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4. 世界淡水魚園「アクア・トトぎふ」・環境楽園(各務原市)
岐阜県の観光というと、まず思い浮かべるのは高山や下呂温泉、白川郷や長良川鵜飼などでしょうか。
その他にも岐阜県には魅力的な観光地が沢山ありますが、エリアによって見たり楽しむ内容がかなり変わってきますし、岐阜県について分かりにくいところもありますので、まず岐阜県とはどんな所か少し確認しておきましょう。
岐阜県は伊勢湾に近い所から 富山 県境まで岐阜県の面積は広く、全国でも7番目となっており、その内の約80%は山林になっているのも特徴です。
人口については2021年現在200万人弱で、岐阜県は全国で17番目に人口の多い県となり、面積との関係から人口密度は30番目となっています。
なお、人口との関連でいうと、面白いとらえ方で、岐阜県には日本の人口の重心があります。
人口重心は、人口調査に基づき、全員が同じ体重で、その居住地に住んでいるとしたら全体の重心はどこにあるか求めるもので、人間でいえば「おへそ」にあたるともいえます。
総務省によれば、2015年現在の重心は岐阜県関市の旧武儀町にあるとされています。
この重心は40年あまり岐阜県内にあり、人口の首都圏への集中を反映して、少しずつ東南東へ移動しているともいわれています。
ところで、岐阜県とか岐阜市の「岐阜」という地名は、意味するところが分かりにくいですが、その由来はどういうことなのでしょうか。
諸説がありますが、よくいわれることには織田信長が命名したと伝えられています。
信長は 愛知県 西部(尾張地方)を本拠地として勢力を伸ばし、1567年には戦いの上、斎藤氏の居城であった稲葉山城を攻め落とし、美濃国も手中に収めました。
同年に信長は稲葉山城に拠点を移しますが、このとき「岐阜城」と改名し、また井ノ口という辺りの地名も岐阜に改めたと伝えられています。
その名前は、尾張の政秀寺の僧侶である沢彦宗恩から、岐山・岐陽・岐阜の三つの案を示され、その中から「岐阜」を選んだとされます。
また、「岐」は中国の周の文王の出身地が「岐山」であり、「阜」は孔子の出身地が「曲阜」であることにつながるとか、「岐」は枝状に分かれた細い道を表し、「阜」は丘陵を表すという解釈もあります。
信長の前から岐阜が使われていたなどの説もありますが、岐阜県の公式資料でも、諸説あるとしながらも信長によって命名されたと説明されています。
岐阜県は愛知県の北西側にあり、県庁のある岐阜市には 名古屋 からも短時間で行くことができます。
ただ、岐阜県は北側に奥行きがあり、岐阜県の周りは 愛知県 の他に 長野県 や 富山県 、 石川県 、 福井県 、 滋賀県 そして 三重県 に囲まれています。
その結果いわゆる内陸県といわれ、そのような県は日本には 奈良県 や 埼玉県 など8県ありますが、岐阜県にも海がありません。
伊勢湾の河口まで15kmほどの所までは岐阜県が延びていますが、海には届いていません。
なお、この付近は海抜ゼロメートルのエリアがあり、ここから平野が岐阜市あたりまで広がった後は、次第に山地となります。
このような、岐阜県の地理の特徴を表す言葉に「飛山濃水(ひさんのうすい)」があり、飛騨地方は山が多く、美濃地方は水、川が多いといわれています。
そして、岐阜県の北部は北アルプスの3000m級の峰に代表される山岳地帯となっており、その多くは、例えば御嶽山、乗鞍岳、穂高連峰、槍ケ岳、白山、伊吹山など隣接県との県境になって、まさに山に囲まれています。
岐阜県の地理を語るときに、これらの山と共に川のことも重要な要素で、集落や交通網そして観光地などが作られるのに大きな役割を果たしています。
岐阜県の大きな河川としては、まず木曽三川(きそさんせん)として、木曽川・長良川・揖斐川が挙げられ、これらはいずれも太平洋側の伊勢湾に注いでおり、下流域では前記のゼロメーター地帯などを生み出しています。
木曽川 は岐阜県側では乗鞍岳の南麓から流れ出し御嶽山の西側、下呂市などを流れ、上流では飛騨川と呼ばれます。
一方、長野県側では乗鞍岳の南東側から流れ出し、御嶽山東側の水を集めながら中津川市を通り、美濃加茂市と可児市の境で飛騨川と合流し大河となり、愛知県との県境を流れます。
長良川 は、郡上市の「ひるがの高原」にある大日岳から流れ出し、郡上市中心部、美濃市、関市、岐阜市などを流れて最後は揖斐川と合流して、伊勢湾に注ぎます。
清流として有名で、流域に名水を生むと共に、鮎を育て、鵜飼などで魅力的な河川となっています。
揖斐川 は、福井県武生市の県境付近から流れ出し、伊吹山地の東側の水を集めて大垣市などを通り、最後は長良川と合流して伊勢湾に注ぎます。
なお、太平洋側に流れる川としては土岐市などを流れる土岐川(庄内川となり、愛知県に流れます)や、恵那市などを流れる矢作川(愛知県に流れます)があります。
次に日本海側に注ぐ川については、まず富山県を流れる 神通川 水系があり、その上流の一つに 宮川 があります。
宮川は高山市の中心部から南西方向にあの川上岳から流れ出し、高山市街地や、飛騨市古川町などを流れ、一方では穂高や槍ケ岳の西側から流れ出す高原川は飛騨市神岡町などを流れて、富山県との県境付近で宮川と合流して神通川となります。
また、 庄川 も富山県を流れますが、上流は高山市荘川町付近でせせらぎ街道の西側やひるがの高原の北側の水を集めて、御母衣湖や合掌造りの白川村などを通って、富山県に入り五箇山などを経て日本海に注ぎます。
なお、郡上市高鷲町のひるがの高原の湿原は「 中央分水嶺 」と呼ばれる観光ポイントでもあり、ここから北側の水は庄川として日本海側に流れ、南側は長良川として太平洋側に流れます。
その他に、福井県の九頭竜川の上流にある支流である石徹白川(いとしろがわ)は白山南方、ひるがの高原の西側の岐阜県内を流れて九頭竜川に合流しています。
岐阜県を観光するときの参考に、また岐阜県を理解するのに役立つと思われますので、交通網について簡単にご紹介します。
まず道路については、平地は縱橫に道路網が張り巡らされますが、山地においてはどこでも同じです。
古い時代にはまず川沿いに集落ができ、それをつなぐ道路ができ、ところどころでは山を越える峠道もできました。
岐阜県においても同様で、前記の川筋に道路ができ、一つの川筋から別の川筋に抜ける峠道も沢山できています。
観光でもよく利用され例を挙げると、安房峠は奥飛騨と上高地・松本方面を結び、平湯峠は奥飛騨と高山市街を結んでおり、また舞台峠は下呂と中津川方面を結ぶなどです。
なお、安房峠は1997年にその下に安房トンネルが完成され、大幅な時間短縮と冬季にも奥飛騨への通行が確保されるようになりました。
古代からの道も興味深いもので、岐阜県では東山道・中山道があります。
東山道 (とうさんどう)は奈良時代など律令時代に五畿七道の一つとして制定されましたが、近江の国から、美濃、信濃を経て陸奥の国までの国々が行政単位として東山道と定められました。
同時にそれぞれの国府を結ぶ道が東山道と呼ばれ、役人の通行や納税物の運搬などのために、道路や宿場などを整備されたものです。
道路としての東山道は滋賀県の長浜市から関ケ原町、岐阜市、美濃加茂市、中津川市などを経て、長野県につながっており、また高山市には東山道の本線はつながらず支線がつながっていました。
江戸時代には 中山道 が整備されましたが、東山道を再編成して江戸につながるようにしており、岐阜県辺りでは、ほぼ同じルートといえるようです。
中山道については岐阜県内に16宿があり、現在でも馬籠宿をはじめ当時の面影を伝える所も多く、観光スポットともなっています。
また、江戸時代には高山で鉱山が採掘され、徳川幕府の直轄とされたこともあり、中山道の支線が高山まで整備されました。
現在の高速道路については、まず 名神高速道路 が、岐阜県の南部から西部にかけて設けられており羽島市や大垣市などを経て、愛知県と滋賀県を結んでいます。
次に 中央自動車道 があり、愛知県の小牧方面から岐阜県の南東部である多治見市、恵那市、中津川市など木曽川に沿うように建設され、恵那山トンネルを経て長野県につながります。
また、 東海北陸自動車道 は愛知県の名神高速道路の一宮ジャンクションから長良川に沿うように岐阜市、郡上市、ひるがの高原、白川郷などを経て、富山県の砺波地方につながっています。
さらに、 東海環状自動車道 は名古屋圏をぐるっと取り囲むもので、東名高速道路の豊田東ジャンクションから北進し中高自動車道の多治見シャンクションと、東海北陸自動車道の美濃関ジャンクション、名神高速道路の養老ジャンクションを経て三重県の四日市まで結びますが、岐阜県南西部と三重県の一部は未開通です(2021年現在)。
鉄道については、まずJRでは 中央本線 があり、名古屋駅から岐阜県では木曽川沿いに多治見駅、土岐駅、恵那駅、中津川駅などを経て長野県に入り、塩尻駅から 東京 の新宿まで運行されています。
なお、名古屋駅~塩尻間は中央西線ともいわれ、JR東海の運営で全線開通は1911年のことです。
次に JR高山本線 ですが、高山方面への交通機関として大変重要で、岐阜駅から下呂駅、高山駅などを経て富山駅までつながっており、この路線の全線が開通したのは1934年です。
したがって、それ以前は高山方面に行くのは大変だったことが分かりますね。
なお、名古屋駅から高山線の特急に乗ることができますが、岐阜駅までは東海道本線を走り、そこから高山本線となります。
その他のJRでは美濃太田駅から可児駅、多治見駅を結ぶ 太多線 (たいたせん)があります。
私鉄関係では、岐阜県の南東部には 名鉄(名古屋鉄道) の鉄道網があり、名古屋から各務ヶ原駅や岐阜駅に行くことができます。
次に 長良川鉄道 の越美南線は美濃太田駅から関市、郡上市などを経て北濃駅まで運行され、牧歌的な雰囲気で人気があります。
明知鉄道 は恵那駅から明智駅までを結ぶ路線で、日本大正村へ行くことが出来、またグルメ列車などが人気を呼んでいます。
その他、 樽見鉄道 は大垣駅から本巣市の樽見駅を結び、 養老鉄道 は三重県の桑名駅から養老駅、大垣駅を経て揖斐駅まで運行されており、養老の滝に行くのに便利です。
それでは、岐阜県のおすすめ観光スポットをエリア別に見ていきましょう♪
飛騨は岐阜県の北部のほとんどを占めており、その中の市町村には高山市、飛騨市(旧・古川町などが合併)、下呂市、白川村が含まれます(なお、旧・荘川村は高山市に合併しています)。
飛騨の東側は飛騨山脈(北アルプス)で、木曽御岳、乗鞍岳、穂高連峰、槍ケ岳などが連なり、北側は黒部五郎岳他があり、それらが長野県や富山県との県境になるなど、飛騨の境界がはっきりしています。
西側も白山などがある両白山地で、石川県や福井県との県境となっています。
飛騨の南側は、上記マップでも分かるように南東方向の御嶽山の方まで延びていて、どこまでかは分かりにくいですが、概ね下呂市までが飛騨と呼ばれています。
飛騨の南側は中濃となり郡上市などと接し、南東部の一部が東濃の中津川市(加子母地区)と接しています。
前にも述べましたが、飛騨エリアは律令制度で制定された飛騨の国をベースとしており、昔の行政の中心である国府は、高山市国府町(現在の高山市の中心部とは少し離れます)にあったようですが、正確には場所が特定されていません。
なお、「飛騨」という言葉は、古くは「斐太」や「斐陀」と書かれたようで、現在でも斐太高校や民間企業に「斐太」を使う例もありますが、700年頃に飛騨の国から朝廷に神馬を献上し、その馬が評価され、それ以降「飛騨」と表されるようになりました。
江戸時代の初期には高山藩が置かれていましたが、1695年に旧・飛騨の国全体が幕府の直轄、いわゆる天領となりました。
飛騨は多くが山岳地帯であり開発も遅れていて、天領にした理由は正確には分かりませんが、豊富な木材があることと、銀や亜鉛のなどの開発を狙ったのかもしれません。
域内には、何か所かで多少の金を採掘したという事実がありますが、大々的には展開されなかったようで、飛騨の産業としては林業が中心で、そこから木工も盛んになり飛騨の匠も生まれていきました。
とにかく、天領になり代官所・陣屋を中心に町が形成され、飛騨の小京都といわれる現在の高山市となったものです。
明治時代の廃藩置県により、最初は飛騨県が生まれ、すぐに高山県となりましたが、その後信濃の一部と筑摩県が作られた上、先にできていた岐阜県に1876年に統合され、現在の岐阜県の姿になっています。
飛騨は山に囲まれており、それぞれの場所で条件が大きく異るため平均的に説明するのは難しいですが、全体に気候は日本海側気候といわれています。
なお、飛騨エリアの高い山岳地帯は別として、居住地の気候について例を挙げると高山市街地では標高が500m台で、8月の平均気温は約23.7℃で岐阜市のそれは約26.4℃ですので、3℃ほど涼しいです。
冬は1月の平均気温が高山でマイナス1.6℃で、岐阜市は4.3℃ですので、6℃近く寒いことになります。
さらに、旧・荘川村は東海地方唯一の寒冷地とされ、厳しく冷え込む所もあります。
具体的なオススメの観光地については、後でご紹介しますが、ここでは飛騨全体について要約してご説明します。
飛騨の観光では、やはり高山市が中心になりますね。
高山市は古くから飛騨の行政や産業の中心で、江戸時代を中心に形作られた飛騨の小京都と呼ばれますが、その町並みや、陣屋(代官所)などの建物や、各種商店の様子、あるいは朝市などが、日本の古き町としてノスタルジーを誘い、日本人だけでなく外国人も大勢が訪れています。
また、高山祭りは春と秋に行われ豪華な屋台が引き回されることで、大変な人出となります。
その他、高山市の郊外の観光スポットとしては、宇津江四十八滝や荘川桜、平湯大滝、奥飛騨温泉郷、さらに新穂高ロープウェイによる穂高連峰の展望、乗鞍岳登山(畳平までシャトルバス利用)など多数があります。
飛騨市は高山市の北側にあり、旧・古川町を中心としていますが、ここも古い町並みが保存され、白壁の土蔵と傍の水路には鯉が放たれて風情を醸し出しています。
お祭りも古川祭りがあり、起し太鼓と呼ばれる大太鼓で人気を呼んでいます。
