームは16:30まで)
料金 : 無料 ※トロピカルドーム 大人200円 小中学生100円
公式サイト : 小田原フラワーガーデン
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めに対して、北条方は小田原城籠城戦で長期戦に持ち込もうとしました。
しかし、目の前に突如出現した城を見て、北条方はすっかり戦意を喪失したという、いわゆる石垣山一夜城のエピソードです。
秀吉は「一夜城」造りの名人で、かつて主君・織田信長の美濃攻めの際にも「墨俣の一夜城」をつくり、出世のきっかけとなりました。
石垣山一夜城は、築城まで80日間を要し、4万人が動員されたと言われています。
築城は、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、そこに白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採するという方法でした。
北条方としては、目の前の山で城が造られていることはわからず、一晩で城を完成させたように見えたわけです。
石垣山城は、関東で最初に造られた総石垣の城だといわれます。
天守があったかは不明ですが、石垣や櫓を備えた本格的な近世城郭だったようです。
小田原城の南西約3kmにある、標高262mの笠懸山の山頂に位置しています。
秀吉はこの城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。
また尾籠な話ですが、徳川家康と一緒に立小便をしながら、天下の行方を語り合った「関東のつれしょんべん」の舞台でもあります。
現在石垣城跡は、「石垣山一夜城公園」として整備され、国の史跡にもなっています。
櫓などの建造物は何も残っていませんが、天守台跡や井戸跡、曲輪跡が保存状態がよく残っています。
本丸跡物見台から、因縁の小田原城や相模湾の眺望が抜群です。
例年10月に開催される「一夜城まつり」では天下人の茶会などが再現されます。
この公園に立って、遥か戦国の世に思いを寄せるのも楽しいでしょう。
小田原市内には、先にご紹介した「辻村植物公園」や「小田原フラワーガーデン」など梅の名所がたくさんあります。
中でも曽我梅林は、その地名度と規模において一番と言えるでしょう。
曽我梅林とは、小田原城の北東方面7kmの場所に広がる「別所梅林」、「中河原梅林」、「原梅林」の総称です。
その規模は約45ヘクタールあり、約35000本の梅の木が植えられています。
食用の梅を栽培しているため、ほとんどの木が白い花が咲く白梅となっています。
梅林は各地区の農家によって運営されている私有地のため、普段の立ち入りはできません。
しかし、毎年2〜3月に開催される「梅まつり」のシーズンは入場可能で、流鏑馬、ちょうちん踊りをはじめ様々な楽しいイベントが催されます。
曽我梅林は、日本三大仇討ちのひとつ「曽我兄弟」ゆかりの場所です。
周囲には、兄弟の菩提寺である「城前寺」など曽我兄弟にまつわる史跡・見どころも豊富に存在します。
この梅林越しに眺める富士山、丹沢・箱根山系の美しさは抜群で、「かながわの景勝50選」にも選ばれています。
住所 : 神奈川県小田原市曽我別所
マップ : Googleマップ
アクセス :
ちょっと視点を変えて、博物館やテーマパークを訪れるのも、観光の楽しみの一つですよね。
有名なスポットから、ちょっと穴場的なスポットまでをご紹介します。
恐竜や宇宙、生き物など自然科学が大好きな人に絶対おすすめの 博物館 は、この「神奈川県立生命の星・地球博物館」です。
横浜 ・馬車道にある神奈川県立博物館(現歴史博物館)から、自然科学部門が独立する形で平成7年(1995年)に開館しました。
その名前の通り「生命の星・地球」の誕生から現在までの、46億年にわたる地球の歴史と生命の多様性を、時間の流れを追ってわかりやすく展示されています。
巨大な恐竜やマンモスの化石標本やアンモナイトなどの化石、世界中から収集された隕石など、展示物の豊富さに圧倒されます。
神奈川県立の博物館らしく、県内で発掘された化石などを見ながら、神奈川の太古の姿を学習することができますよ。
また、ユニークな展示スタイルとして「ジャンボブック」があります。
全国および神奈川県の生き物の標本など…様々なジャンルを27巻に分け、高さ3.2mの立体百科事典として展示しています。
ミュージアムシアターの内容も充実しており、楽しみながら科学の知識を学べる博物館です。
住所 : 神奈川県小田原市入生田499
マップ : Googleマップ
アクセス : 箱根登山鉄道 ・入生田駅から徒歩3分
定休日 :
電話番号 : 0465-21-1515
営業時間 : 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
料金 :
公式サイト : 神奈川県立生命の星・地球博物館
風光明媚な土地柄と温暖な気候から、小田原は明治以降多くの政財界人が移住したり、別荘を構えたりしてきました。