郊外の観光スポットとしては、天生湿原や神岡鉱山資料館があり、スーパーカミオカンデも事前申し込みで見学できることもあります。
下呂市では、まず日本の三名湯(他の意見もあります)に数えられる下呂温泉があり、飛騨川沿いの多数の温泉宿に沢山の観光客が訪れています。
温泉 から近いところには、下呂温泉合掌村があり、また下呂側から御嶽山に向かうことができ、中腹には濁河温泉もあります。
グルメには飛騨牛がオススメですが、他にも朴葉味噌、赤カブ、 高山ラーメン 、飛騨の地酒などが人気です。
その他、飛騨の匠の一位一刀彫、飛騨独特の人形である「さるぼぼ」もオススメです。
高山市は前記の通り古くから飛騨国の国府や国分寺が置かれ、現在でも飛騨地方の中心都市です。
江戸時代の当初は高山藩や、高山城も置かれていましたが、やがて徳川幕府の直轄地、いわゆる天領となり、陣屋(代官所)が行政の中心となりました。
飛騨地方は開発が遅れていましたが、木材や鉱物などを資源としてそれなりに安定し、高山の町も「飛騨の小京都」と呼ばれるように、碁盤目に街が造られなどし、それが現在につながっています。
また、現在も行われている朝市や春秋の高山祭りなど伝統的な風習も息づいていたり、さらに飛騨牛や赤かぶの漬物、高山ラーメン、地酒などのグルメ関係も含めて、日本のふるさととして評価が高く、日本人だけでなく外国人にも非常に人気のある町です。
交通の便が良いとはいえませんが、行く価値のある所です。
高山市には古い街並みが保存地区として残っており、高山市のシンボル的な景観となっています。
その代表的なものが「三町通り」と呼ばれるエリアで、上三之町・上二之町・上一之町・片岡町・神明町4丁目の東西150m・南北420mほどの街並みですが、ここでは電柱が撤去され、建物の高さも陣屋以下にするなどの努力で景観が保たれています。
なお、この地区は主として商家が集まっており、さまざまな商店や民家、飛騨民俗考古館他の展示館を楽しむことができます。
高山藩は江戸時代の1692年に徳川幕府の直轄となり、代官によって治められましたが、その代官所・郡代役所が高山陣屋として保存されています。
数多くある土蔵など建物の一部は加山城にあったものが移築され、その他表門、郡代役所の玄関、吟味所、広間などが公開されています。
江戸時代の建物の様子が分かる貴重な施設として、多くの人が訪れる所です。
なお、陣屋の門前では「陣屋朝市」が開かれており、ここも人気があります。
高山の朝市は陣屋前の他、宮川朝市が有名です。
場所は三町通りの北側、下三之町の宮川沿いの路上で、鍛冶橋から弥生橋辺りまでに、繰り広げられます。
高山の朝市は江戸時代からあったといわれますが、宮川朝市として始まったのは1953年からで、数十の店が出店し、輪島の朝市などと共に日本四大朝市の一つとされ、観光客にも人気のスポットとなっています。
営業時間は基本は6時から12時ですが、冬は7時からの店が多いです。
扱う品物は野菜・漬物などの食料品の他、手工芸品や衣料など幅広く売られています。
高山祭りは日本三大曳山祭りの一つとして、またユネスコの世界無形文化遺産の一部として登録される伝統的なお祭りです。
春と秋に行われますが、4月14・15日は日枝神社のお祭りとして12台の屋台が曳きそろえられ、10月9・10日は桜山八幡宮のお祭りとして11台が見られます。
春と秋は別の屋台ですが、いずれも江戸時代から伝わる豪華絢爛な造りで、また「からくり」も披露され、非常に多くの観光客を魅了していますので、ぜひご覧ください。
なお、高山祭り以外の時期は、桜山八幡宮の境内には祭り会館があり、祭り屋台が公開されています。
上記の他、高山市街には、高山城址、国分寺、飛騨民俗村などの多くの観光ポイントがあります。
また、飛騨牛や朴葉味噌、高山ラーメンなど郷土色豊かなグルメもありますので、お楽しみください。
※以下、代表的な観光スポットとして高山陣屋のスポット情報を掲載しています
住所 : 岐阜県高山市八軒町1丁目5番地
マップ : Googleマップ
アクセス : JR高山駅、高山濃飛バスセンターから徒歩10分
電話番号 : 0577-32-0643
定休日 : 年末年始(12月29日〜1月1日)
営業時間 : 8:45~17:00(11月~3月は8:45~16:30)
料金 : 大人440円、高校生以下無料
備考 :
公式サイト : 高山陣屋
飛騨市は高山市の北側にある市で、旧・古川町・神岡町・河合村・宮川村が合併してできた市です。
全体に高地にあり、北東には黒部五郎岳(標高2840m)その西側は1000mを越える山に囲まれており、山の近くは豪雪地帯ともなっています。
そのような中で、古川町の中心部は、高山市から流れる宮川(神通川となって富山県に流れます)の流域に発展した町で、古くからの町並みや伝統行事で人気がある観光スポットとなっています。
古川町は高山の奥座敷とも呼ばれますが、白壁土蔵の建物が約500mにわたり保存されており、その側には瀬戸川のきれいな用水が流れており、鯉も多数放流され、絶妙な風情を醸し出していますので、散策にピッタリのスポットです。
なお、この用水は日本の疎水百選にも選ばれています。
また、この道筋から近い所に、和ろうそくで有名な「三嶋和ろうそく店」もありますので、お訪ねください。
「三寺まいり」とは、古川町の中心部にある3つのお寺、円光寺・真宗寺・本光寺をお参りする200年も続く伝統風習です。
昔から当地の娘さんは野麦峠を越えて信州に糸引きの仕事に出掛け、冬に故郷に帰って着飾って三寺をお参りしながら、男女の出会いも生まれて、それも楽しみとなっていました。
現在は1月15日の夜に瀬戸川沿いに千本のロウソクが灯される中、晴れ着の娘さんたちがお参りする様子は幻想的でロマンティックでもあり、縁結びのスポットとして、観光で訪れる若い女性にも大人気のイベントとなっています。
着物もレンタルがありますので、気軽に参加することができます。
イベントとしての「三寺まいり」は1月15日だけですが、他の日、昼間でも三寺めぐりを楽しんではいかがでしょうか?
なお、本光寺には飛騨の女性たちを描いた「野麦峠」の文学碑があります。
詳しくは、飛騨市観光協会(電話番号0577-74-1192)にお訪ねください。
古川祭りは毎年4月19・20日に行われる伝統行事で、ユネスコの世界無形文化遺産の一つとして登録されています。
内容は「起こし太鼓」として有名な大太鼓を載せた櫓を数百人の裸男が担ぎ、もみ合う勇壮なお祭りで、同時に9台の屋台が繰り出され、飛騨の匠の粋を雅やかに見ることができます。
なお、お祭りの日以外は、まつり会館でそれらの現物や、映像を見たり、さらにからくり人形の操作や大太鼓の試し打ちなどを体験できます。
また、まつり会館は各種観光の案内所ともなっていますので、古川観光の最初に立ち寄られることをオススメします。
住所 : 岐阜県飛騨市古川町壱之町14-5
マップ : Googleマップ
アクセス :
※古川まではJR高山駅から高山本線で約16分(バスもあり)、富山駅からは特急で約1時間20分
【自動車の場合】定休日 : 年中無休
電話番号 : 0577-73-3511
営業時間 : 基本は9:00~17:00、12月~2月は16:30まで
料金 : 大人700円、小人300円
公式サイト : 飛騨古川まつり会館
もともと白川郷とは岐阜県の大野郡白川村や旧荘川町など少し広い範囲を表していましたが、白川村の荻町地区に合掌集落があり、最近では白川郷といえばこの地区を指すことが多くなっています。
白川郷の合掌造りの家屋は現在約60棟残っており、富山県の五箇山と共に、ユネスコの世界遺産の文化遺産として登録されています。
合掌造りそのものについては、豪雪地帯に適した急勾配の屋根で、平地が少ない土地のため家屋を3階構造にして、上の階で養蚕他の作業に利用するなど、この土地に適した構造であるとされ、それが集まって独特の景観を作っています。
なお、かっては現在よりも倍以上の合掌造りの家屋があったようですが、茅葺屋根の葺き替えなど維持、保存するのも大変で減少しているといわれています。
合掌造りの家屋が集まる荻町地区を自由に散策できます。
なお、この集落の家屋は現在も住人がいて生活の場としていますので、散策する場合も住民への配慮が必要ですが、中には内部を開放したり、食事できる所もありますので、ご利用ください。
その一つは和田家で、1573年から続く旧家で代々庄屋を務めており、母屋・土蔵・便所が国の重要文化財となっています。
和田家では江戸時代に煙硝(火薬の原料)を取引きしていたといわれ、多いときは20人もの大家族が住んでいた住宅です。
荻町地区では例年1月下旬から2月中旬には、原則として日曜日に2時間ほどライトアップされ、雪の中に合掌造りが浮かび上がる幻想の世界が見られます。
また、各所に備えられた防火用の放水銃の放水訓練も風物詩としてカメラ愛好者などに大人気です。
この民家園は荻町地区の集落の川を挟んだ所に、9棟の合掌造りの家屋(いずれも岐阜県の重要文化財)を集めた野外博物館です。
もともとは、白川村の加須良地区の人たちが集団離村したときに、合掌造りの家屋を譲り受け移築したのが始まりで、その後も少しずつ増やしてきたものです。
荻町地区の家屋と違い、展示用の施設ですので、ゆっくりと家屋の構造や生活の仕方を見学することができます。
また、園内には「かたりべの館」や「芸能の館」、お休み処、売店などもあります。
荻町地区の合掌集落を小高い所から一望できるスポットが2つあり、2つ共かっての荻城の跡にに隣接してありますので、まとめて城山展望台ということもあります。
その一つは、「天守閣展望台」で、ここは「お食事処・天守閣」の私有地で、食事処や土産物を営業していますが、展望台を開放しており、絶景を眺めることができます。
荻地区の、せせらぎ公園駐車場からシャトルバスがあり、またマイカーで行くこともできます。
もう一つは公共の「城跡展望台」で、両展望台は隣接しており、こちらは無料で利用できますが、木が邪魔になるという声もあり、また冬季は閉鎖されます。
大人気の展望台で、冬のライトアップのときなどは大勢押しかけると危険性もあるため、シャトルバスの人数制限なども行われますので、詳しくは白川郷観光協会(電話番号05769-6-1013)にお尋ねください。
住所 :
マップ : Googleマップ
アクセス :
富山バスターミナルから約1時間25分
【車の場合】電話番号 : 05769-6-1231
定休日 :
営業時間 : 【3月~11月】8:40~17:00【12月~2月】9:00~16:00
料金 : 大人600円 小人400円
公式サイト : 合唱造り民家園
新穂高ロープウェイは、奥飛騨の一番奥にある新穂高温泉から西穂高岳の中腹まで行くことできるもので、穂高岳他の北アルプスを近くから大迫力で眺めることができます。
ロープウェイは2つに分かれていて、途中で乗り換えます。
具体的には、第1ロープウェイは新穂高温泉駅(標高1,117m)から鍋平高原駅(標高1,305m)まで全長573mを約5分で結びます。
第2ロープウェイは鍋平高原駅から徒歩1分ほどの「しらかば平駅」(標高1,308m)から西穂高口駅=山頂駅(標高2,156m)まで全長2,598mを約7分で結びます。
なお、第2ロープウェイは日本で初めての2階建てのゴンドラを使用し、定員は121人です。
このロープウェイは年間を通して運行され(ただし、保守点検のための臨時休業を除きます)、山頂駅の展望台や、近くの散策スペースで楽しむことができます。
ただし、シーズンによっては相当混雑し、ロープウェイに乗るのに時間がかかることもあります。
山頂駅は1・2階はロープウェイの乗降場で、3階は売店、4階が食堂、屋上が展望台となっていて、トイレなども完備されています。
ここでの楽しみは何といっても360°の山岳パノラマで、特に西穂高岳他の穂高連峰から槍ケ岳方面の岩峰を間近に眺められ、ミシュラン・グリーン・ガイドでも二つ星になっています。
このような本場のアルプスのような光景を観光で見られことは、他ではないことですね。
その他、焼岳や乗鞍岳、西側の笠ケ岳などの大展望に感動すること間違いありません。
山岳のことですから、天候次第で大きく変わることも覚悟することも必要です。
なお、このロープウェイを利用して西穂高岳などへ登山する人もおり、山頂駅から見える西穂山荘は山頂駅から2時間ほどのコースで、季節がよければトレッキング的に行くこともできますが、その先は上級者向けの登山コースとなります。
山頂展望台付近は原生林となっていて、5月~10月には散策コースを巡ることができ、そこでは山野草や高山植物も見ることができます。
冬場は天候が良ければ、雪山の絶景が見られますし、駅付近に雪の回廊も設けられ散策できますが、天候の安定するゴールデンウィーク頃が、雪山もきれいで、また雪の上を歩くことができオススメです。
ロープウェイを第1から第2に乗り継ぐ辺りが標高1305mほどの鍋平高原で、ここではゆっくりと大自然を楽しめます。
散策する場合は、ネイチャートレイルとして2kmあまりの散策路が整備され、冬にはスノーシューで巡ることもできます。
また、2つの駅の間には山野草ガーデンがあり、イワカガミ他の高山植物も間近に見ることができます。
さらに、「山楽館(さんがくかん)」という資料館があり、併設して天然温泉の露天風呂「神宝之湯」があります。
なお、鍋平高原には、ロープウェイの他、車で行くことができます(ただし、降雪期は除きます)。
新穂高ローウェイの起点となっている新穂高温泉の他、奥飛騨の入り口の平湯温泉から、福地温泉、新平湯温泉、栃尾温泉の5つをまとめて「奥飛騨温泉郷」と呼んでいます。
ここは源泉が沢山あり、泉質も異なりますが、透明で癖のない単純泉や炭酸水素塩泉が多く、また湯量が豊富なことで知られていますので、ロープウェイで山上を楽しむのと共に温泉で癒やされてはいかがでしょうか。
なお、各温泉地にはいくつも温泉宿・露天風呂も沢山あり、中には槍ケ岳を眺めながら河原の露天風呂(上の写真)を楽しめる所もあります。
また、平湯大滝という名瀑があり、冬には結氷した滝でライトアップも行われ魅力的な世界が出現しますので、これもオススメです。
その他の温泉地でも冬のイベントが行われ、楽しむことができます。
住所 : 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷新穂高温泉
マップ : Googleマップ
アクセス :
・松本からバスで約2時間10分
【車の場合】定休日 : 無休(悪天候時・点検の際は休業あり)
電話番号 : 0578-89-2252
営業時間 :
料金 :
注意点 : 駐車場:新穂高温泉駐車場 1回500円~
公式サイト : 新穂高ロープウェイ
下呂は飛騨川のほとりにあり、飛騨エリアの南部、高山方面への入り口にあります。
下呂温泉は、古くから有馬温泉・草津温泉と共に日本の三名湯(他の説もあります)とも呼ばれる有名な温泉で、地理的には名古屋方面が近いですが、全国から温泉を楽しむ人が訪れます。
温泉の起源は10世紀頃と伝えられ、当時は山の上から湧き出していましたが、一時お湯が出なくなり、13世紀に白鷺がとまった河原から再び温泉が湧き出したという伝説があります。
それが現在の源泉になっており、泉質はアルカリ性単純泉で、肌にやさしく、美容・健康にいいと評判です。
なお、下呂温泉の特徴としては、温泉の安定的な供給のために源泉は集中管理されており、どの宿でも同じ源泉・泉質のものを使っています。
源泉の温度は最高84℃もありますが、55℃で供給されています。
下呂温泉には数十軒の宿泊施設がありますが、日帰り温泉・共同浴場も多数ありますのでご利用ください。
昭和初期創業の下呂温泉を代表する老舗旅館です。
JR下呂駅から車で5分ほどの温泉街を見下ろす山中にあるロケーションで、5万坪もある敷地の中に和風の建物が佇んでいます。
本館は国の重要文化財にも指定されており、木造建築のレトロな趣を堪能でき、3階には展望台も設けられています。
客室は67室あり、お風呂は露天風呂が2か所、家族風呂(無料)が4か所あります。
詳しくは同館にお尋ねください(電話番号0576-25-4126)。
水明館は、JR下呂駅からすぐで、飛騨川にも近い所にあり、下呂温泉の大型ホテルの老舗として広く知られているお宿です。
施設の内容は、まず客室数は246室あり、宿泊棟は飛泉閣、山水閣、臨川閣、青嵐荘と4つの趣の異なるゾーンに分かれています。
お風呂はタイプの異なる大浴場が3か所あり、館内でお湯巡りも楽しむことができます。
また、もちろん貸切風呂もあります。
その他、プールとジムも併設されていますので、様々な利用方法ができる施設です。
詳しくは同館にお尋ねください(電話番号0576-25-2800)。
温泉時寺はJR下呂駅から徒歩で約15分、坂と石段を上がった所にある、臨済宗のお寺です。
このお寺は前記下呂温泉発見の白鷺伝説に関連するお寺で、河原で温泉を知らせた白鷺が、飛んでいき止まった所が、この温泉寺の地であり、松の木の下に薬師如来像が坐っていたため、人々はここに「湯島薬師堂」を創り、現在につながっています。
なお、本堂前にある薬師如来像の下からは温泉が湧き出しており、信仰を集めています。
詳しくは同寺にお尋ねください(電話番号0576-25-2465)。
JR下呂温泉駅から約1.5kmほどの所にあるテーマパークで、「合掌の里」ゾーンでは名前の通り合掌造りの家屋が10棟展示されています。
これらは、白川郷や五箇山から移築復元されたもので、代表的な例では国の重要文化財の大戸家住宅など、建築様式や生活の様子を見ることができます。
また、「歳時記の里」ゾーンがあり、桜とモミジを中心としたエリアで、ゆっくりと自然を楽しむことができます。
その他、「飛騨工房」もあり、そこでは陶器作りや和紙すきなどが体験できます。
詳しくは同園にお訪ねください(電話番号0576-25-2239)。
東濃とは美濃の東部で東側は長野県、南側は愛知県と接しますが、行政単位では北から中津川市、恵那市、瑞浪市、土岐市および多治見市が含まれます。
北側は飛騨エリアの下呂市と接し、西側は中濃エリアである白川町(合掌造りの白川村ではありません)や可児市などと接します。
北側は御嶽山の南側にあり、1,500mから1,800mの山地が連なり、東側に最高地点である恵那山(標高2191m)がありますが、南にある多治見付近では低山帯となっています。
このエリアの特徴としては、上記各市の中心部をJRの中央線が通っており、また中央自動車道もあって、幹線として交通網が整備されています。
そのようなこともあってか、かって首都圏移転論があったとき、移転先の候補として「東濃へ首都を」と名乗り出ています。
なお、中津川市と恵那市では、木曽川の本流が流れて景観を作っています。
まず中津川地区ですが、中山道の宿場である馬込宿があり、山の上ですが大勢の人が訪れるスポットです。
なお、馬籠宿はもとは山口村として長野県に属していましたが、2005年に村ごと中津川市に越県合併しています。
中津川市や恵那市では良質な栗が採れ、「栗きんとん(上の写真)」などの和菓子が有名な所です。
恵那市には木曽川中流の景勝地である恵那峡があり、また旧・明智町には「日本大正村」があり、明知鉄道も含めて人気があります。
その他、旧・山岡町は寒冷・乾燥の気候を利用して寒天の生産が盛んであり、また旧・岩村町には山城として有名な岩村城や農村景観日本一といわれるスポットもあります。
また、多治見市などは陶磁器の生産が盛んであり、作品を観たり、お土産を買う他、陶芸体験ができますので、趣味のある方にはオススメです。
さらに、虎渓山永保寺という名刹も訪れたいスポットです。
中津川市にある馬籠宿は、中山道の宿場で、江戸の日本橋から数えて43番目の宿となります。
ここはもとは長野県の旧・山口村に属していましたが、2005年に山口村が越県して岐阜県の中津川市と合併したため、馬篭宿は岐阜県に編入された珍しいケースです。
中山道の古い宿場の様子が残っているため、長野県側の妻籠宿(42番目の宿)と共に、大勢の観光客が訪れるスポットです。
江戸時代後期の記録によれば、馬籠宿の家数は69軒で、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠が18軒あり、住民は700人あまりであったとされています。
昔の建物については、明治時代と大正時代に火災があり、建物はすべて焼失し、残ったのは石畳だけだったようです。
しかし、関係者の努力により、昔の通りに建物が復元され、違和感なく昔の宿場と感じられるようになっています。
この宿場を有名にしている理由の一つに明治生まれの文豪・島崎藤村(1943年没)が生まれた所であり、小説の「夜明け前」も馬籠宿を舞台としていることがあります。
島崎藤村記念館もありますので、お訪ねください。
中津川方面から馬籠宿に入ると馬込荒町があり、ここから宿場が約600m続きますが、商店や記念館などが軒を連ねているのは馬篭下・馬篭上と呼ばれるエリアで、ここを抜けるとやがて馬籠峠となります。
馬籠宿は坂道が続き中心部は標高が概ね600mくらいですが、馬籠峠は長野県の妻籠方面との境界で、標高が801mとなっており、妻籠方面には下り坂となっていきます。
このような馬籠宿の商店などを眺めながら、思い思いに散策して、江戸時代や明治時代に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
食事の店や気のきいたカフェもいくつかあります。
また、南側真正面にある恵那山(標高2,191m)などの山並みを眺めながらの散策はリラックスさせてくれること間違いありません。
小説家・詩人の島崎藤村は馬籠宿の中心部の家で1872年に生まれ、9歳で学問のために上京しました。
生家は代々本陣・庄屋・問屋を兼ねた旧家でしたが、小説「夜明け前」にも書かれているように時代と共に徐々に没落していったといわれ、さらに1895年の大火で生家は焼失してしまいました。
そして、没後の1947年に地元の人たちの熱意で跡地に記念館が設立され、記念館では、島崎藤村の遺愛品や「夜明け前」の原稿、愛蔵の資料など6000点が収蔵され、随時展示されると共に、祖父母の隠居部屋や本陣の礎石などがあり、往時を偲ぶことができます。
また、記念館の隣りの永昌寺は島崎家の菩提寺で、藤村の遺髪や冬子夫人、三人の娘さんなどが葬られています。
馬籠宿には中津川や菜木曽駅・妻籠宿からバスで行ったり、マイカーで行くこともできますが、ハイキングとして中山道を歩くのもオススメです。
コースのとり方はそれぞれの好み・都合によりますが、地元が設定したポイント(中津川宿・落合宿・馬籠宿・妻籠宿)を発着点にすると、荷物を預かってくれたり、あるいは荷物をゴール地点まで運搬するサービス(有料です)もあるため便利です。
特に馬込から妻籠までのコースはゆっくり歩いて約3時間(逆もほぼ同じ)で、外国人も含めて大勢が歩いています。
落合宿から馬込宿は登りが続きますが約1時間で行くことができ、さらに中津川宿から馬籠宿を経て、妻籠まで1日コースとして歩く人もいます。
住所 : 岐阜県中津川市馬籠
マップ : Googleマップ
アクセス :
電話番号 :
注意点 : 駐車場、坂上は4カ所無料(宿場内への車両乗り入れ不可)
恵那峡は恵那市を流れる木曽川中流にあります。
もともと急流であった所ですが、中部地方の電力開発に尽力した福沢桃介が苦労の末、大正時代に水力発電のダムを建設しました。
福沢桃介は福沢諭吉の婿養子ですが、ダムの建設ではパートナーの川上貞奴(日本の女優第一号)の援助も大きかったといわれています。
奇岩が多い渓谷でしたが、水をたたえることによって、まったく様相のことなる景勝地として生まれ変わり、地理学者の志賀重昴により「恵那峡」と命名されました。
岐阜県の県立公園ともなり、観光施設もでき、舟で湖上を遊覧できるなど、大自然の中で一日を楽しめる観光スポットとなっています。
恵那峡のメインである大井湖(大井ダムともいわれます)の右岸の半島にある公園で、湖畔に散策路が整備されていますので、エメラルドグリーンの湖面を眺めながら散策するのにオススメです。
春には桜が咲き、ライトアップも行われ、ツツジやフジの花も目を楽しませてくれる所です。
上記さざなみ公園の近くから遊覧船が出ており、湖上をクルージングしながら山並みや湖岸に点在する奇岩・大岩を眺めることができます。
コースは上流方向に進み、付知川が合流する付近までを往復するもので、途中、軍艦岩・獅子岩・屏風岩・観音岩などを巡り、恵那峡大橋を下から眺めます。
定期遊覧船はジェット船で、所要時間が約30分、基本的に30分ごとに出航します。
なお、10人以上の場合は屋形舟もあり、食事付き、1時間コースとなります。
詳しくは「恵那峡遊覧船」にお尋ねください(電話番号0573-25-4800)。
恵那峡ワンダーランドはダムを望む高台にあるファミリー向けのテーマパークで、以前は「恵那峡ランド」といっていましたが、経営主体が変わり、現在のようになっています。
アトラクションとしては、大観覧車・子供も乗れるコースター・スーパーバイキング、ゴーカートなど多数があり、またBBQ施設もありますので、家族でさまざまに楽しめる所です。
なお、冬季は休業していますので、ご注意ください。
詳しくは同園にお尋ねください(電話番号0573-45-3333)。
恵那峡のほとりには、上記の他に、食事もできる展望ガーデン「天界園」、鉱石の展示やチャペルがある「博石館」、天然記念物の「笠岩」などがあります。
また、恵那市街や中津川方面は、有名な和菓子の「栗きんとん」があり、川上屋・すやなどの人気店もありますので、よろしければお試しください。
住所 : 岐阜県岐阜県恵那市大井町(恵那峡公園前を表示)
マップ : Googleマップ
アクセス :
恵那駅までは名古屋駅から約42分、塩尻駅から約1時間17分
【車の場合】電話番号 : 0573-25-4058(恵那市観光協会)
日本大正村は、恵那市明智町にあるテーマパークで、1984年に設立されました。
テーマパークといっても、普通の施設のように囲まれた敷地の中にあるものではなく、普通の集落そのものが大正村であるというユニークな発想で、運営されています。
合併前の旧・恵那郡明智町はそれまでの木材業などの不振で財政などが非常に苦しくなり、同時に、恵那市と結ぶ明知鉄道も旧国鉄の再建で実質的に廃線の危機にありました。
そこで住民たちが町起こしを相談し、激論の結果、自分たちの住んでいるレトロともいえる集落そのものを、大正村としてアピールして、観光客に来てもらうこととしました。
資料館などある程度の施設は作りましたが、基本は建物などハードを見てもらうのではなく、村の生活の場、その空気感を感じてもらうということで、例えば銀行や郵便局、明知鉄道の明智駅なども実際の業務も行いながら大正村の一つとなっています。
初代村長は女優の高峰三枝子がなり話題を呼び、二代目は司葉子、三代目は竹下景子が務めています。
明知鉄道は、旧国鉄から第三セクター方式で引き継いだローカル線で、恵那駅と明智駅を結んでいます。
主な利用者は通学生ですが、日本大正村へのアクセスとしても利用され、レトロな車両と、きのこ列車や寒天列車などグルメな食事が食べられるイベント列車などの企画で頑張っている鉄道です。
村内をゆっくり一周りすると2時間ほどかかります。
コースは気ままで結構ですが、地元がおすすめしているコースは明智駅からスタートし、大正路地を通り、大正村役場を経て大正ロマン館に立寄ります。
ここは高峰三枝子・春日野清隆(元横綱栃錦で、同村の議長になりました)の記念館として、しゃれた洋風の建物で中には両氏に関連する記念品や絵画などが展示されています。
旧三宅家(300年を超える旧家)を経て大正資料館・大正の館があり、ここは銀行蔵や医師の家で、当時の建物やそこに各種資料が展示されています。
それから「うかれ横丁」を通り、大正時代館に立寄ります。
ここには、大正時代のポスターや当時の生活がしのばれる新聞などを見ることができます。
最後はレトロモダンなカフェ・レストランの大正村浪漫亭を経て出発地に戻ります。
大正時代は、日本の近代化の中で、和洋折衷、ハイカラな衣装が使われだした文明開花の時代でもあります。