明治時代の首相だった山県有朋の別荘「古稀庵」や、貴族院副議長だった黒田長成の別邸「清閑亭」は今でも保存公開されています。
田中光顕(1843-1939年)も初代内閣書記官や警視総監、学習院院長、宮内大臣などの要職を歴任した人で、晩年小田原に別荘を構えて隠棲しました。
また、小田原は文学者にも愛され、北原白秋や坂口安吾など多くの有名文学者が移住しました。
小田原は有名文学者も多数輩出し、近代文学の先駆者とされる北村透谷、芥川賞作家で文化勲章を受章した尾崎一雄、民衆詩派の中心詩人であった福田正夫が代表格です。
「小田原文学館」は、小田原を愛した政治家と文学者が融合した空間です。
建物は田中光顕の別荘を利用しており、小田原ゆかりの文学者にまつわる様々な資料などを常設展示しています。
田中の別荘は敷地面積約1800坪と三階建の本館と木造平屋建の管理棟で構成され、屋根はスペインから輸入した瓦を用いた南欧風建造物です。
本館一階の談話室と二階洋室の南面に張り出したサンルーム及び三階のべランダは昭和初期のモダニズム建築の特徴をよく示しています。
洋風の建物と純和風な庭園が見事に調和して、くつろぎの空間が演出されています。
この別荘は平成12年に、国の有形文化財に指定されました。
1階展示室は、小田原出身の北村透谷、尾崎一雄や川崎長太郎らの資料が展示されており、2階展示室では谷崎潤一郎、三好達治、長谷川如是閑ら小田原に居住して執筆活動を行った文学者の資料を展示しています。
特別展示の開催もあり、都度興味深い展示物が公開されます。
歴史的建造物と文学を同時に満喫できる贅沢な文学館です。
別館として、当地ゆかりの詩人・北原白秋を記念した「白秋童謡館」が設置されています。
住所 : 神奈川県小田原市南町2-3-4
マップ : Googleマップ
アクセス : 小田原駅から徒歩で20分
定休日 : 年末年始(12月28日〜1月3日)
電話番号 : 0465-22-9881
営業時間 : 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
料金 : 大人250円、小中学生100円
公式サイト : 小田原文学館
㈱鈴廣蒲鉾本店は、江戸幕末の慶応元年(1865年)創業の老舗食品会社です。
実際には100年ほど遡る1780年前後から営業していたとされます。
小田原には有名な蒲鉾製造・販売店が数多く存在しますが、「鈴廣の蒲鉾」のネームバリューは絶大です。
その鈴廣が手掛ける蒲鉾の一大テーマパークが「鈴廣かまぼこの里」では、かまぼこのすべてを満喫することができます。
ここでは蒲鉾の製造過程や材料となる魚について知ることができます。
蒲鉾の材料となる魚については模型が展示されており、馴染み深い魚から初めて名前を聞くような魚までずらり!
蒲鉾の原型が生まれた平安時代頃の食べ方などが紹介されています。
一通り見学が終わったころには、蒲鉾についてかなりの知識を吸収できているばずです。
博物館の一番の特徴は、蒲鉾や竹輪の手作り製造体験できることです。
蒲鉾の製造工程を見学したあと、熟練の職人さんが丁寧に作り方を指導してくれます。
自分で作った焼きたての竹輪に舌鼓を打ち、お土産に世界にひとつだけの蒲鉾を持ち帰れます。
「鈴なり市場」は、かつての東海道・小田原宿の賑わいを再現した施設です。
ここでしか手に入らないレアものの蒲鉾や、贈答用の高級蒲鉾など、ものすごい種類の蒲鉾が販売されています。
お土産にどれを買っていこうか迷ってしまいます。
贈答用の蒲鉾には、オリジナルメッセージやプリントを入れることが可能です。
また、市場のなかにはバーやカフェも併設されており、蒲鉾など旬のつまみを食べながら、のんびりと寛ぐことができますよ。
住所 : 神奈川県小田原市風祭245
マップ : Googleマップ
アクセス : 箱根登山鉄道・風祭駅より徒歩2分
定休日 : 元旦、ほかに臨時休業日あり
電話番号 : 0465-22-3191
営業時間 :
料金 : 無料 ※かまぼこ・ちくわ作り体験1,500円など
公式サイト : 鈴廣かまぼこの里
ういろうといえば、名古屋土産の定番菓子として有名ですが、もともとは中国伝来の薬でした。
小田原のういろうは、菓子としても販売されていますが、従来の薬も製造されています。
ういろう薬は中国原産で、別名「透頂香(とうちょうこう)」とも呼ばれ、 中国 では本来王の被る冠にまとわりつく汗臭の消臭剤として使用されていたようです。
江戸時代には万能薬として知られていましたが、実際の効能は仁丹と同じように口臭防止や口内清涼にあります。
頭痛やめまいなどにも効果があると言われます。
現在でも600年以上変わらない製法を維持していますが、原材料の入手が難しい状況で品薄になっています。
そのため症状が合う人のみの対面販売でしか購入できません。
※妙香散:15包 1,300円
ういろうの歴史は古く、室町時代初期に遡ります。
もともと外郎とは、「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」という要職の名前で、外交官を指していました。