そこで、大正村では矢絣の着物と袴、それにブーツなどをレンタルしてもらうサービスがあります。
2時間30分のレンタル時間がありますので、大正の人になりきって、村内を散策、写真撮影などをしてはいかがでしょうか。
集落のすぐ近く、明智駅から歩いて20分ほどの所に明知城址があります。
戦国時代に織田信長に仕え、本能寺の変を起こした明智光秀はこの地の出身で、明知城は光秀が生まれ育った所であると地元では伝えられています。
ただし、明智光秀の出身地については、岐阜県可児市にも明智城があり、どちらが本当か不明というのが実状です。
それはともかく、岐阜の東部の出身であることは事実で、明智町という地名もあることですから、時間があれば明知城址を訪ねてみてはいかがでしょうか。
一帯には、光秀の産湯の井戸がある千畳敷公園や、母親の墓などもあります。
明知鉄道は前記のように恵那駅と明智駅を結ぶ鉄道で、全長約25kmをおよそ50分で運行されています。
通常は1時間に1本程度のダイヤで、各駅停車ですが、企画列車として特急が1日に1本運行されます(ただし、基本は月曜日が運休です)。
この列車は「大正ロマン号」と呼ばれ、食堂車となっており、きのこ列車、枡酒列車、じねんじょ列車など季節ごとに料理を変えて、大人気となっており、利用の際は予約が必要です。
詳しくは、同鉄道(電話番号0573-54-4101)にお尋ねください。
住所 : 岐阜県恵那市明智町1884番地3
マップ : Googleマップ
アクセス :
恵那駅までは名古屋駅から約42分、塩尻駅から約1時間17分
【車の場合】定休日 : 有料施設(大正ロマン館・大正資料館・大正時代館)は年末年始休館
電話番号 : 0573-54-3944
営業時間 : 有料施設は通常9:00~17:00、12月15日~2月末は10:00~16:00
料金 : 有料施設共通で大人500円、小中学生300円
公式サイト : 日本大正村
岐阜県の陶磁器の生産は日本一ですが、特に多治見市・土岐市・瑞浪市・可児市などでは陶磁器に適した土が豊富にあったために、昔から大量に作られ全国の家庭に届けられてきました。
中でも多治見市は土岐市と共に特に盛んであり、作品を観たり、窯元付近を散策したり、あるいは陶芸体験をするのに適していますのでご紹介します。
なお、多治見の陶磁器は家庭で使用するものが主体であり、また美濃地方の陶磁器を全国に流通させる拠点でもあるといわれています。
また、多治見には陶磁器の製造業者が多数ありますが、いくつかのエリアに分かれており、それぞれで茶碗などを作っている人もいますが、エリアごとに主な製品が異なるという特徴があります。
例えば、市之倉地区は盃、高田・小名田地区は徳利、笠原地区はモザイクタイルが多いなどです。
さすが陶磁器の町で、沢山のギャラリーなどがありますが、代表的なものをご紹介します。
「 美濃焼ミュージアム 」は岐阜県から施設の移管を受け、多治見市が運営するもので、1300年の歴史がある美濃焼きの歴史や代表的な作家の作品を展示していますので、美濃焼き全体を理解するにはオススメの施設です。
場所は多治見市の東部の東町にあり、詳しくは同館(電話番号0572-23-1191)にお尋ねください。
「 美濃焼卸センター 」は、多治見の陶磁器業者の協同組合による卸売りのセンターですが、ギャラリーや小売りも数店ありますので便利な所です。
協同組合の直営点「美濃焼スクエア」もありますので、安心して利用できます。
場所は、多治見市北部の旭ヶ丘にあり、詳しくは同センター(電話番号0572-27-7111)にお尋ねください。
「 本町オリベストリート 」は、JR多治見駅から徒歩15分ほどの多治見市の中心部にあり、昔から陶磁器を扱う店が集まっていた所です。
オリベは戦国時代に織田信長に仕えた武将で茶人の古田織部からきており、古田織部が好んだ作風を受け継ごうとして、多治見市の幾つかのスポットで、名称に使っているものです。
本町のストリートは約400mほどあり、昔からの蔵や商店が並んでおり、陶磁器を扱う処がいくつもありますが、「織部うつわ邸」は古民家を雅に改造したお店で、ギャラリーでは作家たちの作品を観ることができ、ショップや茶室もあり、美濃焼を堪能できる処です。
詳しくはお店(電話番号0572-25-3583)にお尋ねください。
「 モザイクタイルミュージアム 」は笠原地区にあり、施釉磁器モザイクタイルの発祥の地のミュージアムとして2017年にオープンしました。
小山のような外観と、タイル主体の展示というユニークさで話題となっています。
実用的なタイルからアートまで様々な製品・作品や製造方法などが展示され、体験工房もあります。
詳しくは同館(電話番号0572-43-5101)にお尋ねください。
多治見市内で陶芸体験できり所は沢山ありますが、いくつかの例をご紹介します。
「 幸兵衛釜 」は市之倉地区にある、200年の歴史がある名窯として知られる所で、先代の六代目の加藤卓男は正倉院御物の技法を復元するなどして、人間国宝となっています。
ここでは、作品の展示や窯元の雰囲気などを見学できますが、陶芸の指導も行っています。
陶芸体験の場所は、幸兵衛窯からすぐ近くにある「さかずき美術館」に併設された「幸兵衛窯作陶館」で行われ、幸兵衛窯と同じ土・釉薬を使って、ろくろ・てひねり・下絵付けなどのコースがあります。
原則は予約制ですので、詳しくは同館(電話番号0572-22-0509)にお尋ねください。
幸兵衛窯の他にも多数窯元がある陶磁器の里ですので、散策もオススメです。
「 ヴォイス工房 」は、多治見市東部の「美濃焼ミュージアム」の隣りにあります。
釉薬は織部・志野・黄瀬戸など各種があり、たたら・てひねり、電動ろくろなどを初心者でも丁寧に指導してくれますので、オススメの工房です。
詳しくは同館(電話番号0572-25-2233)にお尋ねください。
「 虎渓窯 」は、多治見市中心から北へ少し行った山手にあり、そこから多治見市街を見下ろすことができます。
ここは陶芸家である若尾昌宏・圭介氏が直接指導してくれ、展示された作品を味わった上で作陶に取り組みます。
釉薬は織部・黒織部・志野など各種から選ぶことができ、希望によっては1週間や1か月など滞在して取り組むこともできます。
詳しくは同窯(電話番号0572-22-0129)にお尋ねください。
住所 : 多治見市本町5丁目
マップ : Googleマップ
アクセス :
多治見駅までは名古屋駅から約22分、塩尻駅から約1時間37分
【車の場合】電話番号 : 0572-24-6460(多治見市観光協会)
虎渓山永保寺は多治見市の中心部から少し北側、中央自動車道の虎渓山パーキングの南側にある、臨済宗南禅寺派の名刹です。
永保寺の創建は1314年とされ、鎌倉にいた夢窓疎石が元翁本元(美濃の出身)と共に三河に来たところ、土岐氏に招かれ当地に留まり、観音堂を創建したと伝えられます。
なお、夢窓疎石は鎌倉時代を代表する高僧で、庭園の設計者としても知られています。
その後、夢窓疎石は京都に去り、やがて元翁も京都に行きますが、二人共南禅寺との関係が強くなり、南禅寺の住持にもなりました。
そういうことから、永保寺は南禅寺や朝廷と関係が深い寺院で紆余曲折はありますが、現在まで南禅寺派となっています。
永保寺は夢窓疎石を開創、元翁本元を開山としており、また創建当初は「古渓」といっていましたが風景が中国の廬山にある虎渓に似ていることから「虎渓山」になったといわれています。
同寺は火災により一度本堂などを焼失し再建していますが、古くからの観音堂と開山堂が国宝となっており、また庭園は名勝となるなど見どころが多いお寺ですので、ぜひお訪ねください。
夢窓疎石が1314年に創建したもので、桁行三間、入り母屋造り、一重裳階付き、檜皮葺きの建物は、鎌倉円覚寺の舎利殿と共に、鎌倉末期の様式を残す貴重なものとされて、国宝になっています。
呼び方は、水月場、開山閣といわれることもあり、正面の須弥壇には聖観世音菩薩坐像が安置されています。
大規模なものではありませんが、反りのある屋根の優美な姿が池に映る様は、印象的ですので、ご覧ください。
開山堂は、正確には祠堂(僊壺堂(せんこどう)とも呼ばれます)と礼堂(外陣とも)があり、両堂を間の間がつなぐ珍しい構造となっており、国宝に指定されています。
1352年に祠堂が創建され、後に礼堂が追加されたといわれ、ここには開創の夢窓疎石をはじめ、歴代の住持たちがお祀りされています。
夢窓疎石は、京都の苔寺や天龍寺など多くの名園を造っていますが、永保寺の庭園もその一つで、当時未開の地であった当地の自然を生かしながら、禅宗風の庭園を造り上げています。
傍らの観音堂や岩山、橋、池などの絶妙な配置をご覧ください。
なお、池は臥龍池、あるいは心字池と呼ばれ、「心」の形をしています。
永保寺には心のやすらぎを求める人びとのために、いくつかのパワースポットがあります。
代表的なものでは、「びんずる様」が祀られており、自分の病気と同じ箇所をなでると、病気が治るといわれています。
また、六角堂の千体地蔵は、願掛けに一体の地蔵を借り受け、願いが叶うともう一体の地蔵を納めるということで千体近くになっているもので、信仰を集めています。
さらに、「瑞霊岩」は、岩のようにゆるぎない心を持つように祈る禅定のパワースポットといわれています。
他にもありますが、お寺で尋ねて、心豊かになるためお参りしてはいかがでしょうか。
住所 : 岐阜県多治見市虎渓山町1-40
マップ : Googleマップ
アクセス :
多治見駅までは名古屋駅から約22分、塩尻駅から約1時間37分。
【車の場合】電話番号 : 0572-22-0351
拝観時間 : 5:00~17:00
拝観料 : 無料
中濃の範囲ですが、北側は飛騨、東側は東濃、西側は岐阜、南側は愛知県に囲まれたエリアです。
この中に入る行政単位では、北側に郡上市があり、最北部はひるがの高原の西にある銚子ケ峰(標高1,810m)で、その南に大日岳がありますが、そこから長良川が流れ出し、長良川の上流域から中流域の美濃市や関市が中濃エリアとなります。
その東側になりますが、飛騨川水系の賀茂郡の白川町、七宗町、美濃加茂市、可児市なども中濃となります。
交通関係は、美濃太田駅から長良川鉄道がありますが、長良川沿いに東海北陸自動車道ができ、郡上市などへのアクセスは非常に便利となっています。
また、JRの高山本線が岐阜駅から美濃太田駅を経由して、飛騨川沿いに下呂市、高山市方面に運行されていますので、中濃エリアはその途中にあることになります。
上記のようにエリアの北部は高い山や、ひるがの高原などがある山地ですが、長良川を下るにつれ山は低くなり、エリア南端の可児市で丘陵地帯となっていきます。
中濃エリアの観光では、郡上市にスポットが多くあり、まず郡上市の中心である旧・郡上八幡と呼ばれる地区に行かれるのがオススメです。
そこには郡上八幡城と城下町があり、また名水の街としても知られる上、夏場には「郡上おどり」が催され、多くの観光客で賑わいます。
北西部の高鷲地区はひるがの高原となり、湿原や牧歌の里というテーマパーク、冬にはスキー場など楽しめる所です。
次に美濃市は、美濃和紙の産地として有名で、博物館を見学したり、紙すき体験もできる他、美濃市は民家の屋根に「うだつ」がある町として知られています。
関市については刃物の生産が盛んで展示館や売店が多数あり、また円空仏が多く残されて博物館もあり、さらに郊外ですがアジサイロードやモネの池も人気となっています。
美濃加茂市には、テーマパークである日本昭和村や、木曽川の日本ライン下り、中山道の大田宿などがあります。
さらに、可児市にはぎふワールド・ローズガーデンがあり、バラの種類世界一を誇っています。
郡上八幡は古くからお城や郡上おどりで知られた町ですが、近隣町村と合併し現在は広いエリアを持つ郡上市となり、その中核の地区となっています。
八幡町はひるがの高原から流れ出した長良川や飛騨方面から流れ出した支流の吉田川が長良川に合流する辺りに発展した町で、そのシンボルとなっているのが郡上八幡城です。
八幡町はそのお城の城下町ですが、町並みは昔をしのばせ、風情を感じさせてくれます。
そして、町には水が湧き出す所も多くあり、名水として知られるものもあります。
交通の便としては以前は長良川鉄道があるものの、やや不便なエリアでしたが、東海北陸自動車道ができてからは、車での交通はかなり便利になっています。
郡上八幡城は八幡町を見下ろす高台にある山城で、近年、兵庫県の 竹田城 など天空の城が話題になりますが、この郡上八幡城も雲海に囲まれることもあり、カメラスポットには大勢が詰めかけています。
昔のお城は、明治時代に廃城となり、石垣を残して取り壊されてしまいましたが、1933年に4階5層の木造の天守閣として再建されたものです。
なお、城跡一帯は岐阜県の史跡に指定されています。
再建されたものにせよ、美しいお城であり、春の桜、秋の紅葉、冬の雪化粧などの名所ともなっていますので、お出掛けください。
また、エピソードとして、夫の出世を支えた妻として有名な「山内一豊の妻」はこの郡上八幡の初代城主の娘といわれています(他説もあります)。
八幡城までは、町の中心部から徒歩で15分ほどです。
八幡町の随所に湧き水や水路があり、ポケットパーク(小さな公園)と呼ばれるしゃれた小径も整備され、また共同の洗い場などもあり町の人の生活と結びついています。
その中で最も知られているのは、「宗祇水」で、日本名水百選にも選ばれています。
八幡町の本町の通りに沿った所でありますので、お立ち寄りください。
郡上を語るときに郡上踊りは欠かせません。
日本の三大盆踊りの一つといわれ、町民が熱狂するばかりだけでなく、遠くからも愛好者が駆けつけ、見たり踊ったりします。
踊りが行われるのは7月中旬から9月上旬まで32夜行われますが、中でもお盆の8月13日から16日までは徹夜踊りとなります。
踊りのバックになる郡上節は細かくは10曲もあり、それに合わせて正確に踊るのはちょっと難しいかもしれませんが、輪になって踊るもので、基本パターンは見よう見まねでできるといわれますので、参加されてはいかがでしょうか?
なお、服装は浴衣、下駄履きが基本ですが、規制はありません。
住所 : 岐阜県郡上市八幡町柳町
マップ : Googleマップ
アクセス : 郡上八幡駅からまめバス青ルートにて「城下町プラザ」下車徒歩15分
電話番号 : 0575-67-0002(郡上八幡観光協会)
営業時間 : 9:00〜17:00(6〜8月は8:00〜18:00、11〜2月は16:30まで)、12月20日〜1月10日は定休
料金 : 大人320円、小人150円
公式サイト : 郡上八幡城
牧歌の里はひるがの高原にあるテーマパークですが、まず「ひるがの高原」については中濃エリアの北西部、郡上市高鷲町にある高原を指し、東海北陸自動車道のひるがのサービズエリアの標高は860mあります。
郡上市の八幡地区は標高がおよそ200m台ですので、600mもの高低差があります。
「ひるがの」という言葉は、地名の蛭ヶ野からきていますが、最近では蛭ヶ野地区に限らず、高鷲町の高原状の所を指す場合に、「ひるがの」と平仮名で表すことが多いようです。
そして「ひるがの高原」は、牧歌の里をはじめ、湿原植物園、スキー場など1年を通して楽しむことができるリゾート地として、人気のエリアとなっています。
さて、その中の「牧歌の里」ですが、のびのびとした「ひるがの高原」の中の広大な敷地で、季節ごとに咲く花畑や、動物との触れあいを楽しむことができる他、乗馬や乳しぼりその他体験型の施設ともなっています。
さらに、冬季も雪遊びなどが用意されており、年間を通して家族連れやカップルにもオススメのスポットです。
牧歌の里の花畑は4.5haもあり、4つのゾーン、すなわちチューリップ・シバザクラなどの畑、ラベンダーの畑、教会の畑、夏の畑に分けて楽しむことができます。
季節別に代表的な例を挙げると、4月中旬からのスイセン・チューリップ、5月のミズバショウ・シバザクラ、7月のラベンダー、9月のコキアの紅葉などがあります。
牧歌の里には、馬・ジャージー牛・アルパカ・羊・兎・モルモットなどが飼育され、触れあうことができます。
また、馬は引き馬の乗馬体験ができ、ジャージー牛は乳しぼり体験ができるなど、大人気です。
園内に日帰り温泉「牧華」があり、大自然の中でまさにリラックスできますので、いかがでしょうか?
泉質はアルカリ性単純泉で、温度は38℃となっています。
ひるがの高原は一帯がスキー場もある降雪地帯ですが、牧歌の里は冬のプログラムを用意して営業しています。
その内容は、スノーラフトやスノーチューブ、ソリなどがレンタルでき、園内で楽しむことができます。
また、ジャージー牛の乳しぼりやアルパカとのふれあいなども雪の上で行われますので、貴重な体験となります。
なお、一部施設はクローズとなっていますので、ご注意ください。
ひるがの高原には牧歌の里の他にいくつもの観光スポットがありますので、併せてお立ち寄りください。
例えば、 ひるがの湿原植物園 は、4月下旬~10月上旬にオープンされ、ミズバショウ他の植物が見られます。
また、ミズバショウは、高原スキー場の近くにも群生地があります。
その他、 分水嶺公園 は大日岳の麓にあり、ここから水が太平洋側と日本海側に分かれて流れていくことが分かります。
住所 : 岐阜県郡上市高鷲町鷲見2756-2
マップ : Googleマップ
アクセス :
電話番号 : 0575-73-2888
営業時間 :
料金 : 大人 1,200円、中高生 900円、4歳以上 600円
公式サイト : 牧歌の里
美濃市は関市の北側にあり、東海北陸自動車道と東海環状自動車道が交わる所にあります。
静かな地方都市ですが、古くからの町並みが保存され、民家の屋根には「うだつ」が施されていることで知られています。
これは「うだつがあがる」という言葉の由来にもなったことですので、町並みを散策されてはいかがでしょうか。
もうひとつ有名なことは、和紙の美濃和紙の産地であることで、奈良時代から経文などに使われるなどして知られ、美濃和紙の技術は、島根県の石州半紙、埼玉県の細川紙と共に、ユネスコの無形文化遺産として登録されました。
なお、美濃市は清流である長良川が流れ、そこに板取川が合流する所であり、昔から川を使って和紙問屋などの商業・流通の発達した所であり、その面影も見ることができます。
「うだつが上がらない」という言葉は、聞いたことがあることと思いますが、そもそも「うだつ」とは見たこともないし、何か分からない方も多いかもしれませんね。
「うだつ」というのは、梲、卯建 卯立など書かれますが、上の写真のように家屋の1階と2階の屋根の間に壁のようなものを設置して、火事のときに延焼するのを防いだり、屋根の強度を補強するものです。
特に、民家・商家がつながっている場合には、防火のために重要でしたが、次第に装飾的な意味合いが強くない、そのためには費用もかかることから、「うだつ」を作るのは成功した証と考えられるようになりました。
逆に、成功しないと「うだつ」も上げられないことから、「うだつが上がらない人間」と表現されるようになったわけです。
美濃市では、市街地の中央部にある常盤町辺りの町並みを伝統的重要建造物群保存地区として「うだつの上がる町並み」と呼んでアピールしています。
この項トップの写真のようにうだつのある家が連なっていますが、付近には「旧今井家住宅・資料館」他があり、うだつのことについても深く理解することができます。
その他、和紙に関係するショップなども沢山ありますのでご覧ください。
美濃和紙の製品や作品を見たり、ショッピングする場合、上記の「うだつの上がる町並み」の今井家の近くに、「美濃和紙あかりアート館」がありますので、ご覧ください。
ここでは闇に浮かぶ美濃和紙を用いた灯りなどが作る幻想的な世界を見られる他、ショップもあります。
また、「うだつの上がる町並み」の中には、「紙遊」というショップもあり楽しむことができます。
さらに、場所は少し離れますが「美濃和紙の里会館」があり、美濃和紙の歴史や将来について解説、展示しています。
その上、紙すきの体験もできますので、ぜひトライしてみてください。
紙すきは本格的な道具(小型の漉き舟)、材料を使い、初心者から経験者までレベルによって指導されます。
詳しくは同館(電話番号0575-34-8111)にお尋ねください。
住所 :
マップ : Googleマップ
アクセス :
長良川鉄道の美濃市駅から徒歩約15分、美濃市駅までは中央本線の美濃太田駅から約32分。
【車の場合】電話番号 : 0575-35-3660(美濃市観光協会)
ぎふワールド・ローズガーデン(旧:花フェスタ記念公園)は、可児市にあるバラをメインにした大規模なテーマパークです。
当初は1984年に可児公園としてオープンし1995年には「花フェスタ'95ぎふ」も開催し大成功を収めましたが、その後しばらく休園の後に、岐阜県営の「花フェスタ記念公園」として再出発し、「ぎふワールド・ローズガーデン」と名称を変更しました。
敷地は80haあまり、名古屋ドーム17個ほどもある広大なもので、世界最大級のバラ園を中心に、バラの歴史も学べるミュージアムや大温室、園内を眺められるタワーなどがあります。
2005年に愛知県で万国博覧会「愛・地球博」が開催されたとき、同時にこの公園でも「花フェスタ2005ぎふ」が開催され、アピールした結果140万人あまりの入場がありました。
その後は入場者数はそれほどではありませんが、バラの公園としてコンスタントな人気スポットとなっています。
場所は、可児市の郊外で、東海環状自動車道の可児御嵩ICから5分ほどの所にあります。
ぎふワールド・ローズガーデンのメインであるバラは、2つのバラ園、「世界のバラ園」と「バラのテーマガーデン」が主体で、世界の約7000種ものバラを見ることができます。
世界のバラ園は国別に鑑賞できるようになっていて、特にイングリッシュ・ローズは色・形・香りなど人気のコレクションとなっています。
バラのテーマガーデンでは、色や香りなどを17のテーマに分けて展示していますので、バラ通になってしまうかもせませんね。
バラの見頃は春と秋にあり、まず春は7000種すべての品種のバラが咲きますが、時期は5月下旬から6月上旬が盛りで、世界のバラを華やかに鑑賞できます。
秋は四季咲きのバラ約5000種の花が咲きますが、秋咲きはゆっくり冷えていくためか、一輪ずつが美しい時季ですので、じっくりお楽しみください。
バラ以外も沢山の花が楽しめ、まず春にはウメに始まり、サンシュユ、サクラ、ネモフィラ、ハナモモなどがあります。
夏は、ササユリ、アジサイ、ヒマワリ、ヒコボシなどがあり、秋にはコスモス、ローズヒップ、モミジ、冬にはロウバイ、パンジー・ビオラなど、他にも多数ありますので、年間を通して花に接することができます。
「 花のタワー 」は花の海に浮かぶ舟というイメージのタワーで、高さ45mのガラス張りの展望タワーですので、園内はもちろん、晴れていれば御嶽山や中央アルプスなども眺められます。
「 ターシャの庭 」はアメリカの人気絵本作家のターシャ・デューダさんのスローライフに憧れて、ボランティアが作ったひと味違う庭園です。
「 花の地球館 」は大温室で、1年中多種多様な花と植物が展示され、ガーデンショーなどの企画も随時行われています。
住所 : 岐阜県可児市瀬田1584-1
マップ : Googleマップ
アクセス :
JR可児駅までは多治見駅から約20分、美濃太田駅から約10分、名鉄の新可児駅までは犬山駅から約20分
【車の場合】定休日 : 基本は火曜日(休日の場合は翌日)ただし春秋のバラ祭り時は変更あり、年末年始
電話番号 : 0574-63-7373
営業時間 : 花の時期によって異なる
料金 : 花の時期によって異なる
公式サイト : ぎふワールド・ローズガーデン
関市は岐阜市の北側にあり、旧・武儀郡の板取村などを合併したため、福井県とも接するV字型の市域となっています。
関市の人口は8万人弱ですが、人口に関連しては、冒頭部分でもご紹介した通り、日本の人口重心が関市の東北部にあることでも知られています。
市の名前の「関」については、昔濃州関所が現関市内にあったのが、一帯を関と呼ぶようになったとされ、現在でも「濃州関所茶屋」という道の駅のような施設があります。
さて、関市は昔から刃物の生産地と知られ、岐阜県は刃物の生産量が全国一となっています。
日本刀も「関の孫六」と呼ばれる名刀を産み出し、その技術は現在まで引き継がれている他、刃物メーカーの多くが関市に本社を置くなどして、刃物の展示館やショップが沢山ある刃物の町となっており、観光的に立ち寄るにもオススメの町となっています。
また、江戸時代の僧「円空」は岐阜県の現・羽島市の生まれですが、各地で修行しながら数多くの木彫りの仏像を彫り上げています。
円空は晩年を関市で過ごし、当地にも多くの円空仏を残しており、円空館で観ることができます。
荒削りですが独特の親しみも感じさせ、愛好者も多い円空仏ですので、ご覧ください。
関市は自然豊かな環境ですが、板取地区に「モネの池」として最近脚光を浴びているスポットもありますので、詳しくは後でご紹介します。
市の中心部にある市立の施設で、古くから伝わる関の匠の技術を、資料や映像で説明しています。
特に刀剣については、兼定・兼元(二人の屋号は孫六です)などの貴重な名品が展示されていますので、ぜひご覧ください。
なお、月に1回程度(原則第1日曜日)日本刀の鍛錬と外装が実演されますの、まさに貴重な機会となります。
その他にも、ハサミや包丁ナイフなど現代的な刃物類についても、国内外の物が展示されています。
刃物の博物館は、他にも岐阜県刃物博物館やナイフ博物館などがあります。
関鍛冶伝承館の所在地などは後記をごご覧ください。
僧・円空は江戸時代初期の人で、近畿地方から北海道まで遊行しながら、人びとの幸せを願って仏像を彫り続けました。
独特の仏像は「円空仏」と呼ばれ、全国に5000体ほどあるといわれますが、その内関市には約300体が確認され、その中から30体がこの「関市円空館」で展示されています。
なお、円空館のある場所は、円空が晩年を過ごし亡くなった所であり、そのゆかりの地でじっくりと円空仏と向き合ってみるのも貴重な体験になるのではないでしょうか?