ういろうの祖・陳宗敬は元朝に仕えた外交官(外郎)でしたが、元朝が滅亡して明朝が興ると日本に亡命しました。
博多 に移住して日本に帰化、名前も「陳外郎」と変え、商人として日明間の薬の貿易に貢献しています。
陳外郎の子・宗奇は足利義満も招きに応じて京都に移住、幕府の庇護のもと、ういろうの販売・製造を行うとともに、外交顧問・主治医として活躍しました。
この珍宗奇が外国大使の接待役を務めた際に考案したのが、お菓子のういろうで、大変好評でした。
のちに外郎家は、北条早雲の招きに応じて京都から小田原に移住し、以来ずっと小田原でういろうの製造・販売を行っています。
小田原市の中心部にある外郎本店は、小田原城を彷彿させる城郭風の建物でひときわ目を引きます。
その本館にある「外郎博物館」は、明治18年築の藏を利用した博物館で、平成17年に開館しました。
陳宗敬以来600年以上に渡る、ういろうの歴史がぎっしり詰まった博物館で、入場無料で見学することができます。
住所 : 神奈川県小田原市本町1丁目13-17
マップ : Googleマップ
アクセス : 小田原駅より徒歩15分
定休日 : 週水曜、第三木曜、年末年始
電話番号 : 0465-24-0560
営業時間 : 10:00〜17:30 ※11月〜3月は17:00まで
料金 : 無料
公式サイト : 外郎博物館
最後にご紹介するのは、小田原の豊かな海、そしてその海で獲れる新鮮な魚介類を味わえるスポットです。
小田原は史跡や山の自然だけではなく、海も満喫できる場所です。
眼下に広がる相模湾は海産物の宝庫で、日本近海に生息する魚の40%、約1000種が見られる海です。
小田原の海は沖に出ると、すぐ海底谷があり、水深1,000m以上の深海になります。
表層には黒潮が流れ、その下を親潮の栄養度の高い海水が流れています。
さらに箱根や丹沢山系からの森のミネラルが流れ込み、豊富なプランクトンが育ちます。
そのため、多くの魚たちが集まってくるのです。
小田原漁港(早川漁港)は、もともと陸地であった場所を掘込み式で整備した珍しい漁港です。
漁獲量も豊富で、漁港周辺では新鮮な海の幸が食べられる店がたくさんあります。
そのなかでも一番のおすすめは、”市場エンターテインメント”小田原さかなセンターです。
新鮮な魚を買って、すぐに食べられるBBQ場や、安くてボリューム満点な食事処、珍味まで購入できる土産コーナーなど、小田原の海の恵みを満喫できます。
BBQコーナーでは、テーブルチャージが90分で1000円、4名まで利用可能で、コンロ、軍手、トング、まな板、バットなどの道具は付いてきます。
小田原漁港朝どれの新鮮な地魚や、肉、野菜まで購入することができます。
小田原以外ではめったに目にすることのない、スミヤキやジンダなどという珍魚の味を楽しむことができます。
食事処「朝市食堂」では、新鮮な海鮮丼にアジ干物、ホタテ焼、しらすが付いて1,500円(税込)と、信じられないような価格で提供されています。
行列必至ですが、小田原に行ったらぜひ食べてみたい逸品です。
住所 : 神奈川県小田原市早川1-6-1
マップ : Googleマップ
アクセス : JR早川駅より徒歩10分
定休日 : 年中無休(元旦を除く)
電話番号 : 0465-23-1077
営業時間 : 9:30〜17:00(一部店舗を除く)
公式サイト : 小田原さかなセンター
小田原の海といえば漁港のイメージが強いのですが、風光明媚な海岸が存在します。
御幸の浜(みゆきのはま)は、小田原城から徒歩20分くらいの場所にある海岸です。
小田原の海岸のなかでも特に景色のよい海岸として知られ、天気の良い日には、伊豆半島や三浦・房総半島も一望できます。
朝日の美しい海岸でもあり、小田原市内の初日の出鑑賞スポットとしても有名です。
初日の出とともに開催されるイベント・「小田原元旦初泳ぎ」の会場にもなっています。
御幸の浜の名前は、明治6年(1873年)明治天皇夫妻がこの浜を訪れ、漁師の地引網をご覧になったことに由来します。
夏場は海水浴場になり、駅からも近いので、小田原城など市内観光をしながらの海水浴も可能です。
シーズンオフはとても静かな海岸なので、のんびりと浜辺を散策するのも楽しいでしょう。
住所 : 小田原市本町3-16
マップ : Googleマップ
アクセス : JR、小田急線、東海道新幹線、小田原駅から徒歩20分
電話番号 : 0465-33-1521
定休日 : 観覧自由
営業時間 : 海水浴場 7月初旬~8月下旬
料金 : 無料
公式サイト : 御幸の浜
北条早雲以来の城下町として栄えた小田原は、神奈川県西部最大の都市にまで発展しました。
その長い歴史を物語る史跡、伝統文化が色濃く残っている街です。
自然も豊かで、一日中遊べる公園も豊富にあります。
箱根観光への経由地としてだけではなく、今度は小田原観光を目的として訪ねてみてはいかがでしょうか。
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最終更新日 : 2021/10/28
公開日 : 2018/04/10