場所は関市の中心部からは少し離れた長良川右岸にあり、付近には弥勒寺などの遺跡もあり、昔が偲ばれる所です。
詳しくは同館(電話番号0575-24-225)にお尋ねください。
モネの池は、関市板取地区の山間にある正式な名もない池で、近くにある「根本神社の池」などと呼ばれていましたが、あるときSNSに「まるでモネの絵の池みたい」と投稿され、大反響を呼んでいるホットなスポットです。
実際に現地に行かれた人の感想も、まさしくモネの「睡蓮」の絵のようだとのことで、ゴールデンウィークなどは1日に3000人もが訪れたとのことです。
なお、池の中にはハート形の模様の鯉がいることも話題となっています。
正式な観光地ではありませんので、アクセスなど分かりにくいかもしれませんが、「フラワーパーク板取」を目指すとすぐ近くです。
詳しくは関市板取事務所(電話番号0581-57-2111)にお尋ねください。
住所 : 岐阜県関市南春日町9-1
マップ : Googleマップ
アクセス :
長良川鉄道の刃物会館前駅から徒歩約3分、同駅まではJR中央本線の美濃太田駅から約17分。
【車の場合】定休日 : 火曜日・祝日の翌日(いずれも休日を除く)
電話番号 : 0575-23-3825
会館時間 : 9:00~16:30
料金 : 大人300円、高校生200円、小中学生100円
公式サイト : 関鍛冶伝承館
岐阜とは岐阜市とその周辺のエリアのことで、東側は中濃、西側は西濃となります。
エリアの北部は本巣市(もとすし)でその北側は福井県と接し、本巣市の南は山県市から岐阜市となります。
岐阜市の南側は各務原市があり、愛知県との県境である木曽川沿い笠松町や羽島市などがあります。
交通関係は、JR東海道本線や東海道新幹線が走り、岐阜からはJR高山本線が鵜沼駅を経て美濃太田駅方面に延びています。
また名古屋から岐阜方面には名鉄があり、西濃エリアの大垣から本巣市の根尾まで樽見鉄道が運行されています。
道路関係では、名神高速道路が岐阜エリアを通る他、東海北陸自動車道が名神高速の一宮ジャンクションから各務原を経て長良川沿いに郡上方面につながっています。
気候的にはほとんどは太平洋側気候ですが、エリアの北部の根尾地区では日本海側気候で豪雪となる所もあります。
まず岐阜市の観光では、金華山と岐阜城があり、周辺を展望することができます。
また市内を流れる長良川は清流として知られ、夏場の鵜飼は全国から観光に訪れるスポットです。
北部の本巣市には、天然記念物となっている薄墨桜という桜の古木があり、また同地区に根尾谷断層とい大きな断層を見ることができます。
岐阜市の南の各務原市は、ハイウェイオアシスに隣接して淡水魚水族館として有名な「アクア・トトぎふ」などがあり、また航空機産業や自衛隊の基地があることから、宇宙航空科学博物館を見学することができます。
また、中山道の鵜沼宿があり、近くを流れる木曽川や対岸の犬山城などを眺めるポイントとなっています。
岐阜城は、JR岐阜駅から北東に直線距離では3kmほどの金華山(標高329m)の山上にあり、眼下に長良川や岐阜市内、日本アルプスや伊勢湾方面を眺めることができる所です。
さらに、岐阜城を一番有名にしているのは、織田信長が居城とした時期があり、信長が天下を目指した拠点であったことです。
城主は目まぐるしく変わり、城の名前も変わるなど変転著しい所ですが、ごく簡単に経緯をご説明します。
城が築かれた始めは13世紀頃で、初めは砦だったようですが、15世紀には斎藤氏(齋藤道三とは別です)が治め「稲葉山城」といわれていました(稲葉山は金華山の古い名前)。
その後、攻防の後に1533年に齋藤道三が城主となり、身内の争いもしながら3代目まで続きますが、この頃織田信長が台頭してきて、美濃を攻略しようとします。
なお、この頃の様子は司馬遼太郎の「国盗り物語」に興味深く描かれています。
信長は齋藤氏になかなか勝てませんでしたが、内応者を作って漸く勝利し、稲葉山城に本拠地を移します。
そして、冒頭部分でもご紹介しましたように、地名を岐阜と改め、城も新しく築き、岐阜城と呼ぶようになりました。
信長や家族は山上の岐阜城で暮らしたようですが、麓にも御殿など信長の居宅が置かれ、現在発掘調査が行われています。
信長は岐阜城から天下統一を目指し行動を始めますが、本能寺で明智光秀に倒されてしまい、岐阜城の城主も織田三法師など目まぐるしく変わっていきます。
徳川幕府の時代になると家康が岐阜城を嫌い、廃城とされてしまいます。
天守その他の建物は加納城などに移され、金華山の岐阜城は明治時代に一度再建されましたが焼失し、現在の岐阜城は1956年に再建されました。
岐阜城への行き方は、ローウェイで行くのが普通ですが、登山として歩くルートもいくつかあります。
金華山ドライブウェイもありますが、直接岐阜城には通じていなく、途中で車を駐めて、30分ほど歩く必要があります。
上記のように、現在の岐阜城天守閣は1956年に鉄筋クリート製で3層4階構造で再建されたものです。
再建にあたっては、信長が創った岐阜城を再現していますが、もとの天守は加納城に移されたもののその後火災で失われ残っていません。
そのため遺構や資料などから判断して復元したものですが、当時のものとは異なっているかもしれないという意見もあります。
そうとはいえ、信長が高い山上の、このような造りの城で暮らしていたことが分かる貴重なスポットです。
さらに、ここからの眺望は絶景で、長良川や岐阜市街を眼下に望み、さらに御嶽山、乗鞍岳から日本アルプス、南側には濃尾平野から伊勢湾などを楽しむことができます。
また、天守閣に隣接して岐阜城資料館があり、武器庫・隅櫓の構造で、内部に岐阜城関連の資料を展示していますので、こちらもご覧ください。
なお、岐阜城は有料施設ですが、詳細は下記基本情報をご覧ください。
岐阜城へ行くには、一般的には金華山ローウェイを利用することになります。
ロープウェイは、麓の岐阜公園の一角に乗り場があり、山頂駅まで3分ほどで到着しますが、途中、ゴンゴラから景色を楽しむこともでき、山頂は夜景スポットとしても人気がありますので、大勢の人に親しまれているロープウェイです。
なお、山頂駅には展望レストランがあり、リス村も隣接されています。
ロープウェイの運賃は大人往復が1,100円です。
他に山頂に行くのには、歩いて登山するルートがあります。
主なルートは岐阜公園側からスタートするもので、瞑想の小径・七曲りコース・百曲がりコース・馬の背コースなどがあり、片道1時間前後の登山となりますが、信長の時代などにお城へ行くことの大変さが実感できますので、よろしければお試しください。
岐阜公園は金華山の麓を公園としているもので、ここは齋藤道三や織田信長の居館があったゆかりの土地です。
公園内には、まず岐阜公園総合案内所があり、戦国時代のイメージをした建物などがユニークですので、お立ち寄りください。
現在は織田信長の居館跡を発掘調査中で、礎石などが見つかっており、その様子や冠木門などを眺めることができますので、戦国時代に関心のある人にはオススメです。
その他の施設としては岐阜市立歴史博物館や名和昆虫博物館(ギフチョウの発見で有名)、日中友好庭園、加藤栄三・東一記念美術(岐阜出身の兄弟画家)などがあり、思い思いに過ごすことができます。
住所 : 岐阜県岐阜市金華山天守閣18
マップ : Googleマップ
アクセス :
岐阜駅から岐阜バス市内ループ線左まわり「岐阜公園・歴史博物館前」下車(13分)
【車の場合】電話番号 : 058-263-4853
定休日 : 年中無休
営業時間 :
10月17日~3月15日 9:30~16:30
【パノラマ夜景】料金 : 大人(16歳以上)200円、小人(4歳以上16歳未満)100円、団体割引 30名以上2割引き
注意点 : 岐阜城・山頂までは車両乗り入れ禁止(駐車場:岐阜公園駐車場 1回 300円 ※1時間以内無料)
公式サイト : 岐阜城
岐阜県のひるがの高原付近から流れ出る長良川は、岐阜市街を北東から南西に流れて、独特の景観と文化・風習を生んでいます。
上流にダムがないため現在も清流を保っていますが、そこには鮎が多数棲息しているため、奈良時代から鮎を獲るため鵜飼をしていたと伝えられています。
なお、日本には鵜飼をする所が10か所余ありますが、中でも長良川鵜飼は伝統があり、岐阜市と関市の鵜飼は唯一御料鵜飼となっています。
御料鵜飼は岐阜市で3か所、関市で2か所御料場が指定されており、鵜匠は宮内庁職員であり、御猟場で年に8回行われる鵜飼で獲れた鮎は、皇居や伊勢神宮、明治神宮に奉納されます。
それとは別に一般向けに行われる長良川鵜飼は、5月中旬から10月中旬に行われ、夏の風物詩として大変な人気となっています。
鵜飼を見るには観覧船に乗るのが一番ですが、岸辺からでも眺められなど、詳しくは後でご説明します。
鵜飼以外にも、鵜匠の家が並ぶ地区とか、古い町並みなど長良川の河畔を散策するのもオススメです。
長良川の鵜飼いは関市でも行われますが、普通「長良川鵜飼」というと岐阜市で行われるものを指すことが多く、5月11日から10月15日まで原則毎日行われます。
ただし、川が増水しているときと中秋の名月には行われません。
鵜飼が最もよく見られるのは鵜飼観覧船を利用することで、乗り場は長良橋の市街地側のたもとにあります。
鵜飼見物の流れは、基本的に17時45分に乗り場で鵜匠から説明があり、出船は18時15分、18時45分、19時15分となっており、19時45分頃から鵜飼が始まり、20時30頃下船します。
現場では鵜匠が乗った1艘の舟に何艘かの観覧船が取り囲んで鵜飼を見ることになり、船中で食事を摂りながら、舟遊びを楽しむこともできます。
その他、船に乗らず岸辺からでも様子を眺めることができ、その場合は長良橋北側上流にある「長良川プロムナード」が整備されていてオススメです。
鵜飼は夜のイベントですが、昼間に鵜飼関連のエリアを散策してはいかがでしょうか?
鵜飼観覧船乗り場から長良橋を渡ると鵜飼屋の小公園があり、右手には、みはらし川灯台や鮎供養をする神明神社があります。
その先に進むと、鵜匠の家が並んでいて、自宅で鵜を飼っている様子が垣間見えますし、もし運がよければ鵜匠とお話するチャンスもあるかもしれません。
ただし、個人のお宅ですので、勝手に家に入ることなどはできません。
さらに進むと「うかいミュージアム」があり、鵜飼の歴史・鵜飼の美・鵜匠の世界や鵜・鮎・長良川のことなどを資料や映像で示してくれますので、お立ち寄りください。
長良橋の鵜飼観覧船乗り場から南西方向にある湊町・玉井町・元浜町の町並みは、通称川原町といい、古い町並みが続くエリアです。
狭い間口に深い奥行き、格子戸がある町家が並んでいて、タイムスリップしたような感覚になります。
商家が多く、伝統的な岐阜うちわを製造販売する店や鮎菓子の和菓子店など見たり、ショッピングしたりするのにオススメですし、鵜飼観覧船の時間待ちにも便利なエリアです。
住所 : 鵜飼観覧船のりば 岐阜市湊町1-2
マップ : Googleマップ
電話番号 : 058-262-0104
アクセス :
期間 :
鵜飼い開始時間 : 19時30分又は45分(イベント等により変動があります)
観覧船出船時間 :
観覧船料金 :
公式サイト : 長良川鵜飼
薄墨桜は、岐阜市本巣市にあるエドヒガンザクラの古木・巨木で、国の天然記念物に登録されています。
日本五大桜(他に、福島県の三春の滝桜、静岡県富士宮市の狩宿の桜など)とか日本三大巨桜(他に、三春の滝桜、山梨県北杜市の神代桜)の一つといわれる名木で、遠方からも大勢が見物に訪れます。
一説には、5~6世紀の継体天皇のお手植えとも伝えられ、となると樹齢は1500年にもなりますが、この桜は記録が残る日本の歴史のほとんどを、岐阜の山奥から見守っていたことになります。
それだけに老化もかなり進み、幹も空洞も広がっており、かなりきわどい状態にありますが、樹木医や関係者が支柱その他の延命に取り組んでいます。
また、隣には2世が大きくなっており、子孫が各地で育つなどして、薄墨桜の命をつなごうとしています。
なお、一帯を薄墨公園として、桜の咲いていないときでも、憩える場所となっていますので、やや交通が不便な所ですが、お立ち寄りください。
薄墨桜の枝張りは、東西に約27m、南北に約20mもあり、樹高は約16mで、とにかく大きさと生命力は感動的です。
薄墨の由来と桜の色は、蕾のときは淡いピンクで、満開になるつれ白色となり、さらに散るときには薄墨色に変化し、ここから「薄墨桜」といわれるようになりました。
実際にご覧になるときには、どうのような色合いかご注目ください。
薄墨桜の開花や見頃の時期は、年によってばらついていますので一概にはいえませんが、早い年には3月終わり頃から咲き始めますが、
どちらといえば4月になってから咲き始める年がやや多いようです。
見頃は、4月の上旬から中旬にかけてという年が多いようですが、出掛ける計画をするときは地元の情報をご確認ください。
なお、開花時はライトアップも行われますので、闇に浮かぶ薄墨色の桜もお楽しみください。
薄墨桜のある一帯は薄墨公園となっていて、広い芝生広場がある他、野外ステージがありコンサートも行われ、年間を通して楽しむことができます。
また、宇野千代他の歌碑などもありますので、ご覧ください。
さらに、薄墨桜から5kmほど離れますが、「うすずみ温泉・四季彩館」があり、宿泊あるいは日帰り温泉で利用できます。
温泉は、太古に海であった名残りの成分といわれるナトリウム塩化物泉で、露天風呂など多数のお風呂で癒やされます。
住所 : 岐阜県本巣市根尾板所995
マップ : Googleマップ
アクセス :
樽見鉄道で大垣駅から約1時間4分、樽見駅下車、徒歩15分
【車の場合】電話番号 : 0581-34-3988 (本巣市観光協会)
「アクア・トトぎふ」は東海北陸自動車道の川島パーキンエリアにあるハイウェイオアシスに隣接してあり、岐阜県の施設「河川環境楽園」の一つです。
名称は公募で決定されたものですが、アクア=水、トト=魚の幼児語が上手く組み合わされ、ローケーションの良さもあり、岐阜県民や旅行者などから広く親しまれています。
「アクア・トトぎふ」は淡水魚専門の水族館ですが、淡水魚の施設としては世界最大級のもので、地元の長良川の魚をはじめ、世界各地の魚や一部動物も展示され、体験学習もできる場となっています。
さらに、水族館もその一つとなる「河川環境楽園」についてですが、複合型のレジャーパークとなっていて、カップルでもファミリーでも1日楽しむことができるスポットです。
その他の施設としては、木曽川の文化や自然を再現した水路で水遊びができる木曽川水園や、専門家の指導を受けられる自然発見館などがあります。
建物は4階建てになっていて、4階と3階では長良川を上流・中流・下流に分けて自然環境とそこに棲む生物を展示・説明しています。
例えば、源流付近の滝や渓谷が再現され、ヤマトイワナやアマゴ、サツキマスが泳いでいたり、クロオオサンショウウオも見られます。
また、中流では長良川を代表する魚の「鮎」が泳いでおり、カワウソも見られます。
2階・1階は世界の珍しい魚などを展示しており、例えば、コンゴ川では肺魚や古代魚類がおり、タンガニーカ湖の珍しい魚たちも展示されています。
また、アマゾン川では世界最大の淡水魚のビラルクーやナマズ類、ピラニアなど多種類が見られ、6か国を流れるメコン川ではオオナマズやテッポウウオなどが見られます。
その他に、カピバラやゾウガメなども展示され、餌やりも体験できる他、アシカのショウも人気となっています。
高速道路・一般道の両方から入れるオアシスで休憩したり、飲食店や売店を利用するほか、さまざまに遊んだり休息したりするスポットがあります。
例えば、大観覧車では岐阜の山並みから木曽川の流れ、濃尾平野など360°のパノラマを楽しめ、木曽川水園は木曽川の流れを再現した水路で、付近を散策したり、子供が水遊びすることができます。
その他、自然発見館では川の自然環境や生態を学んだり、実験などで体験することができ、子供連れにはオススメです。
住所 : 岐阜県各務原市川島笠田町1453
マップ : Googleマップ
アクセス :
JR東海道本線の岐阜駅からバスで約33分、川島笠田下車、徒歩約15分。
【車の場合】定休日 : 年中無休、ただし年に数回河川環境楽園全体が休園となることがあります
電話番号 : 0586-89-8200
営業時間 : 9:30~17:00、ただし土曜・日曜・祝日は18:00まで
料金 : 大人1,540円、中高生1,130円、小学生770円、3歳以上の幼児380円
公式サイト : アクア・トトぎふ
この博物館は、飛行場や航空機産業に縁の深い各務原市が運営するもので1996年に設立され、2018年3月24日にリニューアルオープンされました。
各務原市には現存する日本最古の飛行場で現・航空自衛隊開発実験団の岐阜基地があり、航空機を製造する川崎重工業の岐阜工場や関連会社があるなど、各務原市は飛行機の街ともいわれています。
そこで国産の航空機や自衛隊の実験機など、あるいは宇宙関連の機材などを集めて展示し後世に伝えると共に、学習の場ともするために博物館が設立され、「宇宙戦艦ヤマト」などの作家である松本零士さんが名誉館長となっています。
同館では屋外・屋内に航空機の実機などが多数展示されていますので、マニアはもちろん、一般者でも興味深く見学することができます。
リニューアル後は、岐阜県と各務原市の共同運営となり、展示室の面積も約1.7倍に拡充され、名称は「岐阜かがみがはら航空宇宙博物館」、愛称は「空宙博(そらはく)」と決定されました。
戦後国産初の旅客機YS-11(自衛隊の輸送機として使用したもの)、US-1A救難飛行艇、P-21対潜哨戒機など数機の実機が展示されています。
救難飛行艇や哨戒機などを間近で見るチャンスはめったとないかもしれませんね。
多数の実機やモックアップが展示されていましたが、代表的な例としては、STOL(短距離着陸)の実験機の飛鳥、ブルーインパルスのT-2,三式戦闘機の飛燕、アメリカの火星探査車の実物大複製など貴重なものが並んでいます。
操縦席に座り、操縦桿を握って、パイロット気分を味わえるシュミレーター体験。
ジャンボ機の離発着を体験できる「旅客機シュミレーター」と、アクロバット飛行に挑戦する「小型ジェット機シュミレーター」の2種類があります。
住所 : 岐阜県各務原市下切町5丁目1番地
マップ : Googleマップ
アクセス :
各務原市役所前駅までは名鉄岐阜駅から約16分、新鵜沼駅から約15分
【車の場合】定休日 : 第一火曜日(休日の場合、翌平日)、年末年始(12月28日~1月2日)
電話番号 : 058-386-8500
営業時間 : 10:30~17:00
料金 : 一般800円、高校生500円、中学生以下無料
公式サイト : かがみがはら航空宇宙科学博物館
西濃は岐阜の西側にあり、岐阜県の一番西側で、福井県、滋賀県、三重県、愛知県と接しています。
北部は福井県と接する両白山地で、西側に伊吹山(標高1,377mで山頂はわずかに滋賀県寄りです)と伊吹山地が南に延び、揖斐郡(揖斐川町など)や不破郡(関ケ原など)があります。
さらに山地は養老山地・養老町があり、平野になった所に西濃エリアの中心地の大垣市があります。
その南側は海津市となり、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)が流れますが、この付近は前にもご説明したように海抜ゼロメーター地帯となっています。
なお、南端は伊勢湾から15kmほど離れているため、岐阜県は海がないことになっています。
このように西濃エリアは北部は山地で、豪雪地帯ですが、同時に内陸型気候で酷暑になることもあり、エリアの南部はゼロメーター地帯であるなど、変化の大きい環境となっています。
交通関係は、JR東海道本線があり、新幹線については岐阜県では岐阜羽島だけに駅がありますので、西濃エリアには駅はなく線路があるだけとなります。
私鉄では養老鉄道があり、大垣駅から養老駅を経て三重県の桑名駅まで、逆方向は揖斐駅まで運行され、また樽見鉄道が大垣駅から岐阜エリアの本巣方面まで運行されています。
道路では名神高速道路があり、遠方からも比較的的便利に行くことができます。
岐阜県で二番目に人口の多い大垣市については、水が豊富な所で水路が沢山あり、大垣城の辺りなどを舟で巡る(ただし、期間限定です)こともできます。
また、大垣は松尾芭蕉の奥の細道の結びの地(ゴール)としても知られています。
養老町では有名な養老の滝や養老公園があり、関ケ原町では古戦場跡や不破の関跡がある他、伊吹山ドライブウェイの登り口となっていますので、ここから伊吹山へドライブするのもオススメです。
揖斐川町では、谷汲山華厳寺という名刹があり、池田町の池田山は展望と共にハンググライダーのメッカとしても知られています。
海津市では木曽三川公園がオススメです。
木曽三川公園は国営で、上流の各務原市、愛知県一宮市から下流の海津市などにかかる日本最大の国営公園で、海津市の部分でもチュウリップ畑やタワーなどで楽しむことができます。
大垣市は、岐阜県二番目に人口が多く西濃エリアの中心的な都市ですが、明治時代を迎えたとき、美濃では大垣の方が文化的に進んでいましたが、商業的に栄えていた岐阜市に県庁が置かれたという説もあります。
大垣市は水都・水郷ともいわれますが、市街の周辺に揖斐川他の川が流れ、また市街地も水門川などが流れています。
さらに美濃の山々から伝わった水が伏流水となって大垣に流れて、全国でも有数の自噴帯となって現れ、市内の各地で水が湧いて水路になるなど、大垣市の景観を作っています。
また湧き水は大垣市の上水に使われ、さらに水まんじゅうなどの和菓子、地酒などに広く利用されています。
松尾芭蕉の「奥の細道」は東北方面がクローズアップされていますが、奥の細道のゴールは大垣で、当地は奥の細道の「むすびの地」といわれており、ゆかりの史跡があり、また俳句の町ともなっています。
上記のように水が豊かな大垣市ですので、水を巡って市内を散策するのがオススメです。
特にオススメなのは、大垣城の西側を流れる水門川(お堀でもありました)で、お城の北側辺りから西側の舟町の方面は春の桜、木々の緑などとマッチして風情ある光景が楽しめます。
水門川では昔は三重県の桑名との水運が盛んに行われており、舟町には港跡や住吉灯台などのスポットもあり、川沿いには遊歩道も整備されていますのでお楽しみください。
さらに、水都を楽しむには舟下りがあり、人気となっています。
詳しくは大垣観光協会(電話番号0584-77-1535)にお尋ねください。
大垣市の中心部を流れる水門川の近くに「奥の細道むすびの地記念館」があります。
この施設は2012年に設立され、奥の細道や芭蕉をAVシアターなどで解説する「芭蕉館」、大垣の文化や歴史を築いた人たちを記念する「先賢館」、観光などを紹介する「観光・交流館」などがあり、俳句や奥の細道を理解するのによい機会ですので、お立ち寄りください。
なお、芭蕉は大垣の船問屋の谷木因と交流があり、奥の細道に旅立つ前から、ゴールを大垣に定めていたようで、到着後1か月ほど木因宅に滞在していました。
芭蕉はその後に三重県の桑名に舟で旅立ちますが、水門川の舟町には船に乗る前の様子が銅像となっていますので、ご覧ください。
また、芭蕉の句碑や蛤塚などのスポットもありますので、お訪ねください。
住所 : 岐阜県大垣市船町2丁目26番地1
マップ : Googleマップ
アクセス :
定休日 : 年中無休
電話番号 : 0584-84-8430
会館時間 : 基本9:00~17:00
料金 : 一般300円、18歳以下無料
公式サイト : 奥の細道むすびの地記念館
孝子(親孝行な子供)伝説で昔から知られている養老の滝は、関ヶ原の南側、養老山地にあり、日本の滝百選に選ばれています。
孝子伝説とは、鎌倉時代に編纂された「古今著聞集」に出てくるお話ですが、付近に住む木こりが、貧しいために父親の好きなお酒を買えずにいて、ある時滝の水を汲んで帰ったら、お酒になっていたということで、木こりは親孝行が評判となり、美濃の国守になったというお話です。
なお、お酒になった水は、近くにある現・養老神社から湧く菊水だったという説もあり、この菊水泉は日本の名水百選に選ばれています。
また、奈良時代の元正天皇が孝子伝説を聞いて当地を訪れ、若返りの水であることも聞き、「老を養う水」であるとし、712年に元号を「養老」と改めたというゆかりもあります。
養老の滝のある一帯は、岐阜県立の養老公園となっていますが、滝に近いエリアには前記の養老神社や養老寺や数多くの橋があり散策路が整備されています。
さらに、公園の入口方面には、パターゴルフ場や養老天命反転地、芝生広場、こどもの国など多数の施設があり、1日をゆっくりのびのび過ごすことができます。
養老の滝は養老公園の奥にあり、公園の駐車場から800m、20分ほど歩く必要がありますが、坂道になっていますのでそのつもりでお出掛けください。
滝の落差は約32m,幅は約4mで岩角を打って流れ落ちる清冽な滝で、滝壺近くまで行くことができますので、そこで孝子伝説に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
なお、季節ごとに滝を楽しむことができますが、最もオススメなのは秋で紅葉に囲まれた滝を楽しむことができ、また桜は滝の近くまで桜並木が続きますから、これも素敵です。
その他、養老の滝付近は散策路が整備され、前記の神社などのスポットや、近くに東海自然歩道もありますで、のんびり散策するのもオススメです。
養老公園の一角にあるちょっと変わったミュージアム(有料)です。
有名なアーティストの荒川氏とパートナーが作った作品が展示されていますが、とにかく常識をくつがえすような作品でしかも身体で直接触れるなど体験できるようになっています。
例えば、「極限で似てるものの家」は屋根が岐阜県の形で、内部は迷路になっていますが、どこからでも出入りすることができ、天井は1階部分をそのまま反転したような構造になっていて驚かされます。
また、「襲名の家」は低い壁で仕切られた空間が広がっていますが、よく見ると脚元にはキッチンなどが設けられていて、非日常が混在しています。
養老公園の東側部分にはテニスコートやパターゴルフ場や楽市楽座(食事・買い物)などがありますが、オススメしたい所の一つは「芝生広場」で、広い芝生に寝転ぶなどして、目の先に広がる濃尾平野の光景を眺めて、開放感を味わってはいかがでしょうか。
その他にも、子供向けの遊園地などもあります。
住所 : 岐阜県養老郡養老町高林1298-2
マップ : Googleマップ
アクセス :
営業時間 : 9:00~17:00 (他施設により異なる)
料金 : 入場は無料(有料施設あり)
休園日 : 月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日)年末年始(12月29日~1月3日)
駐車場 : 1回300円(9:00~17:00)ほか民間駐車場あり
公式サイト : 養老公園
関ケ原は岐阜県全体では南西部、西濃エリアの西部にあり、古戦場として知られています。
地形的には、北に伊吹山、南に養老山地・鈴鹿山脈があり、狭い盆地となっているため、京都・滋賀と岐阜方面を結ぶには山にトンネルでも掘らない限り、関ケ原を通るしかありません。
從って、古くは東山道・中山道、現代では東海道本線・東海道新幹線、名神高速道路などが関ケ原を通り抜ける交通の要所となっています。
このような地形の影響からか、西側の勢力と東側の勢力が戦う場所になっており、古い時代の672年も壬申の乱で、天智天皇の子である大友皇子と大海人皇子が関ケ原で決戦をしています。
そして、1600年には石田三成率いる豊臣方と家康が率いる徳川方の大規模な戦いをし、関ケ原におけるこの2つの戦いはその後の国のリーダーを決める重要な戦いとなっています。
古戦場跡は比較的地味なスポットですが、西軍・東軍の陣地の跡などを訪れてみてはいかがでしょうか。
また、古戦場に近い所から、伊吹山ドライブウェイが始まります。
伊吹山(標高1377m)は岐阜県と滋賀県の県境にあり、山頂は滋賀県に属しますが、ドライブウェイは県境を縫うように設けられ、山頂近くまで行くことができ、さまざまな楽しみがあります。
豊臣秀吉の死後、豊臣政権は五大老が政治に関与しますが、石田三成と徳川家康の半目が著しくなり、互いの味方を集めて、小競り合いをしながら、1600年についに関ケ原で衝突してしまいます。
なお、三成がはじめから関ケ原で決戦をしようとしていたのではなく、もっと東で家康と何らかの妥協をしようとしていたのではないかという説もあります。
古戦場跡といっても具体的には分かりにくいかと思いますが、代表的なスポットをご紹介します。
実際に古戦場に行く前に、まずこの歴史民俗資料館に立ち寄って、関ケ原の合戦についておさらいするのがオススメです。
中でも、大型ジオラマで合戦の布陣から実際の流れを光と音で説明してくれますので、大変分かりやすく人気となっています。
他には、関ケ原合戦図屏風や甲冑・大砲他の武具が展示され、大名の家紋入りグッズなども販売されています。
古戦場の北西部にある小さな山が笹尾山で、ここに石田三成が陣を置き、写真でも分かるように全体を見下ろしながら指揮をしました。
南西に北国街道もある地点で、陣地の選定にはこれも考慮されたかもしれません。
なお、防御用の竹矢来や馬防柵が復元されています。
家康は当初、桃配山に陣を置きましたが、戦況は苦しく、現・陣場野公園と呼ばれるこの地に最後の陣を移動させました。
ここは石田三成の陣とも数百メートルの所で、ここから、内応の意思を表しながら動かない松尾山の小早川秀秋に向け鉄砲を打たせ、これにより小早川が動き一挙に形勢が逆転し、東軍が勝利しました。
そして、この場で勝利の引見や討ち取った首をあらためるなどした所で、その後の覇権が開かれた土地す。
関ケ原古戦場跡からすぐ近くに、伊吹山ドライブウェイの入り口がありますので、古戦場をご覧になった後、あるいは古戦場はパスしてもドライブウェイで伊吹山に登られてはいかがでしょうか?
直接行く場合には、名神高速道路の関ケ原ICから約10分、JR東海道本線の関ケ原駅から車で5分ほどで伊吹山ドライブウェイの入り口があります。
ドライブウェイは全長17kmで、終点は伊吹山の9合目(標高1260m)となり、そこから山頂までミニ登山となります。
駐車場からの登山ルートは、西登山道で約40分、中央登山道で約20分ですが、山頂からは360°のパノラマが楽しめ、西に琵琶湖方面、北東に木曽御嶽山・乗鞍岳・槍ガ岳など、東から南東に濃尾平野から養老方面が望めます。
なお、関ケ原の古戦場は伊吹山の真下になりますので、上からは見られません。
また、山頂近くには天然のお花畑があり、春、夏、秋と高山植物などの種類が多いことでは日本でも有数ですので、全国から大勢が訪れるスポットとなっています。
なお、ドライブウェイは冬季は閉鎖されます。
詳しくは吹山ドライブウェイ(電話番号0584-43-1155)にお尋ねください。
谷汲山華厳寺は揖斐川町の山間にある天台宗のお寺で、一般には「たにぐみさん」と親しまれている西国三十三番札所で結願のお寺です。
なお、西国三十三札所とは、近畿の2府4県と岐阜県を加えたエリアで札所を決めており、一番は那智の青岸渡寺で、他に長谷寺や六波羅蜜寺・興福寺なども入っています。
さて、華厳寺の創建は798年ですが、その由緒には不思議な話が伝えられています。
会津の大口大領という人は十一面観音を建立したいと願っていてましたが、適した霊木を手に入れたため京へ行き、観音像を彫ってもらいました。
そして、会津に帰る途中の美濃で、観音様が自分は会津には行かず、ここから5里の所に留まるといい、大領がその方角へ進んだところ、観音様はある所で動かなくなり、大領はここが結縁の地であろうと考え、庵を造り、後にお堂を建て、それが華厳寺になったということです。
さらに、お堂の近くからはお灯明に使う油が湧き出したそうです。
この話を聞いた醍醐天皇は、お寺の名前を谷汲山華厳寺と名付け、扁額を与えました。
その後、勅願寺となり、花山法皇は西国三十三所を巡り、華厳寺を結願の地と定め、後に鎌倉時代にも後白河法皇が大勢で詣でるなど、朝廷とのつながりが深い寺院です。
建物は火災などで焼失し再建されたものですが、本堂、仁王門などが山間の静かな環境の中にずっしりした佇まいで建っていますので、見応えもあるスポットです。
建物は1879年に再興されたもので、御本尊は十一面観音菩薩立像ですが、ほとんど公開されない秘仏で、写真もありません。
脇侍の一つの毘沙門天は国の重要文化財となっています。
なお、本堂の柱には青銅の鯉が掲げられており、西国三十三所を回ってきた者が、これに触って満願を報告するという風習があり、「精進落しの鯉」と呼ばれています。
また、本堂で御朱印を受けることができますが、三種あり、本堂は現世、満願堂は過去、笈摺堂(おいずるどう)は未来を表す御朱印であるとされています。
「 仁王門 」 は江戸時代の中期に再建された大きな山門で、仁王像が安置されています。
大きな草鞋が左右に奉納されていますので、ご覧ください。
「 満願堂 」では西国の巡礼者が満願の御札を納めます。
また「 笈摺堂 」は前記花山法皇が笈摺(法衣)と杖、御詠歌を奉納されたゆかりで建てられた小さなお堂で、「おいずる」にちなんで折り鶴が沢山奉納されています。
1年を通して普段は静かにお参りできる所ですが、春は参道の桜並木が見事で、また秋の紅葉が素晴らしく、大勢の方が訪れます。
住所 : 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
マップ : Googleマップ
アクセス :
定休日 : 年中無休
電話番号 : 0585-55-2033
営業時間 : 8:00~17:00
拝観料 : ご随意
公式サイト : 谷汲山華厳寺
まず木曽三川とは、木曽川と長良川と揖斐川のことを指し、いずれも木曽川水系に属します。
木曽川は中流からは岐阜県と愛知県の県境を流れ、伊勢湾の河口近くでは三重県との県境付近を流れます。
長良川と揖斐川は岐阜県内を流れて、海津市の南側で合流して揖斐川と呼ばれて、三重県から伊勢湾に注ぎます。
この木曽三川は複雑に絡み合いながら昔から水害を繰り返しており、暴れないように分流などコントロールすることが課題でしたが、江戸時代に幕府に命じられた薩摩藩や明治時代のオランダ人デ・レーケなどの尽力で現在のような姿に落ち着かせました。
木曽三川の中流から下流域のオープンスペースを利用して、人びとのレクリエーションに利用してもらうために、国営の「木曽三川公園」が設立されました。
公園のエリアは岐阜県では各務原市から下流方面、愛知県では一宮市から下流、三重県桑名市など、全国でも最大の国営公園となりました。
公園全体では13もの個々の公園・施設があり、その一つが、海津市にある「 木曽三川公園センター 」です。
木曽三川公園センターは、長良川と揖斐川に挟まれた所に広大な面積を持ち、中心にある展望タワーからは辺りを360°眺めることができる他、広い花壇では季節の花が楽しめます。
また、このエリアの特徴である輪中の集落の様子も見ることができます。
一番のオススメは展望タワーで、高さ65mまでエレベーターで上ることができ、そこからは木曽三川の流れる様子や眼下の輪中集落の様子、濃尾平野から養老山地そして中央アルプスから名古屋方面まで360°のパノラマを楽しむことができます。
なお、タワーの1階は有料ですが「水と緑の館」の展示スペースになっていて、木曽三川流域の歴史や自然、生物などが分かりやすく展示されていますのでご覧ください。
この公園の大花壇は有名で、多くの人が楽しみにしているスポットです。
季節ごとにご紹介すると、春はチューリップ(この項の冒頭の写真)を中心にムスカリも含めて約4000㎡もの大花壇を飾り人気を呼び、続いてルビナスやポピーなどが5月下旬まで楽しめます。
8月中旬からはキバナコスモスが咲き、9月下旬から10月中旬はコスモスが咲き乱れます。
また、咲く花に合わせるなどして、チューリップ祭りなどの各種イベントが行われ、冬にはイルミネーションも催されていて、これも人気です。
海津市などは大半がゼロメーター地帯で、水害に苦しんだ人たちの知恵から生まれた「輪中(わじゅう)」というものがあり、集落の周りを輪中堤という堤で囲ったり、低地のエリアで家の敷地を高く盛り上げてから、家を建てているものですが、この公園の一角に復元しています。
洪水のときに使用するために舟を高い所に収納しておいたり(上の写真)、仏壇も2階に上げるなどの様子も見ることができます。
住所 : 岐阜県海津市海津町油島255-3
マップ : Googleマップ
アクセス :
石津駅までは桑名駅から約25分、大垣駅から約45分
【車の場合】東名阪自動車道の弥富IC・桑名東ICから約15分、名神高速道路の大垣ICから約40分定休日 : 原則第2月曜日ただし4月・8月・12月を除く、第2月曜日が休日の場合は翌日
電話番号 : 0584-54-5531
開館時間 : 基本9:30~17:00、7~8月は18:00まで、12月~2月は16:30まで
料金 : 無料、ただし水と緑の館・展望タワーは大人620円、小人300円
公式サイト : 木曽三川公園
岐阜県のおすすめ観光スポットをご紹介しました。
ご案内したように、広い岐阜県はエリアによって、特に飛騨方面と、美濃方面でなどで自然や文化伝統もかなり違っています。
観光スポットもそれぞれのエリアで特色のあるものが沢山ありましたね。
例えば、飛騨では高山市の町並みや白川郷の合掌造り、美濃では岐阜市の鵜飼や岐阜城などがあり、また各地にテーマパークなどもあり、楽しませてくれます。
岐阜県に出掛けられるにあたっては、どのエリアに行きたいのか検討され、観光スポットを選ばれるようオススメします。
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最終更新日 : 2024/06/26
公開日 : 2018/01/30